<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
文芸工房 夢舟亭 エッセイ
2007年02月24日
スメタナ「わが祖国」から モルダウ
山腹の雪が解けだす、春。
冷水の透明な流れは、ぴちゃぴちゃ、ちょろちょろと。
雑木や落ち葉のなかを、細く伝ってゆく。
やがて雫のような沁みだしの水は、せせらぎの小幅な流れとなって注ぎこむ。
流れは下ってゆくにつれて、跳ねておどるしぶきとなって。
岸辺の小岩をぬらし、陽にひかる。
それこそが春の輝き。
自然の息吹が、みずみずしく潤って、水音になって林に響く。
流れは水かさをいっそう増して、川幅をひろげながらくだって行く。
それは悠々と、大海をめざす。
そうしたイメージが自然に湧きだすあのメロディー・・モルダウ。
スメタナの作、「わが祖国」と銘打った交響曲のなかの、モルドウ河の楽章。
思いは祖国愛となって音楽に表現された。
いまや、かの国だけではなく世界中で愛聴されている。
この後も、永劫親しまれ奏されつづけるだろう名曲。
無粋なわたしでも、この楽章のさらさらと流れ出す冒頭の部分にすでに、誇り高い思いを感じる。
水の流れの様子を描くというだけでなく、ごく小さな水滴がやがて大河の流れとなるストーリーに心惹かれる。
水面に映るは、人の世の流れか時の移ろいか。
国の将来に希望を抱いてこそ、祖国に期待する想いが湧くのだろう。
その思いは、いづれ大きく実って・・。
先年、独裁政権を崩壊せしめたあの国の民が、一同に会したスメタナホール。
そのコンサートのテレビ中継がわが国でも衛星放映された。
会場の雰囲気には、わが祖国、への皆の熱い思いが湧いていて、充分に伝わってきたのでした。
彼らにとっては容易ならざる、きわめて崇高な曲であることを感じずには居られないものでした。まるで待ちに待った国歌の時のようでした。
そして演奏となって鑑賞してみれば一大叙情詩の大曲という感じがいたします。
とはいえせっかくの名曲の感動というものは、誰かに言葉をもって説明し、理解を得ようとするのはとても難しい。
感銘深いあの楽章を、刺激された一曲を。
自分だけが探し出したこの曲を、聴いたことがない人に理解を得て共感を誘う説明をするのはとても難しい。
口ずさみながらの補足さえ試みてもとても感動は伝えきれない。
結局、音楽は聴いてみるしかないというごく当たり前な思いに行き着く。
だからだろう、鑑賞記など読むとたいがいは作曲者の経歴や作曲経緯。その名声を讃えるエピソードなどでお茶を濁し、行を埋めることになる。
それによって結果的に素晴らしいものとする。
どこを見てもほぼ似たり寄ったりで、それら言葉をもって曲の何を伝えようとしているのか、読んで悩むところだ。
どんな理論で筋立てても、けして音楽の表現には成り得ず。
美音のその一部も耳に届きやしない。
音楽は音の芸術であり、言葉は文学の手段なのだ。
それだけにまた、論を幾万駆使したとて、声高く罵倒しても。
一旦受けてしまった感動の喜びや幸せ感は、とてももみ消せるものではない。
以前、著名人たちのエッセイによる音楽との出会いを読んだとき。
自国軍歌や当時同盟国だったドイツの曲が目立った。
当時日本では、歌舞音曲は認められず。
同盟国以外のものは厳しい制限が有ったらしい。日本ではドイツとイタリアのものか。
人々の内面が震え共感する悲しみの情などは、戦意高揚の状況にそぐわない。
あまりにも弱々しい女々しい。
だいいち敵国鬼人らが好むものを聴くなど許されて良いはずがない。
そう叱咤されて育ったのだという。
官制統制されて、望ましからざる楽しみだと忌み嫌われた時代が音楽にあったのだ。
にもかかわらず、こっそり密かに聴いた曲に目くるめく禁断の感動を味わってしまったという人が居りました。
そうなると、もうその素晴らしさは剥がせないしもみ消せない。
音、ですでに完成しているのが音楽。
言葉で説明して、その素晴らしさを理解させよう、賛同を求めようなどということは、しょせん空しい限り。
耳で聞いて共感共鳴して好きになったものは、その音や調べゆえに、理屈抜きで好きになった。ということもまた、どうしようもない心の真実なのでしょう。
こうした楽曲の好みのことをわが身を振り返って言えば。
感性の泉がほとばしる頃というなら、やはり十代二十代でありました。
今思っても、その頃の後に好きになった曲数のなんと少ないことか。
いい曲だ、好きな曲だと思い浮かべるそのほとんどが、あの若き頃に耳に入って、聴き覚え、馴染んだものばかりです。
音楽の好み、その感受性の時というものは、何よりも若いあの頃。
してみれば心の艶や潤いが音楽を見つけだす能力だということでしょう。
ただし聴いて思い浮かべる事々や、味わう深さとなるとこれはもうだんぜん重ねた歳の多さだという気がするのですが、いかがでしょう。
つまり見つけだすのは若さで、味わい方が上手いのは年かさ。
ところで、スメタナはこの曲を創るまえに耳を患い、聴覚を失ったと言われます。
つまりこの曲は耳が聞こえないなかで作曲された。
耳が不自由な作曲家といえば楽聖と称されたベートーヴェンが居ります。
耳の聞こえない音楽家というものは、羽根を切られた鳥であり、目の見えない画家でもある。
でありながらも、こうした名曲を生みだしうるということ、そしてその曲が後世おいて国民の象徴のように、祖国を称える誇りとされる。
そのことに何とも神がかりな宿命のようなものを思ってしまうのです。
天才の行いというものはどこかにそういう部分があるようです。
ちなみに、彼のように、当時、生まれ故郷である自国の、民族の調べを音楽活動の原点にもつような楽曲の作曲家たちを、国民楽派などと言われている。
その代表に、ロシアのチャイコフスキーをはじめ、ロシア五人組などと称されたムソルグスキーやボロディン、リムスキーコルサコフ、バラキレフが居た。
または北欧にはグリーグがシベリウス。
スペインにはアルベニス、グラナドスが。
そしてチェコにはこのスメタナの後にドボルザークが、ということになるわけです。
そういう意味では、どこか親しみやすいあのメロディー、ボヘミア地方のせせらぎや大河への流れ。
それはベートーヴェンやモーツァルトのウィーンや、リストやシューマンやショパンが活躍したパリではない地方のローカル色が濃い名曲の時代の流れ、ということが言えるのではないでしょうか。
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