・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
夢舟亭 エッセイ 2008年3月3日 命日 灯をつけましょ ぼんぼりに〜 お花をあげましょ 桃の花 五人囃子の笛太鼓 今日は楽しいひなまつり〜 お宅ではお雛さまの飾り、いかがでしょう。 うち!? ふふ。いいえ、わが家では、みな男児(おのこ)ばかりなので。 いつの年もこの季節のこの日に、紅い雛段を見るとうらやましいばかり。 そうして送ってきた日々もすでに遠い。 いえわたしはいいんです。 でもねぇ家内はさすがに寂しそう。 それで……意を決して買い求めました。 なにをかというと、うふふっ。小さな、市松人形です。 なんともまぁ愛らしい笑顔。 ピンク色のほほがふっくらとして。 可愛いったらありゃあしません。 老妻もつい目が細む。 いい歳した婆さんの、あかりをつけましょ〜、はこうしたわけからです。 でもねえ……可愛いとはいいながら、人形はただの「物」です。 材料を分析すればプラスチックなどの合成樹脂。 それを人の姿に作りあげると、どうして爺婆にかぎらず人の心に優しげに感じられるのでしょう。 ちかごろはロボットの開発も盛んなようです。 癒し系から救助用や介護ロボまで検討中とか。 ですがどこまでいっても、それらは、物体。 それなのに、木彫りにしろ土偶にしろ壁画にしろ。 なんらかの見えるかたちに人の姿をあらわすことは、人の歴史がはじまったときからあったようです。 遺跡から出土した棺に人形の守り役として入っているのもきいたことがあります。 とくに高貴な家系の幼子の棺に。 ひな祭りの段飾り人形も、そういう人たちの祝い事からはじまったのでしょう。 高貴といえば、お墓というものが現代のような庶民一戸ごとの墓石になったというも、つい100年こちらのことという。 それ以前の一般人は、土盛りの置き石ていどだったといわれます。 たしかに墓参りで他家の彫り文字に、江戸期以前の没は見ないように思います。 またモーツァルトがいっぱひとからげの無名墓に捨てられるように葬られたという。 だが王侯貴族でもないかぎり、当時だいたいがそういう状況だったとも聞いたことがあります。 いわれてみれば、たしかにこの世に生をうけた人みーんなが墓地をあらたに増やしていっては、日本中が墓の島になってしまいそうです。 ほどほどの辺りで無に帰すのがよろしいようで……。 お墓のはなしついでにいえば、死後の世界はあるのか。 神のもとに行くというけれど。 人それぞれ好きなように考えているものを、ことさら肯定否定の波風も無粋でしょうが。 どうも、わたしはすべてが無になるという気がしています。 自然のなかに分解された物質や土塊になるだけ。 ですからわが家系の墓はこのさき増やさずに。すべてこの地の墓穴にもどってくるように遺言したいと思うのです。 骨粉としての投棄場所としての墓です。 あの人といっしょの埋葬はごめんだ、などを言ったりします。 が、死した自分は無であれば。 気持ちも思いも考えもなし。 できるだけ早めに跡形のこさず、地上をお返しする策こそ必須かと思うわけです。 ところで自分の最後。そのお通夜に。 流してもらうとしたらこの曲かなというようなものはありますでしょうか。 今どきのお坊さんなら、何を流そうが本人の希望というならとやかくいうことはないでしょう。 とはいえ、さてその1曲となるとなかなかいこれは悩ましい。 冠婚葬祭のなかでは、婚がいちばんこのての悩みが多いのでしょう。 先日も息子がCDをとっかいひっかい、友人の祝宴の企画を思案していました。 そういえばパソコンの画面でも何か編集していました。 パソコンの機能向上と映像メディアの多様化にともない、素人の企画がそういう場をいっそう楽しくしてくれる時代のようです。 そんな状況ですから、生前の本人の生き方生き様をあらわす「戒名」よりも、もっと頭を悩ましそうな通夜の一曲。 自分らしい曲を遺言にしておきたいなどと思ったりもします。 ところで墓石の側面に朱文字の戒名が彫られてあったりします。 あれは存命なのに彫ってしまった戒名ですね。 それとおなじに、葬儀場や式次第とかを言い遺していることもあるという。 であれば、通夜のこの一曲もありかな、と。 葬儀のはなしといえば、人の死。 人の死について思うと。 幼い頃や若い頃には、素朴に純粋に、心から悲しみ悼んだものでした。 そうしなければいけないとして諭されて育ちました。 友だちや知人親戚などの死にたいしても素直に悲しめました。 ところが、どうでしょう。 だんだんと歳をかさねてくるにしたがって。 人の死というものに、なぁんとなく馴れたというか鈍感になったという気がするのです。 どこかいい加減な気持ちで対処してしまっている自分に気づきます。 おじさんヨ、少しは悲しめよ。 と、俗なる娑婆に馴れ染まってしまった自分を、無言でなじったりします。 そんな俗人じみて干からびた心に。 ふと若い頃の素直な気持ちを呼びおこしてくれるものがあったりします。 聞くとはなしに耳にした一曲。 またはふと目にふれた雑誌表紙やグラビア写真に添えられた一枚の絵。 たまたま見たテレビのトーク番組で朗読された一遍の詩。 そういうものが心の煤煙汚れや、錆を洗い流すように。 あるいは乾燥してひび割れの地面を水流が潤おすように。 脳細胞を清水で洗われるようなひとときがあります。 日ごろ雑事に忙殺されて意識することはないけれど。 みーんなそれぞれに心のうたのひとつなどがあって。 その思い出とからめて心の奥底にしまっていたりするわけです。 まぁ歌や絵や詩などは、腹の足しになったりお金が儲かったりはしないのだけれど。 でも、やはり、世の中に無くて良いかといわれれば……それは寂しい。 思えば、亡き母のもっとも思い出に残る曲が何であったか、今もって分からない。 音楽が嫌いな人ではなかったのだけれど。 いや、芸事はなかなか凝るほうだった。 わたしが憶えているのはお花に日舞にカラオケに三味線に墨絵に……。 ある日。わたしの子たちに、音楽は良いものだから是非何かやらせなさい、という。 聞きながしていると、ピアノがいいと真顔になった。 そのときわたしは驚いた。 私の子はみな男の子なのですから。 子どもらの父であるわたしが躊躇しているのもかまわず、間もなく連れ出しては通わせはじめた。 そして契約して教習費用を払ってしまった。 まもなく運び込まれたアップライトのピアノ。 4人の子でやれば一人あたり−−万円だよと。 設置場所だって妻と決定済みのようだった。 母がそのぴかぴかの蓋をあけて弾きだした。 はじめて見たそこから流れたメロディーは、ちゃんと曲になっている。 けれど、どうもピアノの弾きかたではないような指の動き。 指が鍵盤を押しつけるような感じでした。 訊けば、幼いときに習いたくて居たのだけどねぇという。 親がそんなものは不要だと相手してくれず、けっきょく許されないままだったのだと。 そこで紙に描いた鍵盤で練習したオルガンのための、指の動きなのだとわらった。 買えないで終わった幼い頃の思いを、今孫に託したというのだろう。 ということは女の子どもがなくて、今市松人形に喜ぶ妻の思いもこうした心残りなのかもしれない。 ピアノの発表会ステージには、蝶ネクタイと半ズボンのわが子より、長い髪にリボンをつけてやることができる子を願っていたのかもしれません。 今恥ずかしながら、あのときオルガンふうに弾いた母の曲名を、私こと不肖なる息子は思い出せないで居る。 だからでしょうか。 天にましますわが亡母は、私どもの男ばかりの子どもに、さらに男の子ばかりを授け与えてくるのでした。 私のそんな男の孫たちは、みな、母の買い与えておいたピアノの蓋をあけたがるのです。 この3月。芸事の好きだった母の命日がまたやってくる。 あなたのひ孫たちはみなピアノに触れたがっていますよ、と報告しよう。 |
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