夢舟亭 エッセイ
2006年12月30日
モグラのあな
ねぇ、これなんだろう。
そとで家人の声がする。
窓を開けて寒いかぜのなかに、顔をつきだす。
と、しゃがみこんで地べたを見つめている。
どうしたの。
ほら、これ。だれが掘ったんだろ。水道工事かな。
前方の畑から二十センチぐらいの幅で、たしかに水道工事でもしたように掘りおこされた盛り土がながく続いている。
ふむふむ。それは、モグラの道だね。
これが、モグラの、みち?
ああ。知らなかったかい。
ふーん。よく掘るものねぇ。
家人は土手の先まで、そのモグラ道をたどりながら、へーい、ふーんを連発している。
モグラはネズミに似ている。
だが、ずんぐりむっくりの体型で、顔の鼻さきはネズミのようにとんがっていない。
手足は、ネズミとくらべると短く太く、穴掘りしやすく爪が鋭い。
わたしも外に出ていっしょにモグラ道を見てみた。
土のなかの狭い壁を、短い手でさも忙しそうに、掻きけずっているモグラのトンネル工事を思いえがいた。
モグラが通った跡をみると、直線ではないが、かといってくにゃくにゃ曲がりくねっているのでもない。
地を掘って、なかの土くれを上に掻きだして進んだというように、外にあふれている。
水面すれすれに、勢いよく進むさかなの背びれが盛りあげた波のようでもある。
いい年輩のおじさんとおばさんが、草地の靴あとを調べるホームズとワトソンのように、ひざをつき両手をまえに、尻をつきあげて地面に顔をよせた。
盛り土を手にとってみると、掻きけずったために細かくほぐれている。
その堀跡の土を剥いでみる。
深さが十センチほどで直径が数センチのまるい空洞がつづいていた。
ふうむ。このなかを灯りもなしでゆくんだな。
へーえ。たいしたもんね。でもこの辺りに食べ物でもあるのかな。
ないだろう。いや土の中にはあんがいいろいろな虫や草の根などがあるのかもしれないな。
そうかぁ。
それにしても、独りでどこへ行く気なんだろう……むむっ、れれっ!?
堀はじめの地点から、進行方向を目で追ってみる。
と、モグラの穴は、少しづつだがわが家に寄ってきている。
そして、どうも、わたしの部屋に近づいている気がする。
何度か迂回のコースをとったものの、だんだんわが家に近づいている。
平行ではなく、奥の土台に向いた軌跡のようだ。
家人もあごをあげて、あれれっ、あの辺りに向かっていると同じあたりを指さしている。
ふたりの目の前で盛りあがった土のいちばん先の、その地中にはいまもモグラが居て、作業前の眠りに入っているのだろうか。
わたしは、おいおい、と地面をたたいた。
おまえ、まさか。
そうよ。ぜったい、そう。聞こえてたのね。
ふうむ。そうかもしれない。聞こえていて、それで近づいて来たんだな、たぶん。
じつはその壁のなかのわたしの部屋の床は、壁から半間幅にコンクリートを打ってある。
地べたまでコンクリートの塊が埋まっているのだ。
モグラはその辺りに向かっている角度なのだ。
はじめは工事を自分の手ではじめたのだが、手にあまり、業者にやってもらった。
それは音を出したときに、家全体の床に音の振動が伝わらない工夫だ。
とくに低い周波数の振動音が床が共振して吸いとられる。つまり音として聞こえない。
そんな理由からレンガを敷いてあるそのうえには、家人に平身低頭の再三再四願い出たすえに買いもとめたスピーカーがのせてある。
数年まえ身分不相応なオーディオ装置を揃えたのだ。
私の部屋がいちばんはずれであることを幸いに、夜な夜な地からわき上がるような轟き音を楽しんでいた。
とうぜんその音の振動はコンクリートの塊から直に伝わって地中にもとどいていただろう。
そういえばモグラを音で畑に寄せつけない方法というのを聞いたことがある。
ペットボトルを四方から切り拡げプロペラにして、風ぐるまをつくる。
回転するとカタカタと音が出るようにする。
ボトルの中心に針金を通して竹棒につける。
それを畑のふちに突き立てておく。
と、風に吹かれたカタカタ音を聞いたモグラは、ああ、なんとも趣味の悪くカンにさわる音だねぇ。とかなんとかいいながら。
耳をふさいで退散する、らしい。
ということは、光を目で受けることの少ないモグラは、音にかなり敏感だということになる。
嫌いな音があれば、とうぜん好きな音もあっておかしくはないだろう。
モグラもこうして単独で行動するくらいだから、いろいろな個性があって、地を伝いやすいといわれる低音にひかれて、寄ってくるヤツがいても不思議ではない……。
そりゃあ人間だってガラス片をこするようなキーキー音よりは、大太鼓やコントラバス、ベース、テンパニー、バスドラム、パイプオルガンのズドーンとかドドーンとかブオーンの類の、身体がゆさぶられる低音にはこころよさを感じる。
このモグラもあんがいそういう音が好みなのだろうか。
夜中にわたしが興じている音が、地中のかなたから呼ぶように聞こえたのかもしれない……。
などと、すっかり勝手な思いこみモグラの気持ち想定の世界に居た。
そのあとも、動きをみていると日に数十センチづつ進んでは、推測したとおりのコースをひたすらめざしている。
こういう、もくもくとただ一心にやりつづけられるとわたしは弱い。
にくめないものを感じてしまうのだ。
ひょっとすると、こいつコンクリートの塊のそばに穴ぐらをつくり、住みついたりするかもしれない。
冬のあいだ、寝ころんで片ひじついて頭をおさえ。
短いあしを組んで、あくびなんかして。
ミミズの日干しなどをぽりぽりかじりながら。
私の音楽に聴き入っていたりするかもしれない。
そしてそのうち、夜中に床したから顔をだして。
両手にあごをのせて、聴き入っているわたしにむかって−−
おっさん、だめやん。やっぱしコルトレーンとかピーターソンって時代じゃねえんとチャう?
なんツーかさ。マイルスってのも、もう切ないって感じじゃん。
それよっかパット・メセニー。あんなふうなエキサイティングなのたのむヨ。
若いおれ的にはさ、やーっぱしあれあたりがちょうどノレんだよね。
あのさ綾戸智絵とか、あとは小林桂のボーカルない?
たのむからさ、いまどきの聴こうぜ。
アッたくつき合いきれねえなぁ。フフフン、フンフン。パパパッパ、シャラララ・・・
なーんて言って、細いひげ左右の小さいくちびるひんまげて、ナマなこというかもしれんなぁ。
ふふ、モグめ言ってくれるわい。
あのなあ。この良さがわかるにゃ十年早えぃんだよ。まあ、もちっとわかるまで、そこでおベンキョウしてなって。
それよっかモグさんよ。あんたぁ・・どうかね。酒などはいける口かい?
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