<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
エッセイ 夢舟亭
2008年02月24日
キース・ジャレット
アート。芸術は時代を映す鏡だといわれます。
世の移り変わりを河の流れにたとえれば、水の勢いや流れに運ばれるものの様子を写し取って描いて見せる。
ときには次に流れくるものまで予見する。
敏感に状況を読めるアンテナの感度はアーティスト(芸術家)の才。
世俗に流れやすい凡夫のなかにあっても、時代の流れに翻弄されず偏らず。
変化を見いだして作品に先取りしてみせる。
芸術とは、美術であり文学であり、音楽。
この三本の柱は世のほとんどの物事にふくまれるといわれます。
映画やお芝居や舞踏やオペラなどを見るとこの三つが応用されているのが分かる。
しかしそういうものだけでなく人の日常にも、身繕い身綺麗にする思いに個人の美意識が現れる。
会話は、聞くも言うも文学でありその人の知識、感情、意志の表出。
声音や抑揚は音感。
風景を愛でる思いは個人の美観いがいの何ものでもない。
生活のなかで、歩くも立つも坐るも微笑むも。
無意識にして、自分の美への思いが現れる。
そして人の美意識には、少なからず時代の色が反映されることになる。
時代の色、とは短い間のブーム流行もあれば、大きなうねりの移り変わりもある。
地域民族、または分野に限定する移り変わりもあれば、世界の社会全体に波及する大きな変化もある。
・・と大きな話になってしまいましたが−−
たとえば、音楽。
クラシックをいえば、その時代その社会に生まれた作曲者の創造作品です。
古典派、ロマン派とか印象派、あるいは国民楽派などといわれる音楽の風潮は時代的な変移か。
時代の人々と音楽との関わり合い。
発声法とか楽器の種類とか楽譜の書き方とかの音楽学の状況。
そして王宮の時代、神を信じる時代など。
現代に名をのこした人たちは、そういう状況下に作品を生みだしときに、疑問して次の時代へ模索していったのかなと思うわけです。
他方、即興演奏を楽しむジャズ。
こちらは作曲者の楽譜にある元曲は優先されない。
あくまでも奏者の思いを演奏表現する。
原曲を尊重しないのではなく原曲のエキスを拝借したりする。
原曲のイメージを自分の解釈によって、またはその場その時の気分や雰囲気に湧く思いを、即興で演奏する。
ジャズのインプロビゼーションというのがこれ。
興にまかせた一期一会の協演など。
それが新鮮さを感じさせる。つまり新しい音楽だった。
そこで、これよりはジャズの話。
ジャズ的な自由即興性については、ちょっと生い立ちへ思いをめぐらすことが分かりやすい。
今の北アメリカ大陸の下側(南)の、メキシコ湾の内海に注ぐ大河ミシシッピー。
その河口一帯がニューオリンズの町に。
18世紀はじめはフランス領の植民地(仏国オルレアン侯の新しい地所の意として名付けられた)フランスからの移住者が住みついた。
やがてスペイン領とかわり、19世紀ナポレオンの時代にフランスに戻り、さらにアメリカ合衆国となった。
そんなアメリカ国独立のころの国際都市ニューオリンズに、ジャズは産声をあげたのだという。
今ニューオリンズと聞くとジャズ発祥の地というよりも、2005年のハリケーン、カトリーナの大水害の惨状に逃げまどうアフリカ系(黒人)の人々を思い出す。
先の歴史のごとく、しぜん各国の人々が出入り行き交い住みつけば、人の集まるところにお金も集まる。で、さらに人を招く。
そこへ奴隷解放で手綱放たれたアフリカ系の人々も寄り、貧しくも住みついて。国際色豊かな酒場では白人の旦那がたが故郷の歌を好む。
酒のつまみの余興ほどのご機嫌うかがい芸で、日銭を稼いだ黒人たち。
見よう見まねで黒い肌に白い歯をみせて。
それがやがて民族混合の異色な音楽となった。
それがジャズ。
薄汚い街という意味のデキシーランド。その地域の音楽のジャズ。
ジャズの即興性とは、楽譜など読めないがための、見よう見まねのこと。
そんなわけでジャズはけして貴族の楽しみや高貴な嗜みとか、教会の伴奏音楽という生い立ちではなく。
きわめて俗な酒も臭えば売春宿のばか騒ぎも聞こえる下卑たものであった。
貧した奏者たちは楽器など選ぶ余裕もなく手当たり次第かきならした。
太鼓叩いて笛吹いてチャンチキおけさや素踊りほどのものだったらしい。
ところが演奏するのがアフリカ系の人々であってみれば、彼ら特有の強靱で爆発するような身体が発散するリズム感があった。
しいたげられた憂いや哀感をともなったブルースも歌にこもった。
そうした音楽が一種自由さの風となって、混沌とした新大陸に瞬く間に伝染したという。
黒も白も人々は激しくジャズをダンス音楽として熱狂した。
スイングする音楽として形をかえながらひろがっていったようだ。
さて、大衆に好まれるジャズに踊るなどでは満足できないという連中がいた。
何にでもそうだが、ただ群れてうかれて皆と暇つぶすなどご免だという者は居るものだ。
ひと味違った専門性を高めたい、名人芸をご披露したいとい者が現れた。
ジャズ道を極めようぜという達人たちの出現だ。
彼らは、夜な夜な踊り客が退いた酒場に楽器を持ち寄っては、明け方までジャズ演奏の掛け合いや他流試合をおっぱじめた。
この噂がうわさを呼び、腕自慢を集め増やし、声援が飛び交った。
凝りにこったコンボ演奏ジャムセッションがニューヨークの片隅で盛んになった。
モダンジャズの熱きバップ期というのがこれ。
後年のきら星のごとき名人上手はこうして現れたらしいのです。
−−と、場末の居酒屋の余興デキシーランドジャズから、国中が踊り狂ったダンスの伴奏スイング期を経て。
今日に続くルイアームストロングやコルトレーン、あるいはエリントやベーシー。グレンミラーやベニーグッドマンほかお馴染みのジャズの名手たちの活躍。
駆け足のジャズ歴史、1970年代まででしょうか。
ではその後のジャズは・・
アメリカ音楽への影響はもちろん、世界の俗謡軽音楽(ポップミュージック)へ、ジャズの影響が大きかったことは良く知られている。
たしかにリズムを主導する大太鼓小太鼓シンバルの、ドラムセットの出現などは典型的な例。
ジャズが弾きだしたリズム感は底抜けに明るく、白いアメリカンポップスにまで弾けた。
とはいえニューヨークのビルの谷間には、ほの暗く響くエコーのかかったトランペットの寒々とした音色が似合う。
現代のモダンジャズ風景というなら、アメリカ80年代の印象はマイルスデービスの孤独感だったか。
さらに今、アメリカジャズ風景を私的にいうなら、エネルギー放出型のブラックミュージックの部分は一層洗い落とされた。
ドラムをリズムを熱気噴出にまかせて叩きだしたりするのではなく。
物憂げに押さえ込まれたやるせなさの時代も過ぎて。
正調も基本もないジャズの自由さ追求は、今もっとクールにさわやかに、知的な方向に進んでいると思うのです。
そういう形に時代を反映して欲しいとは私の思いかもしれないが。
ジャズの発祥期の苦労話やその後の歴史的な抑圧の苦しみを脱ぎ捨てて。
リズム感を楽しむ音楽のひとつのジャンルとしてのジャズという時代が良いと思うのです。
そうした代表格として、キース・ジャレットをあげたい。
ゲイリー・ピーコックのベースとジャック・ディジョネットのドラムを交えて、ピアノのキース。
そのトリオ演奏がさわやかでじつに快適。爽快さのあまりみずから口ずさむ彼。
旧来のジャズを超えているだけに、往年のジャズファンには異なるものとの声があがるほど。
けれども時代を映し先読みするものへは、たいがいそうした声が湧くものです。であってみればこれこそが今どきの音楽の条件だといいたいのです。
この人のピアノは木漏れ日や月明かりのソナタふうにはじまったりする。
それに加わるドラミングも、小雨のようなシンバルワークの繊細さがまたたまらない。
ベースもまた、ハミングかつぶやきのようにはじける。あくまでも落ちつきある演奏であって、ごりごりとした古めかしい音はない。
どの曲も、おイチ、ニー、おイチ、ニーとシンプルにスイングしたりしない。
手足で、パッ、パッ、パッ、パッとフォービートの調子などとれるものではない。
もはやデキシーのころのシンプルさや、モダン華やかなりしあのうっとうしいジャズの印象がここにはありません。
きわめて鑑賞系のジャズとしての知的さがいいのです。
ここではジャズミュージックが確固たる世界の音楽に仕立てあがった感がある。
じっさい2000年前後の数年間、音楽雑誌人気投票で、キースジャレットのトリオ演奏はトップを独占し続けていた。
という時代の風として賛同の一致を得ているキース・ジャレットのジャズ演奏は、一時代を築いた感がある。
この世代のジャズマンは、ぱりぱりのクラシック専攻のエリートたちばかりで、楽譜が読めないから自由だ即興だというのとはまったく異なる。
もはや場末に日銭を追ったジャズマン物語は大昔の話となってしまった。
今の即興性は、洗練されたテクニックのうえで音楽心をいかんなく表現する現代音楽の名手のものといえる。
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