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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭 エッセイ     2008年 11月 1日


   マントヴァーニ・オーケストラ



 秋も深まって、このところはめっきり晩秋の候。
 朝の明けるのも遅ければ、夕べの帳もまた早くおりてきます。
 つい昨日までの着衣では肌寒くて、上着はもちろんさらにもう一枚羽織って出かけるようになりました。

 枯れ葉舞う北風にコートの襟をたてるようにして。
 一人または二人連れ。あるいは数人で三々五々集まってくる。
 町はずれの公園のその先にそびえる館、大ホールへ。

 私もまた夕闇の街の灯に浮かぶそうした影のひとつとなって。
 正面入り口の見上げるようなガラスドアが開いて。
 踏みこんでみればロビーはにぎやか。
 先に着いた人たちがにこやかに期待に胸おどらせて。
 まもなく開演される今夜のステージへ思いめぐらし、言い交わしている。

 やがて開場のアナウンスが。

 どやどやぞろぞろと大ホールに向かって列になり。
 ひとり幅の入り口で半券をもどされ、紹介パンフレットを手わたされて。
 階段をのぼっては分厚いドアから、広い空間の開場に足を踏みいれる。
 縦横にならぶ座席のあいだを進んでは指定の席につく。

 そこで一息。
 しばしパンフレットの紹介文と添えられた演奏ステージの写真などを見くらべて。
 隣席についた方へ軽い挨拶をしたり。
 そちこちの席の人の動きなどを見まわして、しばらく。

 やがて一階から三階まで響く開演のチャイム。
 ホールの空間を照らしていた灯りが消える。
 と、観客すべての視線は、いっせいに正面ステージに集まる。
 静寂の一瞬。
 ステージ全面をかくし垂れていた緞帳がわずかに動く。
 時を同じくして演奏が開始された。
 待ちにまったファンはその曲がなんであるかとうに承知していて拍手で迎える。

 ・・というかたちで開演されるのがコンサート。

 そしてたとえば、今夜の主役がマントヴァーニ・オーケストラというなら。
 言わずと知れた「シャルメーヌ」がオープニング曲となる。

 演奏のなかで重い緞帳が上がりきる。
 開かれたステージはブルーに照らし染められて、左右に居ならぶ器楽奏者たちが浮きたつ。

 そのほとんどはストリングス。つまりヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスと、弦楽器群。
 中央にクラリネットやオーボエ、トランペットの管楽器も。
 また、うしろには打楽器が。ティンパニーなど、の全30名ほど。
 正装して曲を奏でている。
 世界各地で心待ちしている満場の観客と、こうして出会っては心浮きたつひとときを贈り続けてきた。
 そこに流れ出すメロディーはマントヴァーニが生涯かけて編み出した音色にのって。一時代をつくり、当時一世を風靡したもの。

 彼の名は、正確にはアヌンツィオ・パオロ・マントヴァーニ。
 父はクラシックオーケストラ団員でありヴァイオリニスト。
 そんな家庭に1905年イタリアに生まれ、のちにイギリスで育つ。
 そしてこの弦楽器群(ストリングス)を多用したオーケストラを組織して、育てては美音を完成させた。

 今ではあまり聴かれない軽音楽系オーケストラ。その世界で王者とまで言われたのでした。
 ポピュラーミュージックの名デザイナーといったところでしょうか。
 わずか数分間の演奏曲に夢世界を現して聴かせる。
 一曲一曲にこの一音あの章節を付加することで絶妙な味が生まれる。
 微妙で繊細なサウンドデザインの妙。
 それが編曲(アレンジ)の冴え。

 マントヴァーニサウンドとはどんな音色か−−
 自慢のストリングスを数セクションに分けて。
 それぞれの演奏タイミングを少しずつずらして発音してゆくというもの。
 すき間なく流れるように音程をずらしてゆくと・・。

 高音部から低音部に向かって流れ落ちたかと思えば、低いほうから高いほうへ駆け上がってゆくように聞こえる。
 ひゅるるるるる〜。らりららららら〜、と。

 何はともあれマントヴァーニオーケストラの演奏を聴いてみるのがいい。

 ここで「グリーンスリーヴス」。
 この曲はイングランド民謡であり、移民としてアメリカ大陸に渡った人たちが故郷を懐かしんだ曲でもあるとか。
 レイフ・ヴォーン・ウィリアムズによって曲にまとめられて知られるようになったようです。


 続けて「煙が目にしみる」という曲などいかがでしょう。
 場末のレストランでしょうか。
 窓辺の席に向かい合う男女二人。
 女性が見つめるその目をそらしたままの男性。
 ふとタバコに火をつける。
 と、女性が「煙が目にしみて……」とつぶやいては、そっと濡れた目のふちに細い指をもってゆく。
 そんなシーンを演奏しているようです。


 彼の編曲による演奏指揮はクラシック曲からスクリーンミュージック、ミュージカル曲、ほか世界の新旧あらゆるポップス曲をこなしました。
 民謡もあれば世界の歌謡、シャンソンやカンツォーネやジャズ。あるいはコンチネンタルタンゴほかラテン曲も。
 どれもがメランコリーな編曲に料理され、しっとりと響いてきます。

 次は「枯れ葉」がいいですね。
 ジョセフ・コスマ作曲の古いシャンソン。
 今年もまた枯れ葉の季節が来てしまった、と並木道で思い出すのは恋しい面影でしょうか。

 こうした演奏のどれもが、今レコードやCDで聴いても甘いマントヴァーニサウンドとして目前に展開される。
 私も自室で聴くたびにこの音色はやはり王者の座にふさわしいと再認識してしまう。

 ところでステージに目をやると、平均年齢はけして低いようには思われない。
 けっこうなお歳のおっさんやおばさんが、なかにはかなりの老い顔もある。
 若いとは言い難いそれらの人たちが、微笑みをもってなに焦ることなく。じつに手慣れたふうに演奏しています。

 だのに、そうした方々の手指の動きによって醸し出される音といったら……。
 花も恥じらうようなじつに清楚な音色、あるいは悠久の星空に吸い込まれそうな響きなのです。
 こうしたものこそが腕であり才能の成す芸なのでしょう。

 私はこのマントヴァーニオーケストラを二度ステージ鑑賞することができました。
 でも残念ながら、すでに御大マントヴァーニご本人亡きあとでした。
 それでもマントヴァーニの流れるようなストリングスサウンドは健在でした。

 このオーケストラの演奏の鉄則は、けして電気音響を通して聞かせない。
 つまりマイクロホンで演奏音を拾って電子的に拡大した音を会場に流さないのです。

 ですから総勢30人ほどのストリングスのサウンドは大ホールには少々静か。
 けれど耳が馴れてくるにしたがって、しっとりとしてじつに味わい深い響きであることが分かる。
 爽やかな明るさのなかにも哀愁をふくんだ感じが表現されている。

 ここで「イタリアの幻想」と参りましょう。
 カンツォーネの、サンタルチアやフニクリ・フニクラ、カタリなどが、明るくメドレーで聞かれます。

 そういえばこの人が生まれたのはイタリア。弦楽器名器のふるさと。
 ヴァイオリンを覚えて家族でイギリスへ渡ってからは、ファミリー数人でそちこちの場で演奏したようです。
 そうした場で軽音楽(大衆音楽、ポップス)の勘所を身につけたのでしょうか。
 コンサートというよりもサロンとか、夜会ほか人が集まりしばし休息しては去るラウンジのような場の演奏でしょう。
 それだけに人を惹きつける要点を心得ては、多くの人に知られていったのではないでしょうか。

 のちに彼は仲間を増やして小規模なオーケストラを興した。
 今風にいえば起業ヴェンチャーというわけでしょうか。
 その看板には自分の名、マントヴァーニ。彼のオーケストラには自慢のヴァイオリンを多用したというわけです。

 いっそう得意分野を活かして、独自の音色を編み出していった。
 その音色は、絹糸か滝の白糸のような、心が洗われるほどの音色となって。
 やがてカスケーディング・ストリングス「滝の落水のような響き」と言い交わされるに至った。
 その極めつけとしての「シャルメーヌ」がオープニングテーマになって。
 カスケードするストリングスの流れるような音色がこれでもかと聞かれます。


 戦後、平和の喜びにあふれた世界はラジオ時代となった。
 レコードの時代がそれへ重なって彼の音色が世界中に流れ、疲れきった人々の音楽心を魅了していった。
 世界に受け入れられたことで、ポップス(大衆音楽)界にムードミュージックという新ジャンルをきり拓いたともいえる。
 このポップスとは現在のヤング系ロックミュージックという意味とは異なるものです。
 とくにムードミュージックは、ある種ホームミュージックでもあり、またファミリーミュージックとも言えるものです。
 家族みんなで楽しめるちょっとエレガントな音楽。

 ここでクラシックから「別れの曲」ショパンの練習曲を聴きましょう。
 健康的でありながら、どこかロマンティックなメロディーラインは、ただただうっとり感に酔いしれるストリングスの艶。

 こうした演奏に器楽の名手たちを多数集めて、ポップス曲を演奏するということを今思えば、何と良い時代でしたでしょう。
 なにせ皆がその道の基礎と実力をもった名人たちなのですから。
 とても現代のような人件費高騰の時代では考えられない豪華で贅沢な軽音楽です。

 当時この分野の音楽が好まれて盛んになって。
 マントヴァーニと同スタイルの、独自サウンドと編曲を誇るオーケストラが各国に誕生しました。
 まるで花が咲き乱れるように艶やかな音楽の饗宴の時期でした。

 当ページ掲載の「ポップス・オーケストラのこと」にも書きましたが−−
 ウェルナーミューラーオーケストラ
 フランクチャックスフィールドオーケストラ
 101ストリングス
 ポールモーリアオーケストラ
 レーモンルフェーブスオーケストラ
 フランクプールセルオーケストラ
 パーシーフェースオーケストラ
 ビリーボーンオーケストラ
 クレバノフストリングス
 アルフレッドハウゼオーケストラ
 マランドオーケストラ
 ジョージメラクリーノオーケストラ
 リチャードクレーダーマンオーケストラ
・・などなど。

 こうした指揮者名のオーケストラがそれぞれお得意のこの一曲、十八番(おはこ)のテーマ曲をかかげては、ムードミュージックの世界に花をそえたのでした。

 その隆盛に押されて、なんと本格クラシックオーケストラまでがファミリーコンサートを企画したほどです。
 なかでも有名なのがアーサーフィドラーがボストン交響楽団を指揮する、ボストンポップスオーケストラ。
 いや、おそらく世界の交響楽団のほとんどが馴染みやすい軽音楽で、ファミリーコンサートを行ったのはないでしょうか。

 後にわがニホンにおいても−−
 團伊久磨のポップスコンサート。
 これはたしか読売日本交響楽団を團伊久磨が編曲指揮して。
 放送はニホンテレビ。

 山本直純のオーケストラがやってきた。
 新日本フィルハーモニー交響楽団を山本直純編曲指揮がTBSで。

 黛敏郎の題名のない音楽会。
 これは東京交響楽団を黛敏郎が現asahi-TVで。

 NHK交響楽団は岩城宏之指揮で。

 ・・と白黒からカラーに切り替わる前後のニホンのテレビ時代のことですから、ご存じの方も多いはず。私もじかにステージを楽しんだのが今懐かしい。

 ここでちょっと思ってみていただければ。
 現代の笑い声がわき出すお手軽番組時代の民間放送がそれぞれ。
 当時こうしたファミリー感覚の音楽番組を週一でもっていた。

 それもかなりの回数をスタジオから出た公開番組。
 文化活動としても効果は大きかったと思われます。
 それなりに愛されて長寿だったことは、今にして考えれば興味深いことではないでしょうか。
 なにせ毎週フルオーケストラ。100人サイズです。
 練習場もふくめた経費は相当なもの。

 選曲だって編曲だって費用はばかに出来ないことでしょう。
 それでもスポンサーは付き視聴率が取れた。

 戦後ニッポン復興の最盛期。一家に一台大小のステレオプレーヤーが入っていった。
 当然それらからは音楽が流れたわけです。
 してみれば、人々の心は今よりずっと音楽に馴染んで求める余裕があった。

 今、豊かになったというけれど、無いものは何もないというけれど……。

 今にち、ムードミュージックオーケストラを放送で見聞きすることは滅多になくなりました。
 なぜ、あれほど愛されたストリングスオーケストラの音色が聞かれなくなったか。

 先にあげた当時演奏を競った団体は、その編曲指揮者が世を去って。ひとつ、またひとつと消えてゆきました。
 今それらのステージの灯が消えて、もう戻らぬのを思うとき。
 こうして手元にある何枚かのレコードやCDを聴くとき。

 幾つかの生のステージを目の当たりに楽しむことができたのを思えば、その幸運さに感謝せずにはおれません。

 そうした夢のようなステージの雄、マントヴァーニの、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」の演奏を聴きながら話を終えることにいたします。

 ブラボー、マントヴァーニ!




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