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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭  エッセイ   2013年 10月 23日


   米映画「3時10分、決断のとき」新/旧2作



 西部劇だ。ヨーロッパはじめ多くの国から新大陸アメリカに移住し、まだ法が社会を安定させるに至らない頃だろうか。銃が身を守り、銃が死を招き早めていた。
 そんな荒野を生きる男たちの話だ。

 原作は1950年代の小説で、当時映画化されたのが旧作。
 新作は、2007年にラッセル・クロウ主悪役でリメーク製作された。
 先日その両方がBS各社からあいついで放映。
 ほぼ同じストーリーは当然のこと。

 ラッセル・クロウといえば、米アカデミー賞やグローブ賞でおなじみの男優。
 第73回米アカデミー賞作品賞を得た「グラディエーター」での主演が有名。
 どこか控えめでいながら爆発するほどの闘志を秘めた、陰ある男役などがいい。
 で、この「3時10分、決断のとき」新作では、悪人役。それも強盗殺人集団のボスだ。

 映画のあらすじはほどほどにしたいが、この映画で表現されているのは、ゼニか意地か。

 ひとりの小さな牧場で牛を飼う男は妻子を養うためにも、期限が迫る借金に苦慮していた。彼はいたって生真面目な男だ。

 そんな彼に、名高いお尋ね者の荒くれ男を捕らえた町から、駅までの搬送者を探していることを伝え知る。その報酬は借金額になる。
 育ち盛りの息子の目にも、けして屈強な男の中の男というわけではない牧場男だが、報酬目的にこの仕事を受け参加するのだった。

 題名の「3時10分」はこのお尋ね者を乗せる移送列車が、遠い隣町の駅から出発する時刻だ。

 お尋ね者の仲間が遠巻きに迫り襲っては、一人またひとりと減ってゆく町の保安官ほか数名の同行者。

 そのたびに、お前にはこの役は重すぎるとほくそ笑むお縄のお尋ね者は、町の報酬よりも多いゼニをやるから、いい加減にしておれを放せ、という。

 最後には独りとなった牧場男へ、死ぬより良いだろうと、決断をせまる。おれの仲間はおれを取り戻すまでけしてあきらめないぞ、と。

 こうしたお尋ね者と牧場男とのやりとりの一つひとつが、それぞれの心の中を映す。

「決断のとき」とは、最後まで無事に列車に乗せてこの搬送仕事を終えることができるかどうか。
 というよりも、善き牧場男が、どう決断するか、の心模様を意味しているともいえるのではないか。

 ゼニの多い少ないで考えるなら、ここまでやったのだから、仲間に襲われ逃げられた、と高額をポケットに町へ帰るというお尋ね者の説得も・・・選択の余地ありかもしれない。

 主役の悪玉ボス、ラッセル・クロウは、そんな男の返答と心の動きを見つめている。

 もしもこの作品を観る自分はあなたは、この牧場男の立場なら、ほとんど勝ち目が無く命の保障も薄いこの搬送仕事を、投げ出してゼニを手に、お尋ね者を放すだろうか?

 けれどもしもだが、そうしない、そうしたくない、と言うなら、それはなぜだろうか?

 そこにこの作品作者の言いたいことが込められているのかもしれない。
 二度もアメリカが映画にした思いが秘められているのかもしれない。

 そこに共感できたとき、この映画がただの西部劇ではなかったと「END」マークを見れる気がする。



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