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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


夢舟亭 エッセイ   2005年12月14日

   メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」

 世のため人の為の行いで名前を遺した人というものは、どこか貧しさに耐えてうち勝ち、その末に成功を手にしたと伝えられることが多い。
 それは偽りではないのだと思います。
 やはり生活苦ほど多くの真実を教えてくれる教師というものはないだろうと思うからです。恵まれない環境ほど良い学舎はないという意味です。

 芸術というと、文学、美術、音楽があるわけです。
 このどれもが人の精神活動の結果であるからには、貧苦から味わう精神への刺激ほどの発芽栄養はないのではないでしょか。
 それは人世の陰や裏の真実に触れることが多いからではないでしょうか。
 後に突出した成果を生み出した人には、幼い頃の貧苦の経験が多いのもそうしたことのゆえかと思うのです。
 三児(三才の子)の魂百までも、というけれど。
 幼い頃に、のほほんとしていたら、人の苦しみ悲しみに関心など持ちようがないのではないでしょうか。

 音楽分野の話でも、たとえばベートーヴェンやシューベルトはもちろん、モーツァルトだってけして経済状況に余裕があったとは言われていない。
 しかし、それにもかかわらず・・・という先で、多くの人類の遺産を生み遺した。
 この点は素直に拍手を贈って良いと思うのです。
 もっとも今日音楽家と言われる人たちが、18〜19世紀の当時経済的に恵まれた職業であったかどうかは、かなり疑わしいと思うわけです。

 いったい誰が彼らに富を恵み与えることが出来たか。
 少なくとも一般市民の懐のサイフにはそんな音楽を鑑賞するなどというおカネも、まして時間などの余裕はなかった。
 音楽に関心があってそれへつぎ込む余裕があったのは、王侯貴族などの富裕層ですね。
 そんなわけで、王侯貴族の嗜みというべきか楽しみの一つとして、音楽があった。
 そのお楽しみを生みだすのが当時の音楽家たちだったということ。

 では富裕層の恵まれた家庭環境には音楽家は育たなかったのか?
 べつにヘソ曲がりではないけれどちょっと問いたくありませんか。
 豊かで恵まれた家庭に育つと、どうしてもわがままに育ってしまって、つい人情味の無い子になる。
 という定説もあります。
 これもなかなかどうして的を射た意見だとは思う。

 でも子どもが育つにおいては、あくまでも生まれて一番目におつき合いする人間が問題。つまり両親の躾ご指導次第。
 富豪ともなれば両親のほかに乳母とか家庭教師でしょうか。
 揺りかごを揺らす者が世界を制す。
 良くも悪くも最初の大人の影響が大きいという意味は分かりそうな気がします。


 前置きがまた長くなったのですが今回の音楽家はメンデルスゾーン。
 フェリック・メンデル・スゾーン。スゾーンさん家(チ)のフェリック君。
 フェリックとは、モーツァルトのアマディウスと似た意味の様です。
 つまり幸運な者ということらしい。

 この名に偽りのないほど恵まれた家庭、ドイツのユダヤ人。
 スゾーン家だったと言われてます。
 父親一代で富を築いた商売上手。
 豊かであった親の元に、何不自由なく生まれ育ったのがフェリック・メンデルスゾーン。

 富める父の元に寄り集まる多くの著名人たち。
 その歓談の場にちょくちょく妹とともに引きだされたとか。
 そこでわれらのメンデルスゾーン君が演奏する機会を与えられたと言われます。
 したがって人前で音楽を演奏し、聴いてもらう楽しさが自然に身に付いたのでしょう。
 なにせ父の交友はゲーテなどの文化人も居り、教養が教養の衣を羽織って訪れ、教養ほとばしる方々の会話で溢れていたのでしょう。

 また素晴らしい邸宅であるスゾーン家にはホールさえあったと言われます。
 そんなわけでメンデルスゾーンは文化という空気を吸いながら大きくなったようです。
 毎日が一流学府のような自宅となれば、まっすぐな人間精神を養ってすくすくと育ったのも無理からぬこと。


 さて今ヴァイオリンコンチェルト(協奏曲)といえば、ベートーヴェン、チャイコフスキー、そしてメンデルスゾーンとあげて異議を唱えるかたは少ないでしょうね。 ブラームスという方も居られるでしょうか。
 むろん他にも多くの名曲はある。
 ですが私の様な素人初心者が思い浮かべる良く知られた三大ヴァイオリンコンチェルトには、このメンデルスゾーンの作品をあげることはしごく真っ当かなと思うのです。

 メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトと聞くだけで、もう導入部の「ららー、らりらり、りらららら〜・・のあの切ないほどに甘いメロディーが、耳の奥で鳴り響きます。
 切ないのだけれどけして悲しいというのではなく、まして陰鬱さなどはない。
 あくまでも一時の夢見る様な、心の中に湧き出るほどの甘い切なさでしょうか。

 人生の明暗を分ける一大問題に悩んでいるというのではなく、人として時に感じる心の明暗抑揚を楽しむ詩歌の様なものでしょうか。
 しかしそれはそれで素晴らしい夢世界に酔えるコンチェルトなのです。

 そしてこれこそがメンデルスゾーンの音楽世界の素晴らしさと私は思うわけです。
 恵まれた家庭、そして多くの文化人の影響を受けて。音楽のあるべき姿をまっすぐに学んだというように感じます。
 もちろん芸術に限らず、多くの分野を理解しえたことでしょう。
 彼の恵まれた条件を充分に享受し、理解し昇華しうるほどの素養、つまり賢明さを持っていたというべきか。
 そのことこそが最も恵まれた条件であったのかもしれない。

 もっとも彼の家庭的な面と彼の立場では、音楽を究めるという希望を入れて貰えたかどうか。
 やはり家業を継ぐためには経済、商業。そちらの分野を家族は期待したのではないだろうかと思うわけです。
 けれど彼の心に灯った音楽の炎は強かった。

 このヴァイオリンコンチェルトは35才の作品となるようです。
 こうしたメンデルスゾーンの恵まれた環境をモーツァルトやベートーヴェンに与えたとすれば、どんなだったろうという評論家も居られるとか。

 それにしても、モーツァルトにしてもシューベルトにしても、このメンデルスゾーンにしてもあまりに若死になのです。
 だから30才ほどの年齢で生み出した名曲が多い。
 だのにです、人生の達人といえる経験豊かな高齢世代が耳にしても充分説得力を感ることが出来る。
 深みや味わいなどの人間精神を共感し浄化せしめるだけの高いレベルの音楽性が宿っている。
 これはけして並大抵なことではなく、なかなか出来ない才能の成果ではないでしょうか。

 たとえば30歳前後の誰かの思いや考えを見聞きして、さて人生の先輩達をどれだけ説得共感できるでしょう。
 日頃私などの凡人中の凡人でも、30才前後の方々のご意見を拝聴して、合点や賛同出来るなどはなかなか無いものです。
 正直なところ何か物足りないという思いが残る。まだまだだなぁという感じがあるのが普通です。
 その方が今口にしている考えや思いは、これから先においてまだまだ変わるだろう。完成した自分の言葉ではなかろうと読めてしまう。
 変化の起点は誰しも経験の山越えの時と回数か。

 だからどんな言葉で飾られても、何か未完成で不足している部分が見えてしまう。
 つまり説得されるだけの重みとか高さが感じられない。
 もちろんそれはごく一般的であり普通なのですけれど。

 ところが世界的な才能が現す成果というものには、そういう疑問や不足感がほとんど見られず聞かれない。
 わずかこの年齢においての作品なのにです。
 ここが、偉大さ由縁ということではないでしょうか。

 だがしかし、われらがメンデルスゾーンもすべての点で恵まれていたというのではないのでした。
 そこが神の思し召しとでも言うか、ある意味の公正さなのでしょうか。

 命、という金銭ではいかんともし難い持ち時間がとても少なかったのでした。
 享年38才。
 当時としても短命と言えるのではないでしょうか。
 惜しいことです。

 そうした彼の作品の、たとえば「スコットランド」や「イタリア」「フィンガルの洞窟」などの交響曲。
 それぞれを生み出すに至った経済的にも充分恵まれた人らしい楽しい旅行があった。
 訪れた先の遺跡や町風景をそのまま心にとどめて音楽に描いた。
 どの曲もそれらしく清々しいまでの音楽描写だと感じます。
 愁いを含んでいるという部分も、あくまであのコンチェルトと共通する詩情を感じます。

 またシェークスピア作品が題材という「真夏の夜の夢」は、何と17才から取りかかったという。
 そうです。今では結婚の式によく聞かれますね。
 メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」からのあの「結婚行進曲」。
 ワーグナーの曲と並んで、結婚式の曲としてあまりにもポピュラーになってしまいました。
 パパパパーパパパパーパパパパーパパパパー、パーラッパパパパッ、パーパーラッパッパー・・のあれです。

 生み出した作品から芸術家の人柄を思い知るのは、やはり心の表現という種類の成果物となれば当然のことではありましょう。
 ですがメンデルスゾーンの人となりは作曲という以外の、もう一つの側面から知ることが出来るのです。

 それはバッハ、バートーヴェン、シューベルトのすでに埋もれてしまっていた作品の発掘初演をしたということです。

 この話の前に、ちょっと音楽の歴史。
 と言えばオーバーですが当時の音楽家の生れ年順を並べてみましょうか。
 バッハ(1685-1750)、モーツァルト(1756-1791)、べートーヴェン(1770-1827)、シューベルト(1797-1828)、メンデルスゾーン(1809-1847)。
 ショパン(1710-1849)、シューマン(1810-1856)、リスト(1811-1886)。
 つまりメンデルスゾーンが生きた時期には、もう偉大な方の何人かはこの世の人でなかった。

 もっとも今でこそ偉大なるというが、世界の人々が称賛しだしたのは100年も後ではないでしょか。
 なにせ世界の市民が音楽に触れる機会が与えられたのはそう古い話ではなおのではないでしょうか。
 わが国で考えても、市民が音楽を楽しめたのは戦後でしょうし、生活にゆとりが出たのもここ三、四十年といったところでしょう。

 ですから当時音楽作品が、どれだけ価値を認められて整理され、大切に保存されたかとなると疑問が多い。
 いつの世も今この時の利害損得の儲けが優先されるもの。
 過去個人へ贈呈されたとか、たぶん親戚の者が預かった遺品の中に紛れたとかいう、紙数枚の楽譜など気にもとめないのではないか。

 そういうものは誰かが価値を認識して、相当の経済的時間的な努力を注いで見つけださない限りは、永久に紙くずとして埋もれ消滅してしまうことでしょう。

 そうした数々を探しだしたのがわれらがメンデルスゾーンだったと言われます。
 作曲家本人さえ耳にしていない曲や、不評のまま埋もれた曲の再演などを、行ったというのです。

 このご苦労により、現在の私たちが危うく耳に出来ないで葬られたはずのあの曲この名曲が数多くある。
 メンデルスゾーンの音楽に対する、そして先人への敬意の思いにより無事救出され、日の目を見たわけですね。
 それはたとえばバッハのマタイ受難曲であり、ベートーヴェンのバイオリン協奏曲であり、シューベルトの交響曲「グレート」ほか多く、というわけです。

 恵まれた余裕とはいえ、思えば短い人生の幾らかを、そうした発掘に割り当ててくれた人柄、人間性に世界の音楽ファンが感謝しなければならないのかもしれません。

 恵まれた家に生まれた賢明なるメンデルスゾーンの豊かな精神に乾杯しましょう。





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