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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ    2009/03/07


   「目黒のさんま」的はなし



 私たちの生活の現場というとこの社会。
 俗に“娑婆”(しゃば)とでもいわれるこの地上。

 この市中に暮らす下々のことなどはまったく分からない人もいる。
 市民実生活のありふれたこのステージに疎い人はいるのです。
 そのことを江戸の当時、可笑しく喩えた落語に「目黒のさんま」があります。

 あの話は季節魚さんまを例に語られる。
 けれどその主題は、庶民生活と大名など雲のうえの有閑人との、意識の差その可笑しさです。

 地方出の江戸詰めお殿様が家来と馬の遠乗りドライブをする。
 安泰の時代のお殿様生活は閑なのだ。これといってシゴトもない。
 それでいて日ごろ大屋敷から出たことがない。
 となれば、庶民の暮らしは見たこともない知らないまま、はあたりまえ。

 その日殿様はいつもになく気持ちがのってかなり遠出となった。
 当時は田舎であった目黒にまで至ったという。

 季節は秋。突き抜けるような青空の晴天だった、その昼時分。
 汗を拭きながら木陰で一休み。

 と、どこからともなく空腹に堪える匂いが。

 三太夫。この匂いはなにか?

 はっ。さんま、という下々が食す魚でございまする。
 殿様のような高貴なかたの口に合うようなものではございませぬ。
 と答える。

 いや。一国をあずかる城主であれば、万一のときにあれが食えぬこれが不味いなどとはいえまい。
 許すぞ。何なりとこれへ持て。

 殿はもっともらしく言う。が、空腹なだけのこと。

 そこで三太夫は側近の農家を訪れ炭焼きで旬のさんまを持ちだした。
 じりじり脂たれるあの細長い姿があらわれた。
 いかに食すか、と問えば大根おろしに醤油をかけた。

 これは美味しい。次を持て。の繰り返し。
 殿は満腹になるまで大いに食した。
 屋敷内でこういうことはけして許されない。

 そういえば「武士の一分」という映画で、山形の殿の食事模様が描かれていました。
 万一の場合を想定したお毒見役がいて毎回徹底チェックする。
 異常なきものだけが殿のお口にとどけられる。

 そんなわけで屋敷にもどってからの三太夫は、さんまごときものを殿に直に食させたなどと同役に知れたら切腹ものだと気がきではない。

 ところが殿は合うたびに、三太夫さんまは美味であったぞ、という。
 そしてまもなくの、ある日。殿はたまらず食事の献立を注文した。
 いうまでもない、さんま。

 おい凸凹氏聞いたか。殿はさんまごとき魚を所望したという。さてどこで知ったのだろうか。それよりもお出ししてよいものかのうぉ。
 とかなんとか家臣らは、2兆円交付金ごときレベルをこえて、騒然としてしまう。
 こちらの話し合いは誰をも生け贄にも血祭りにもせずに、可、と決した。

 ところが殿の目の前に出されたものは、例のごとき。屋敷のシェフが腕によりをかけてつくったはいいが、解して固めて煮た蒸したのものばかり。
 夢にまで見ていた銀うろこじゅわじゅわ焼かれて脂したたる細長い姿ではない。

 殿はシェフを呼んで問う。
 これはどこのさんまであるか? じつに不味い。

 恐縮してかしこまる関係者に、さらに一言。

 あぁ、いかんいかん。さんまは、目黒にかぎるぞ!

 この一言が落ちとなる。


 落語の補足解説ほどヤボなことはないが、いうまでもなく陸の目黒はさんまの名所でもなければ海魚が獲れたりはしない。
 お殿様の生活体験では、そうした地理や物流状況がまったく分からない。
 初めてのさんま体験のお殿様にとって、さんまは目黒、でしかないというわけ。

 生活の次元の違い。
 いわゆる生活レベルの大きな格差によって、非日常のこととなって逆転しては、お笑いのネタを生むというわけでしょうか。
 こーんなことも分からないお殿様、と皮肉った江戸庶民の笑い話でしょう。

 また当時の江戸っ子は、地方出の大名たちをおもしろ話の種にすることがよくあったとか。

 かようなわけで価値観の共有などとよくいうが、日本は単一民族で同一言語などといわれるけれど。
 ある程度の同質さというか生まれ育った環境や生活基盤が同レベルでないと、話がすれ違うことが少なくないように思うわけです。
「目黒のさんま」のお笑いは庶民同士であれば元から成り立たない嗤いですから。

 生活レベルや生い立ち環境の差といえば、縁組み相手選びの条件として。
 今どきは結婚相手を親が決めるというと苦笑されます。
 いや今そんなことは下々にだって存在しないと言われるかもしれないが。

 終戦時、在日米軍の人たちは日本の女性が親の決断に耐えていたことに驚いたという。

 とはいえ慎ましく育ったといえば聞こえは良いが極貧育ちのシンデレラ。彼女がいかに自由選択とはいえ貴族社会の頂点に嫁いで、さて幸せに暮らせる確率は少ない気がします。
 まして血筋血統などの今で言うDNAを厳選したい思いの家系となればいっそうこだわったことでしょう。

「お里が知れる」と言葉にもあるように、身に付いた価値観や生活習慣は消しがたい。
 昨日までの当たり前が通らない生まれ育ちの違いや、家風しきたりがまったく異なることで悲痛なまでの苦労があったとはよく耳にしました。

 してみれば経験的価値観をもつ大人目線で人も家柄も評価査定して縁を結ぶのも、またひとつの考え方ではなかったと思うわけです。

 じっさい当時親が決めることにどれほどの強制権があったか私は分かりませんが、皆がみな自由を束縛されて苦しむロミオやジュリエットだったわけでもないでしょう。
 査定する裏には、米軍の記録とは視点が異なるシンデレラの失敗回避の親心もあるように思うがどうでしょう。


 さて今世界は大不況に渦巻く滝として流れ落ちている。
 どこが底なのか知れないという落ちこみはまだつづく。
 これが庶民多数共有の認識だといういことに異論はないだろう。

 ・・・と思えば。
 先の例のごとく、感じ方その温度差はあるわけです。
 不況の寒風など知りもしないし微風ほども感じない江戸詰めお殿様のような、生活色がきわめて薄い人もいるでしょう。
 ですから迂闊に断じてみても同感ばかりではないというわけです。

 ほかにも社会的立場や政治的思想的な背景そして知識情報の差によって、冷風への温度感は様々なわけです。

 先にあげた「目黒のさんま」の噺のまくらでは、殿様がどれほど世情にトンチンカンかというひとつの喩えが語られます。

 殿様は、江戸城の廊下で、すれ違いに米の値上がりを嘆くうわさを小耳にする。
 下々のちょっとしたことを知っていても情報通のふりが出来るので、これは良いことを聞いたと記憶にとどめる。

 屋敷にもどって得意になって。今市民は米の高値に困っているというが気の毒にのうと、やった。

 ははぁ。殿の勉学とお情けにはおそれいいります。して、いかほどの値で?

 この問いにもっともなる顔でうる覚えの数値をいう。だがその単位がいけなかった。
 庶民にはほど遠い「両」を付け加えた。今でいう数万円ほどの単位か。
 困った気の毒とはいうけれど、けっきょくは他人事のお知識。

 ここで庶民観客は爆笑となる。
 米が高いとて、そこまでは上がるまいと江戸っ子がこの噺に、下々の生活状況の無知ぶりを嗤うわけだ。
 殿様なんてものはよぉ、なーんにも分かっちゃいねぇんだよぉ、と。

 またある噺家はこうした身分による意識の差を「上・中・下」の漢字文字に喩えた。
 「上」の字は「ト」の下に横棒(一)があるから、下が見えないのだと。
 また下の字は「ト」の上に横棒(一)があるので上が見えない。

 中間にいる者だけが上にも下にも棒が突き抜けているので、上下両方が見えているというわけ。これはじつに上手い喩えですね。

 それほどに当時の地方の大名や江戸詰めの殿様にかぎらず、「上」の有閑なる人々は分かっちゃいないということなのでしょう。
 庶民の笑いの種になるほどの閑人。生活のほとんどの時間をもてあまして過ごす人。

 不況のなかであくせくする下々の私などとはちがうそうした安全地帯に居慣れて。可笑しいほどに間のぬけて見える有閑殿様とは、今ではどのような人でしょう。
 寒風も冷気も知らない感じないですむ彼ら彼女たちと、巷の景況にあえいでいるわれら庶民とは、同じ報道の記事文字に同じ温度感をもつことは難しいのでしょうね。

  不況だ困ったというが、いったい幾らで生活しているのかね。
  なにぃ200万円!? あぁ月200万じゃたしかに辛いだろうさ。
  いやお気の毒だ。政府がなんとかしてやらなくちゃいけないねぇ。

 お後がよろしいようで・・






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