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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


夢舟亭 エッセイ   2005年11月19日

    シューベルト「未完成 交響曲」

 音楽業界と言いましょうかクラシック界と言えばよろしいのか。
 現在世界で、知られた名曲が演奏され録られ売られ、聴かれております。

 昨今言われる著作権の話で言えば、もしもそれらを作曲した人たちが生きていたなら。
 さぞ大儲けしたことでしょうに・・。

 その様な、何とも無粋で下世話な思いを持つのは、やはり私が俗な人間だからなのでしょうけれど。

 ですがそういう思いを持たせるほどに、今では世界の隅々に住む人々にまで知られた名曲、と作曲家は多いわけです。
 教育という国家的な体制の整備もあって、富める者へも貧しき者へも、心の栄養ともいうべきそうした曲をきちっと教えてくれているのです。
 平和とはありがたいものです。

 私たちが今耳にすることが出来る曲たちは17世紀から20世紀のものが多いようです。
 その間に生まれた曲の多くが今でも私たちの心を潤してくれているということです。
 生まれて後200、300年と経っている。であれば著作権も当然なし。
 これはもったいないほどに貴重な、世界共通の遺産と言えそうです。

 今でこそ知られている作品の中には、人知れず完成してそのまま片隅に置かれ、作曲者ご本人がお亡くなりになってしまったままというものもあった様です。

 当時すでに著名高名なる大先生ともなれば、すべてお弟子さんが記録整理してたと思っていました。
 それが、なかにはご承知のように片隅の困窮生活にもめげずひたすら音楽世界、作曲の道を歩んでたという人も居られたようなのです。

 私の様な俗人が考えると、現在の世において名を知らぬ人のないほどの名曲を完成させた大先生なら、生前はさぞ恵まれた生活を送っていたろうと思うわけです。

 ですが実際は音楽家、いや芸術家の多くは確たる生活の保障などなかった様です。
 つまり音楽創りなどというきわめて非生産的な仕事で儲けて、裕福な生活をした人など当時は滅多に居なかったという。

 かえってその楽譜や楽器を扱っていた人たちの方が、商売として成立していたようです。
 ですから生前に人気を博して売れっ子になり大儲けした作曲家など、いったい何人居たのだろうかと思うほどです。

 ところで音楽を演奏する人はともかく、曲を創作して売るとなれば、その客は誰なのでしょう。
 21世紀の市民社会のように、そちこちに市民のためのホールがあってそこでは毎日毎夜コンサートが開かれ。
 一般市民が集って傾聴していた。などという余裕があったとは思えません。

 バッハの17世紀のころから、モーツァルトやベートーヴェンの時代。18、19世紀は貴族王侯が観客でしょう。いわゆる大金持ちです。
 こうした貴族のなかには、作品を買うというよりも作曲者から楽隊員を含む音楽関係者を丸抱えしていたというのも有った様です。
 そうなれば音楽家にとって活躍の場の制限はあったろうけれど、生活の保障は確かなものではないでしょうか。

 しかしながら、現代の生活や地位の向上運動ではないが、この時代へも波が押しよせました。
 特別な大金持ちと、貧しい小作農奴の間の貧富の格差に、疑問を持たれ始めたのがあの時代でした。
 世界中が、土地を中心にした富める者が持たぬ者をかしづかせている関係に、疑問を持ち始めたのでした。
 音楽家もまた当時の社会のこの空気を吸っている。
 時代の波に揉まれなかったはずはない。
 となれば音楽家の脳髄を刺激し作品にも影響を与えたことでしょう。

 世界に自由や平等、民主主義を訴える風が吹き始めては大地主やお金持ち、いわゆる貴族の立場を危うくした。
 となれば、お抱えの音楽家たちにも影響をおよぼす。落ちついて居られなくなったことでありましょう。

 モーツァルトの場合は、王侯諸侯となかなか待遇条件に折り合いが付かなかったこともあった様です。
 またベートーヴェンは、貴族付きという地位を自ら拒否した音楽家です。
 市民の権利主張に立ち上がった英雄ナポレオンに共感賛同して、「英雄」の作曲にまで及んだほどです。

 とはいえ一般市民や市民組織が、即、曲を購入するなどは無いことです。
 ですから、まずは楽譜出版店などが版権を購入たのでしょう。
 その売り先とは衰退が始まった貴族中流各家の令嬢の、たしなみ用かもしれません。

 いずれにしても、芸術は市民にとってまだ贅沢な楽しみであったのでしょう。
 趣味人の様な音楽家というものは、利益のある仕事ではなかったと思うのです。

 それでも好きな道をただただひた走った音楽家、作曲家は居た。
 そういう人々が貧しいながらも今日言われる名曲を生んだわけです。

 それぞれ音楽家には境遇や生き方の違いはあったのでしょうが、今日名を残した作曲家は資金提供者(パトロン)をもつことが生きる方法だったと言われます。

 今日、フィルハーモニーオーケストラと言われる音楽演奏団体の呼び名があります。
 ベルリンフィルハーモニー、ウェーンフィルハーモニーなどです。
 これは市民音楽愛好者たち(つまりフィルハーモニー)という意味だそうです。
 なぜ、市民のための、と区別名称されるのか。
 いうまでもなく、貴族持ちにあらず、という意味なのでしょう。

 そうした市民が音楽の客になるまでのしばらくの間は、いやいつの時代も、一部の輝かしい突出した人気芸術家のほかは、地味で貧しいものなのかもしれません。
 私などの微なる知識では大方の音楽家をそういうふうに理解しているのです。


 さて、今回取り上げて聴いた曲はシューベルト作曲の交響曲、第8番。
 7番目だとも言われました。

 2楽章まで創られて棚上げされ、仕舞われていた曲。
 未完成のままのものを、シューベルト死後、なんと37年後に。
 見つけだされて発表、演奏されたという。
 それはシューマンの紹介により、メンデルスゾーンの指揮で演奏されたとか。

 当の作曲家シューベルトは、演奏されたかたちで聴くことが出来なかった曲。
 未完のこの交響曲は、第8番か7番目か分からなかったというのです。

 シューベルトこの人の生前というもは、言うに語るに不運で哀れなものらしいのです。
 若死にシューベルト。享年わずか31才でした。

 モーツァルトが35才の短い生涯であったことは多くの人がご承知です。
 ですがそれよりもっと短命だったのです。

 この人の作品をご承知の方なら、歌曲、当時で言う歌謡の作曲が多いことを上げます。
 コーラスでの「野ばら」「菩提樹」などは私もけっこう耳にしている。
 シューベルトを語るに外せないという人は多い。
 しかし残念ながら、私には言葉が分からないので今回はそこには触れられません。

 シューベルトは交響曲を10番まで遺している。
 だのに8番目は2楽章まで完成。3楽章のほんの始めで、ぷつっと絶えている。
 なぜこの曲だけ中途だったか、は分かりません。
 なにせ仕舞われて埋もれていたのですから。

 私はこの曲が好きなのです。
 この曲には華やいだものは感じません。
 物静かなところから始まって、いろいろ展開はするものの、つねに落ち着き所があって、そこに戻る感じ。
 いや、そういう基盤をもっているというべきか。
 私には、そういう心のより所を持った曲の様に聴こえるのです。

 コントラバスでしょうか、おなじみのあの冒頭の弱音のうなり。
 よほど静かにしていないと聞き取れない。

 やがてヴァイオリン群のささやきが、さらさらさらりらと入ってくる。
 曲中で時々、奥の方から呼ぶように聞こえる、木管の響き。
 父か神か。
 なんともたまりません、心地良さです。

 全体を通してけして闇雲な冒険などはしない。
 地味に緻密に構成したものが持つ安心感を聴くことが出来る気がします。
 とはいえその印象は明るく爽やかなものではない。
 では苦しみか。
 いや、そうでもない。
 そこが良いのです。

 ベートヴェンを尊敬して止まなかったシューベルト。
 彼は生活苦るしみを絵に描いたような病弱な日々を送ったようです。
 その日々は、おそらく音楽の中に居るときだけが心の救いだったのではなかろうかなどと感じるのです。

 だからか心の支えであった師ベートーヴェンの棺を、涙で列して見送ったという。
 そして、そのわずか1年ほど後に、彼自身も世を去ってしまった。

 その思いを理解していた人たちが居たということなのでしょう。今シューベルトは、心の師ベートーヴェンのすぐ隣の墓地に眠っているという。

 貧しい教師の家に生まれたシューベルト。
 希なる音楽の才能に比例せず、運に恵まれなかった。
 ほとんどが貧して終えたと言われます。

 おそらくは生真面目で、一途に、ただ音楽だけに没頭したのでしょう。
 その様な印象をこの未完成な交響曲にも感るのです。

 31才で逝ったというが、歌曲はじめ総計1,000曲にもなろう作品数を生み得たというからには、音楽三昧の人生だったのでありましょう。
 言いかえれば、音楽世界だけが彼の楽しみだったのではなかろうか、などと勝手な想像すら巡らしてしまうほどです。

 だがしかし、境遇という作曲条件は芸術家にとって重要な意味をもち、作品に投影するのだと思う。
 シューベルトにしても、さぞ生活が苦しい無念な生涯ではあったろう。
 けれどそのことが、生み出した作品の質をどれほど高めたかということもまた、想像できよう。

 生きて行くための肉体生命の保持をするための健康と生活の糧の確保。
 それがかなわぬ苦しみにはさぞ辛いものがあったでありましょう。

 一方、唯一固有のおのれの魂を高め表現する芸術への、執拗な追求行動。

 この両立を成し得ない満たせないで生きることは、生身の人間としてなかなかに辛いものでありましょう。
 まして生き方の不器用な人ならば……です。
 生きるということはそういうことなのだと悟って、ときに上手に生きるにはあまりにも若く生真面目であったのかもしれない。
 またそれであるからこそ生み出せた作品群か。

 凡夫なる私などは小賢しい生き方のなかで食えていても、何もなし得ないまま、もうほぼ人生終幕です。
 シューベルトの倍も生きてさえ、その様なものでしかないのであります。
 皆そうしたものさ。それが凡人なのさと言われればただ笑うしかない。

 才人というものとなれば、偉業と称される作品をわずかな人生の持ち時間において生み遺すのです。
 悩み抜いたとはいえ、独自の世界の中に永遠の命を吹き込む。
 なんと未完成のままでさえも、聴く者を感動させうるのです。

 肉体が滅びて生命を保持する苦労から解き放された先において。
 静寂のなかから唸りをもって立ち上がるこの音楽は永遠に響き渡ることでしょう。




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