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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭 エッセイ     2012年10月06日




   アメリカ映画(2009年)「みんな元気」



 あのロバート・デ・ニーロが主演だ。キャストを見て、さぞかし騒々し系オモシロ作品かと思い、であるならと迷って、けっきょくは最後まで観た。
 BS放送からのプレゼント作品の鑑賞だった。

 もっとも、デニーロといえば、「ゴッドファーザー PART II」で、イタリア移民の裏家業そのボスとなった男の、新天地アメリカに渡って以来の苦労を演じた。それでアカデミー主演男優賞をとった俳優だ。
 さらには「タクシードライバー」、「ディアハンター」最優秀賞作品ほか、娯楽エンターテメントな作品出演もかなりの、今ではまさに円熟の大スターだ。

 その彼が、まさか、と思うほどの地味な役。このSNSにも少なくない、ごくフツウの定年退職後の男を演じた。それも独り暮らし。
 妻は数年前に亡くした。家族は、自慢の子、兄弟姉妹四人。誇るべき広大なアメリカ合衆国内でそれぞれ活躍している。
 唯一そのことが、これまでの生真面目で仕事一途だった彼の、現役時代の代償だと確信できることなのだ。

 そんな誇るべき子どもたちが皆帰省して独り暮らしの自宅に揃い、幼い時分の頃の話などを肴に、楽しく呑める。そんなパーティーが予定されていた。
 その準備買い出しでは、誰でもがそうであるように彼もまた、行きつけのスーパーレジ係り相手に、子ども自慢などが笑みとともに漏れてしまう。だから、少しでも美味く上等物をと、念をおす。

 けれど、というべきか、当然というべきか……、そうした浮きうき気分の彼に、長男、長女、次女・・がそれぞれの帰省できない理由を伝える電話がかかるのだった。
 どこの家庭にもよくあることだ。
 それぞれが多忙だということこそが、彼らの活躍を裏付けるなによりの意味だと解釈しつつも、子や孫の顔が見られなくなってしまった寂しさは消しようがない。
 これもまた、誰しもがよく抱く思いだろうか。

 そこで彼は、掛かり付けの医師に相談に出向く。
 長年の職業から発した持病がこれから出向こうとする子どもたちの住む町までの長旅に、耐えられるものかどうかを自ら推し量るために。
 けれど医師は、無理は厳禁、薬の服用を怠るな、と真顔になる。

 それをおしてもなお、彼にはいま子どもたちに逢っておかなければならない意味があるのだろう。長旅に出るのだった。
 長旅とはどのくらいか、といえば。北アメリカの大陸を東から西へ横断。これは日本列島北から南縦断の何倍かになるわけだ。乗り物を継いでとはいえ病身の老体にはキツイ。

 ここまでが作品の「序」だ。
 が、ここまでで映画好きなら思い当たる他の作品がいくつかあるのではないだろうか。
 たとえばアメリカ映画「ハリーとトント」もたしか老父が子を訪ねるつもりだったのではなかったか。また邦画では小津安二郎監督「東京物語」、または山田洋次作品の「息子」などはわが国の作品だが、子どもを訪ねる話だったように思い出す。
 親が子を思う心情を描く映画は、世界にもよくある題材として、珍しくないのかもしれない。

 珍しくない話、よくある話、となればそれぞれの映画はこの一作に込めた「売り」があるはず。観衆の目は、どこでも、いつも厳しいのだから。

 ストーリーの解説こそヤボなものはないので省くが、この作品の場合、主役の顔と演技への期待はあろうが眼目は、子どもたちの帰省パーティーへ出席できなかったワケと見た。

 観賞後、そこを勝手に深読みすれば−−
 親心という、おそらくは生きとし生けるものの親皆が抱いてしまうものか。
 幼いうちからの子どもへの愛情その過多が期待となり、しいては子の心に負担としてのしかかる。そんなこんなのエピソードというところにこの作品は行き着く気がする。

 そう見たとき、観る者の心にはいくばくかの共感や自戒後悔の念が、苦笑とともに湧く、かもしれない。




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