・・・・
夢舟亭
・・・・

<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


エッセイ  夢舟亭    2009年01月31日


   映画「この道は母へとつづく」(ロシア)



 題名から想像するのはロードムービーだろう。フランダースの犬のような尋ね旅イメージを持たれるはず。
 案内サイトの表紙を見ても、広大なロシアのいなかの駅のレールを横切る男の子がある。
 そこから想像して、つきなみな「母恋い物語」と私も思ったのだが。

 ストーリーが進むにつれてその甘さを蹴飛ばされた。

 ロシアからみれば高級外車となろうT社のヒップアップトラックに男女数名。
 酷寒の雪原を縫ういなか道を走る。
 車中では広漠とした雪原に感激するイタリアからの客。それを招いた女が談笑。

 まもなくガス欠となって停止。

 と、ケータイで助けを呼ぶ女。

 寒さにふるえていると、やがて十名ほどの人影がかなたに現れる。
 呼びつけられたのは子どもたちだった。
 大勢が歩いてきて雪道のトラックを押しはじめる。

 やっとの思いでたどり着いたのは孤児院だった。

 さっそく大人らはある交渉に入る。
 交渉取引の品は子どもだ。

 そこで主人公の男の子6歳が、あらかじめ写真紹介で気に入っていたという来客イタリア人にお目通り。
 例によりいい子として応対する。
 いうまでもなくイタリアの夫婦はお気に召す。里子として。

 一月ほどして里親として迎えにくると、イタリア人夫妻は去る。
 またたくまに院内のニュースとなり、羨望と嫉妬が渦巻く孤児同士。

 だがストーリーはこの後、題名のごとく、独り「母への道」を歩む主人公。6歳という年齢に余る苦労と必死さがある。

 映画のネタバレは白けるのでここまでとする。


 この映画の見どころは孤児院のなかの子ども同士の、上下関係や小遣いを捻出する行いの様子。
 互いに容赦などぜず。
 大人社会とも関わっている。
 あまりにリアルな関係は幼さにそぐわないほどの厳しさがある。
 それでも底辺では仲間が助け合いかばい合うことを生きる方法として知っている。

 臓器移植のパーツになる例まであるのを知っている彼らは彼女たちは、自分を親がどう扱ったから今があるかを知っている。知らない子は知りたがる。

 極東の極楽列島のわれらにはショックな部分が少なくない。
 ショックに一層輪をかけるのが施設に関係する大人たちだ。
 おまえたちの幸せのためと言いつつ、子どもたちを商品扱いしては価値判断する言動だろう。
 もっとも子どもたちもその裏は見抜いていて、ときに皮肉る。

 重心を低くきれい事を排した現実的表現は価値あり。
 最後までしっかり見せてくれる。

 こういう作品を見たいと私はいつも思っている。

 終りかたが少々気になった。
 だがそれは見る者によって異なるかもしれない。


 ニホンの「誰も知らない」に通じる若い監督の名作だった。


   *−−−


06/アカデミー賞外国語映画賞部門ロシア代表
05/ベルリン映画祭 少年映画部門グランプリ
文部科学省 特別選定、

この道は母へとつづく




・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・
[ページ先頭へ]   [夢舟亭 メインページへ]