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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭     2007年12月08日


   10年間の小一時間


 学生時代に学んだ学問とは別ななにかを、社会人になってから習得した努力の人が、周囲に何人か居るのではないだろうか。

 私は日々「情報化時代」という先進的に聞こえてじつは漠然とした言葉に流されている。
 情報文字や映像音声の濁流のなかに押し流され、どうにか岸の枯れ枝をつかんだ片手でとどまり一息ついている有様だ。
 だから新しい何かを身につけたいとは思いつつ、時間だけが経ってしまった感じがする。

 良いときは現状の自分に満足して怠り。
 貧すればまた鈍するのごとく、雑事に振りまわされて過ぎてきた。
 人に訊くとたいがいが、おなじくそんなふうだよと応える。

 何かひとつを学び、自分のものにすることは、言うは易しい。
 だが行い遂げるとなるとなかなか難しいものだと皆がいう。

 卒業をまえにしたある学校の教室で−−
「君たちはこれから社会に出ることになる。
 そこで私からひとつ課題を出そう。
 それは毎日たった1時間でよいから何か一つのことを勉強せよ。
 そして10年間続けてみて欲しい。
 1時間でも10年経てば、立派なエキスパートに成れるはずだ。
 そういうふうにして、仕事とは別なもうひとつの自分の世界を持て。
 今日までの連日勉強した苦労を思えば、なぁに簡単なことだよ」

 と先生が送る言葉に。
 一時間ぐらいで済むなら簡単ですよ、とささやきうなずく生徒たち。

 そして10年後−−
「先生。憶えていますか、あの話。
 いやあ仰ることなど簡単だと思いました。
 しかし社会ってものは厳しい。
 なにせ入社日から即残業ですからねぇ」

「そうそう。おれもさ。
 次の年後輩に会ったら、変わっちゃいましたねぇって驚かれた」

「おれもそう言われた。
 そうさ大人になったろうと言ったら、そういう大人におれなるのヤだなぁって」

「スレたんだよきっと。そんなわけで毎日1時間の勉強なんてとても無理でした。
 それどころか本の1ページだって読めませんでした」

「わたしも10年どころか、1年だってできなかった」

 そう言って苦笑する若者たちへ教師は−−
「君たちがそうなることは分かって言ったのだ。
 それほど社会での勉強は難しい。
 まして仕事に無関係な勉強など、ほとんど不可能だと知っていた。
 だから社会に出てから新しい能力を磨くことは不可能だということだ。
 後輩の在学生にそのことを是非聞かせてやってほしい」

 そういうようなことを交わした同窓会があったと聞いた。

 卒業生に提言した先生も偉いが、それを憶えていて素直に反省した卒業生たちも立派だ。
 たいがいは卒業おめでとうで過ぎるし、10年経てばきれいに忘れてしまっているものだ。
 おそらくは、後輩に、自分の子どもにと、この言葉が受け継がれてゆくだろうと思った。


 職業の仕事は、衣食住を確保するために何よりも大切なものだ。
 それをもって生活の糧を得るという。

 人は糧を得るために生きているといってもいいほどだ。
 生活の基盤はけしておろそかにはできない。

 しかしながら、ただそれだけの一生かとなると、それもちょっと寂しく感じる。
 と、思うことはがないだろうか。

 とくに仕事に慣れて20年30年と経って。
 心の隅が、けしてお金になるようなものではないけれどという種類の何かに、うずくことが、である。

 もしも酒や賭けの類でないなら。
 そのときこそめったに訪れない人生の数少ないチャンス到来だと思うべきだ。
 内からの学びの欲求は、堕情なるわが精神めが脇見などして、とばかりに打ち砕いてはいけないはずだ。

 向上心を刺激して、やればやったなりの成果が見えるような物事へなら。
 せめて日に週に、小一時間の心の栄養として注いで良いと思うのだ。

 先に述べた話ではないが、10年の後に、それはけしてお金にはならないけれど、しないで居た者にはとても追いつけない賜物が、ささやかな満足感として授かると思うのだ。




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