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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭 エッセイ   2012年 4月 7日



   米映画「招かざる客」(1968年作品)


 ご承知の方はべつにして、題名から、サスペンス物、刑事物の類を想像されるかもしれません。でも銃声はもちろん血の一滴も見ることのない映画です。
 そして「自分なら・・」という親心で物言わないで居られない映画なのでした。

 親心、といいましたが、もっと言えば、年頃の子どもをもつ親の身になってしまうのです。
 そうはいってもこのアジア大陸のそばに細長く連なるニッポンでは、これほどに切実な悩みとして襲われることは・・・少ないと思うのですが。
 これはアメリカならではの歴史が抱えてきた悩みそのものといえるでしょうか。

 映画の感想というものでは、ストーリーを述べてしまうことは厳禁。
 まずは出演者の紹介から、この映画の大方の性質というか品位が分かるかもしれません。

 まず悩む親夫婦は、スペンサー・トレーシーとその妻が、キャサリン・ヘップバーンときます。
 で、親心を大いに悩ますことになる張本人が、シドニー・ポワチエとならびます。
 忘れてならない、監督はスタンリー・クレイマー。「渚にて」(1959)
や「ニュールンベルグ裁判」(1961)のひと。

 ここまでで、うーむというなら、かなりの長い映画ファンなのでしょうね。そして社会派作品であることが一目了解のひと、かと。
 そう、静かで重い作品なのです。現代にいたるまで解決したとはいえない類のテーマなのですから。

 社会的に敬意も受けるほどにその身ひとつ一代で築きあげた地方新聞社、その社主経営者。そのひとはじつにリベラル、自由で平等な個々人の権利を重んじる社会を信奉する人間として、それを紙面に貫いてきた男。
 そうした男の人生観にこそ、尊敬と愛情を感じてともに苦労をかさねて、今日にいたった妻であることは想像にかたくありません。

 であるならば、そのひとり娘がなによりその精神を受け継いで育ったのは、当然のこと。それこそが両親の誇りでもあったでしょう。

 とはいえ・・・と、その下地があるだけに、予想外の娘の帰宅でうち明けられたことに二人は悩むのです。
 そしていつの間にか、観ているこちらも自分だったらと、親の立場で何か口走ることになる。

 1968年のアカデミー作品賞にノミネートされ、監督賞を スタンリー・クレイマーが、主演男優賞をスペンサー・トレイシーが、主演女優賞をキャサリン・ヘプバーンが受賞したという、じつに意味深い作品を、NHK-BSで放映して見ることが出来た、という鑑賞日記でした。





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