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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭    2007年06月23日


   メールがこない


「メールがこないむなしさ」ということを聞きます。

 インターネットにつないだ自室のパソコンに、どこかの誰からも電子メールが送られてこない寂しさのことです。
 どこからでも誰とでも会話できる携帯電話にも、おなじく、かかってこない寂しさがあるという。
 いずれも持たない使わない人には味わえない、ハイテクが生んだ新種のむなしさでしょう。

 だがよくよく考えれば、ハイテク時代にかぎらず。
 人として疎外されたり存在を忘れられたりすることはむなしいものです。

 いま寿命が伸びたといわれるなかで、他人はもちろん家族とも関わらず、独りひっそり暮らしている人は少なくない。
 そのまま人知れず逝くこともあるといいますが。

 無限の時空大宇宙で、たまたま偶然に、ともに同時代に生きてきた知人友人らが逝ってしまって。
 待ち人もなく、心休まる場所もないとしたら。
 たとえ考えの異なる意見や非難さえ、とどけられる機会を失ったなら。

 そんな日が自分におとずれることを思ったことがあるでしょうか。


 群れる特性をもつ生物であるわれらは、自分以外の存在から精神的な歓び満足感が得られることが少なくないものです。
 それが人間の悲しい性(さが)かもしれないし、文明社会の発展を保証しているのかもしれません。
 それだけに、他者との関係が得られない寂しさは身体の傷害による痛みや危機感とは違って、心の痛みといえましょう。

 とはいえ、誰からも思われず忘れ去られる運命は、誰もが先で待っている。
 生きている皆が、忘れ去られるその途中を今歩んでいるにすぎないのであります。

 他人事のようにいう自分だって、これまで多くの人を忘れ去ってきたのでした。
 思えば、過去のどんな人気者もヒーローもヒロインも。
 その輝くステージを下りる日がおとずれたのです。

 ましてフツウ人が、平和な国の片隅で生きていれば。
 心の隙間の自己不満足の警告灯は、点滅を多くするばかりかもしれません。

 かくなるうえは疎外感に苦しまないために、対人歓談交換の場や機会に積極姿勢で臨むべきかもしれません。

 しかし同時にまた、群れや他人から離れる覚悟も必要でしょう。
 孤独を楽しむ能力。
 または、待ち、から攻めへ。労力努力もいくばくかの経費も要る気がします。
 いずれにせよ、他人の気分や行動に依存するばかりでは、空虚な心を埋めることはできません。

 たとえば、自力で“夢中楽し”の状態を生みだすことがいい。
 退屈でむなしい時間を、自己満足の時に変える。

 その有効な手だてとして、自分から他者に向けて「送り出せるもの」を生みだせるなら好ましい。

 それには、昨日まで何も無いと思っていたところに、自分が興味を抱くことができる事象対象が必ずあるし、見いだせる。
 そういう目と注意力をもつことだと思うのです。

 興味の対象を見いだすには、自分を幼心にして“その気”になること。
 その気持ちをできるだけ膨らませて、持続継続する工夫が大切だと思うのです。

 生き甲斐というものは、じつは見え方が異なるだけの幻想だと思うことがあります。

 この地上楽園を自力で生き抜くための最大の能力が、「その気になる」ということ。
 庭や小道の草木の一枝一葉のけなげな生命の不思議に。
 見あげた先のぽっかりむくむく雲のかたちや成り立ちに。
 小雨や風揺れる音にさそわれる心の変化に。
 飛来する一羽の宙返りに。
 土塊や小石の形や色にと。

 本来人は多くのものに関心を示し傾注できる好奇心を秘めていた幼少期。
 つまり夢を追って描いて妄想などしてみることが楽しみにつながると思うわけです。

 思えば、人みなが背負い連れ添って行かなければならない“群れる歓び”という性質を満たせた時期は、他愛ないことに無心に遊べた子どものころだった。
 これは、なんとも可笑しいですね。
 幼児がひとりで紙くずに夢中になっている姿。
 あれです。

 幼い時期こそが、花鳥風月、山川草木、森羅万象地上のすべてが興味尽きないおもちゃであり絵本であり、好奇心をかきたてる不思議な館だったのでした。

 さらに意識を高め知識を増やし、難しい情報の山や河をひた走って成長進歩してきて、今につづく。

 そうした夢の博物館の方は今も、何も変わっていない。
 変わったのはこちらの自分。
 脳内の価値観、関心、好奇心。夢。

 今、ニッポンもワークライフバランスの時代。
 余生などという持て余し時間の話ではなく。
 現役や若いうちから、生き甲斐を、生業仕事にかぎらず広く求めよ。
 政府さえが、そう呼びかける社会に今生きている。

 であるならばこの自分は、もの思い感じ考える人間として。
 今心の渇き空虚感をしっかりと受けとめ。
 大人知識情報や大人価値観などリセットして。

 この自然界と再度向き合ってみるのも一考だと思うわけです。

 枯れつつある鋭敏で好奇な芽に、いま一度水を注いでみることで、思いも寄らなかったオモシオお楽しみ気分が湧き出すのではないでしょうか。
 そうなったら、しめたもの!

    記:2000/06/09 /加修:2007/06/20




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