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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭    2007年10月27日


    小言幸兵衛的自己責任論


 落語に小言幸兵衛(こごとこうべえ)という噺がある。

 主人公の幸兵衛さんは、かなりいいお歳の、長屋の大家さんである。
 朝に夕に、長屋をひと巡りする。
 本人にいわせればただ巡るのではない。巡視巡回なのだ。
 だから歩いて目に付くもの気が付くことがあれば、長屋の住人たちへ小言をいう。
 本人は注意を与えているつもりなのだ。
 しかし幸兵衛さんの小言は、不平不満に皮肉まじえて屁理屈をからめて、つぶやく。
 これは小言幸兵衛さんの日課であり癖なのだ。

 板戸が壊れている。それはあの住人がそもそも乱暴だからだ。育ちが知れるわいとなる。
 掃除が行き届かないとなれば、長屋の者はみな綺麗好きでないから堀が汚いとか臭いとか。
 子どもがうるさいのは、躾がなってないからだとか。
 某のかみさんは声が大きいが、そもそも某が礼儀がなっていないせいだとか。
 犬が猫が、ねずみが鳥が、風が雨がと、小言の種は毎日まいにち尽きない。
 万に一つ、小言の種が無い日には、困ったものだ、と無いことにまで不満小言をいう。

 さて幸兵衛さんの家族はとみれば。
 もうすっかり小言になれてしまっていて、体よくあしらってはからかい笑いの元にまでしている。
 いや長屋の人たちだってそれは同じ。
 それでこそ「小言屋の幸兵衛」と立派な名が付いたのだろう。

 この幸兵衛さん、今どきの情報過多の時代ならばさぞかし、小言の種が尽きず、楽しかったであろうこと。

 こほっ。そこで幸兵衛に代わって、といってはなんですが、一言だけ−−


 自己責任。
 この文字が紙上に踊ったのは忘れもしない。
 戦場化している地域にわが国のカメラマンが取材に入って捕らえられ、解放を要求したわが国政府が身代金を支払った。そのことで不謹慎だ、迷惑千万と、批判が渦巻いたとき、でしたな。
 危険地域へ行くのは避けるべきだ。
 行くならそれ相当の覚悟を持て。
 ・・つまりは自己責任において行け、ということであります。

 まぁ私なら、わが家の不肖ばか息子が誠に申し訳のないことで、面目次第もございません。帰ったらしっかり言い聞かせますので、ひとつ今回は・・となるだろうか。
 とは言ったものの、戻った本人には、人の嫌がる苦労をしてまでよくぞ報道の勤めを果たしたなと苦言のあとに、一言添えるだろう。

 同国民としても政府も、拘束された子の安否を思う家族を見て、知らぬ顔をしているわけには行かない。
 捕らえたというグループの要求に応じ、生きているならお金で済むならと、命乞いをするだろう。
 起きてしまったことは一刻も早く解決を願う。

 ただ、血税を支払っている側としては、そういう形で大金を無駄に使わなければならない苛立ちが湧くのも当然分かる話だ。
 私だって、汗の薄給の明細書に差し引かれる額を舌打ちしながら見ているのだ。
 だから何か一言いいたくもなる。
 だって海の向こうの彼らが銃を小脇にして、この取引で受け取って数えるその金額は、千円や二千円ではなかろうもの。

 まぁそういった突発的特殊事件以外にも。
 国が補助支給する類のお金は、いろいろあろう。
 いささか乱暴な私見ではあるが。身近な者へなら、こうも言いたいという辺りの小言をもう少し述べでみたいのであ〜る。

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 母子家庭への支援や児童への補助を聞いたことがある。
 まだまだ男女同じ生活力を持ち難いわが国だ。不慮の災難などで夫父親を失った母子への社会福祉というなら、母親へはもちろん子どもの立場でもけっこうな話だと思う。

 ただ現代の離婚率のきわめて高いことはいかがなものか。
 噂ほどの情報なのだが、95年以降の若者離婚率は50%にもなるとか。
 安易に結婚して気安く別れる若者の尻ぬぐいを、国税でまかなうなどと簡単に宣言して欲しくないといいたいのである。

 人と人。男と女の出会いそして結婚。
 その意味はもちろん、子宝出産から子育てへ向かう親としての心構えは、しっかりもってほしいものだ。
 親というものは一人前の大人である。
 そればかりか、子どもという人間を一人前に育てつつ、教え導いて行く役割が義務としてあるのだ。
 万やもうえず自力でできないとしたときに、その資金を国が国民が負担するのだ。

 だいいち、別れわかれの両親の谷間の子どもの人生をいかに考えるのだろうか。夫婦が別れた段階で、親の責務の何パーセントかは出来なくなったという事実を重く受け止めてほしい。それは子どもの思いでもあろう。
 そういうことを事前に自覚する成人式の門をくぐるのもまた、国税で負担しているではないか。なんと恵み多き国だろう。

 いい加減に生きてきて、子持ちの段に及んで別れて。
 苦労だから重荷だから何とかしてくれと、権利主張で請求されては、ほかの国民がたまらないではないか。ばかにはならない費用なのだ。

 一億国民の税を、まとめて放り込んだ篭だから誰が支払ったお金かが見えない。
 しかしたとえばAさんの分は、Xさんあなたが直接支払ってください。
 Bさんの分は、そちらのYさんがという支払い方法だったならどうだろう。

 二・三キー局減らしてもらいたいほどの世間話専門チャンネル民放各局の、ワイドショウではないが「どう結婚してなぜ別れたのか」くらいは訊きたくなるはずだ。
 そしてそれがあまりにデタラメなら、当然一言苦言や小言をいいたくならないだろうか。
 お金は空気や雨水とはちがうのだ、と。

    ・

 話は変わって、先日電車に乗った。
 高校生の衣類を見て、あらためて考え込んでしまった。
 あの短いスカートはなんというべきだろう。
 肌足にょっきり。
 前も後ろも下着が見えてしまう。

 ある大学の某先生の、階段と鏡の件もあったが、「私は見られたくありません」という姿勢は感じられない。
 あれはまるで場末のいかがわしい風俗飲み屋接客婦の挑発姿ではないか。
 簡単に見られてしまう方も悪いのだ。

 あれが平日昼間のニホンの街風景であり、修学さなかの学生の服装として、おかしいと思わないだろうか。
 あれによって不要な手間や苦労や金銭浪費がおきてはいないだろうか。

 わが国がいかに治安が良いといっても、街灯の少ない夜道をあれで独り歩いて、襲われないと誰がいえようか。
 その場合の責任はどこの誰にあるというのだろう。本人には無いだろうか。
 それより本人は困らないのだろうか。
 猫のいるのを知っていながら、魚を放置するならそれは自己責任である。
 猫こそ災難かもしれない。

 油の上に火をおけば燃えるものだ。
 それでも燃えない油を用意せよなどのわがままへ、いちいち対応するような浪費は勘弁してほしいではないか。
 国が警察がと、いつも騒ぐが、その前に自分の身の安全は、自分で守る姿勢があったかと問いたい。
 そしてそこで費やす経費だが、市民の代表顔のマスコミごときが、政府に向かって突き上げる、財政の無駄使いにつながっていないか。
 保護者父兄や教育関係者に訊いてみたい。

 代表者たちが国会で論じているあの教育費。
 ああした補助金を苦慮して捻出していただいて通学するのだ。
 謙虚に学ばさせて戴く姿形が必要ではなかろうか。

 もしも学びたくないのなら、浪費の片棒を担いでいないで、社会へ出て働くべきである。
 小中学分の補助金のせめてものお返しを、早く納税ですべきだ。
 奨学金なら返済するのが当然なのだから。
 まして学生だ。幼児ではあるまい。
 まさに何を学んでいるのだろうか。何を教えているのだろうニッポン。

 ネット誘いへ気軽に応じてのトラブルもそうだが、そこまで教えないと暇つぶしお遊びに、国税をロスすることになるのだろうか。
 文部科学大臣は恐れず臆せず、こういう子どもと親に対することも本来教育指針にすべきだ。
 もちろん分からず屋国民の非難ぶうぶう、マスコミごうごうは覚悟しなければなるまい。
 そうした矢玉を除ける論を張れないならば政治家などやらないでほしいのだ。

    ・

 最近は愛児を親がだっこもおんぶもしないのだろうか。
 乗り合い車中へ、そのまま押して持ち込む乳母車のトラブルが多いという。ばかな話だ。

 肌身離さず、とは大切なものを扱う様子をいうと思う。
 海外の駅の様子などに、まるで登山客姿で子を背負う人を見る。
 前にだっこの用具もあるようなのだ。

 車中に乳母車など開いたままで持ち込まれては、ほかの乗客がぶつかるだろうに、そのことを口にする人はない。
 親は子どもが居るのだからそこのけと、当然顔。
 子育ては大変なのだから万一のときは国の皆さんよろしく頼むと言わんばかりに見える。

 そういえば妊産婦がたらい回しされたという。
 医療体制の万全が可能ならそれに越したことはなかろう。
 しかしながら、もしもわが娘なら、臨月の妊産婦といえば出産間近だ。
 事情はあろうが、単身で外出など自覚無き困った大人だとして、親としても責任を感じてしまう。

 さらに行きつけの医師もなかったとなれば、出産間際の心得として御身第一お腹の子大切と考えていたのかと、叱責しただろう。
 一個の命の親になる責任と自覚を、大きくなるお腹ほどに日頃考えていたかと詰問するはずだ。
 健康な子どもを安全に産もうとしていたのか、と。

 どこかで誰かが、必ず何とかしてくれる。という思いでいたとすれば、注意不足で自身の安全配慮の欠如である。
 国民が、やりつくせるあらゆる無自覚で勝手に振る舞う行動のすべてを、国が先回り考慮しては、仕組みを敷いておかなければならない、という考えはおかしい。
 そんな魔法のような日本列島を作ろうとするなら、税負担は膨大なものになると思うがどうだろう。不可能である。

 それで喜ぶのは、いろいろな仕組みや装置を高値で売り込む業者だけだと思う。
 たとえそうした無駄を黙認したとしても業者間の癒着が増すばかり。
 そしてまた、科学技術は万能万全ではないのだ。

 自分をしっかり守るためには、自分でやれる事は出来うる限り自身で行う、という自己責任を忘れないでほしいものだ。
 万やもうえぬところでお世話になる、としたい。
 減税を叫ぶときは、是非この辺りを念頭に、である。

    ・

 病院に行くと老人と子どもばかりということが気になる。
 病院に診察のほかに目的があるような老人も少なくない。
 日課になっていると自ら笑う人もいるのだ。
 この医療費負担もばかにならない気がするがどうだろう。

 女性の多い職場に就いている友人の話だが。
 昨今家庭子持ち社員が多いという。
 そこで緊急連絡の休暇早退願いのトップが、子どもの病気。中でも風邪による通院が多いという。
 突発のこれが業務に影響して困るというのだ。
 訊くと母親は、風邪はやもうえない不可抗力な病だ、と思っているふしがあるというのだ。
 風邪は防げる健康管理意識の結果だ、と友人は苦い顔をした。私もそう思う。

 睡眠と食事の時間を定めて摂って。
 身体を動かしてある程度の運動はする癖を付ける。
 エネルギー消費不足の運動の足りなさは、身体だけではなく、心も壊す。
 心などそう簡単に壊さないでほしいものだ。
 首を捻りたくなる犯罪の後の、精神鑑定、を耳にしてもなんとも迷惑だと思うのだ。
 朝食を摂るかとらぬかが、成績に関係するという。
 生活がまともに出来ていれば、頭もまともに働くだけのことだと思う。それをしっかり教える親の子ならしっかり育つだけのことであろう。

 命あるこの生体機能を知り、きちんと保つことを幼いうちから身につけることだ。
 一個の人間として生きていたいのかどうか。この自問をしてほしいものだ。
 ばかにならない医療費の補助、税のご厄介になるとすれば、国民こそが増税の片棒を担ぐことになるのだ。
 心も体も、病は健康管理義務違反、という考えはどうだろう。
 これはけしてかったるいジミン政府の擁護論などを打っているわけではないのだ。

 厚生労働大臣は、風邪などそう簡単ひかれては税がいくら有ってもたまらない、老化防止のあの手この手は幼いうちからしっかり各自身につけておくようにというべきだ。
 低収入時代で銭も無いのに、やたら飲み食いするんじゃない。苦しむのがイヤなら病気など寄せ付けない工夫を自分で考えよ。
 わが省はこれから国費兆円を浮かすつもりだから覚悟しろ、と唱えたらどうだろう。

 もちろん総スカンで即刻辞任の淵に立つだろう。
 しかし私はきわめてまともな意見であり、是非言ってほしいと思うのだ。
 国民は政府行政の改革ばかりを言うが、国民の心がけにこそ減税も増税も源があると思うものである。

 よく「公僕」などといってへりくだる大臣がいる。
 だが、選挙で選ばれる国務仕事は、小間使いやご用聞きだろうか。
 私はそうは思わない。
 我ら一般市民の能力では考えられないほどの、知恵がある者でないと言えないし出来ないからこそ代表して行うのだ。
 それが義務であり皆に与えられた権利を得て行使できる。
 誇り高い仕事だと思う。

 だから味噌糞一緒の弱者救済などと媚びずに、税の無駄使いの第一番は国民だと真正面から国民に向かって訴える政治家がホンモノだと思うがどうだろう。

 −−おやおやまた血圧があがったようだわい。ばあさんやわたしの診察券はどこだったかなぁ。



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