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夢舟亭
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エッセイ  文芸工房 夢舟亭 2007年04月14日


    むかしのひかり


 戦国の歴史などを読むと、その名のごとく戦(いくさ)がくり返されている。

 それは大陸隣国の中国数千年をたどる史記にもみられることだし、このところ連載されている新聞紙上のモンゴルも、ローマ帝国の記も。
 世界の人間の歴史はまさに戦いつづきだったとある。
 戦とはすなわち殺傷殺戮合戦であり、命の奪い合い。
 いや命だけではなく、敵国のすべてを奪いとる集団的行動。
 江戸時代に至る関ヶ原の戦いにその集団の数は数万人の兵。敵味方が向かい合ったといわれる。

 一方、大陸にみると、この数が一桁あがって、数十万人同士が合戦したという。ときには百万人にもおよんだとか。
 それほどの軍馬兵数の、陸地や大河あるいは海上で合い対し武器刃物を振り回して、鮮血吹雪散らす様というものはどれほどの壮絶さだろう。

 動かぬ人体の累々とした屍の山を踏み越えて、突いて刺して斬って叩いて。敵相手肉体を次々に破壊しまくるその狂気はいかばかりか。
 その活躍をたがいに武勇丈夫の猛者などと称え合った。
 修羅場をともに越えた愛馬にも朱の飾り。
 馬上の武者の背には艶やかな布をおおった丸い篭(かご)。
 背の籠は討ち取った名のある敵将の首を持ち帰るためのもの。雑兵ごときの首では価値もないという。

 戦国のそのころ。
 武士の妻はそうして凱旋した夫が刈り上げた生血滴る首級(生首)を、井戸端で水洗いしたという。
  ねえ奥さん。うちの旦那が取ってきたきょうのこの首。見て。どぉう?
  へえ。いい男ねぇ。それにくらべて、これ。まぁなんともブ男。これで大将だって。
  ふふっ。ね、これ生きていれば、さぞおんなを泣かしたかもねぇ。
 などと、女同士の陽気な井戸端品定めに評されて、ぴしゃぴしゃと水などかけられたのかもしれない。

 やがて暮れて、城における勝利の酒宴。
 そのふれ太鼓が城下にむけて響く。
 戦の土ぼこりの鎧を脱いで、着替えて見繕いに髷などなでつけ折り目正して、自宅を出る。
 それぞれ自慢げに、武者たちは首を抱えて。
 城殿にのぼってうやうやしく押し抱き差しだすそれを、受け付けるは事務の筆達者ら。
 手際よく記録簿記する。

  これはこれはお手柄、お手柄。
  ご活躍にござったのう。
 刈られた首のほうは飾り壇に死してもなお階級の順に並べられる。
 大広間の奥の城主から左右に、家中一同がずらりと座列する。膳もそろう。
 敵首それぞれの位は、勝者の手柄褒美に加算加味され読みあげの発表をされる。

  次ぎの首級は、敵家老何の何某の首。討ち取ったは何某家の三男、何某の助ッ!
  はっ!
  む。戦うことこれで四度。我がほうを散々手こずらせた強者はこの首か。あっぱれである。でかしたぞ。大いに褒めてつかわす。
  ははーっ。恐悦至極に存じまする。
 と、動かぬ首のほうも、心なしか頬を赤らめにんまりした、か。

 だがこうしてみると、生まれたときから生血や切断された首を見て育ったのであれば、残酷とか気味悪いなどという思いも、時代によってかなり違うかもしれない。
 子どもの頃に針の刺し傷の血にさえ震え上がっていた子どもが、大人になって医師になり、手術執刀しては敢然と人体を切り裂く、ということも聞く話だ。
 ぴゅっと噴出する流血も、脂肪層に白く人骨が見える深手の傷も、毅然として処置するまでになるのだ。

 むかし頭骨の上部をカットして盃にしたのは信長だったか。今聞けば身の毛もよだつ鬼心を思うが、なかなかな武者のシャレごとだったのかもしれない。
 雄叫びのなかに血吹雪が噴き出して返り血を浴びる死戦にまみえて。不覚にも深手を負い、あるいは死す味方も多い槍刀の林の中で。危機一髪にかいくぐった末の手柄であれば。
 そうした後に皆の面前で恩賞を受ける酒席。
 となればしぜんに盛り上がったろうことは現代のわれらにも、想像できないではない。

  いやぁ目出度い。大勝利だのうぉ。
  いかにも。今回のいくさは手強かったぞ。
  なんの。おぬしは大手柄ではないか。
  そうだそうだ。でかしたと、ほれ、殿も褒めておられた。
  なーんの。わしごときに、もったいないお言葉。
  大いに誇れ。父上も、くさばの陰で喜んでおろうぞ。
  はっ。うくくー……。
  おぉ。みな、見てやれ。この鬼のような大男。鬼の目にもなんとやらじゃ。
  うわっはっは。こりゃまた。
  めんぼくない。
  何某衛門。立派じゃ。さあ盃をつかわす。近こう寄れ。
  ははーっ。ありがたき。
  皆も、聞け。このあとのいくさも手強かろうぞ。
  おうーっ!
 武者たちの豪傑笑いで大いに盛り上がった酒宴は、深夜までつづいたのではなかろうか。

 先年、福島県原町市(現在の南相馬市)相馬の野馬追いの馬列を観て、馬上の武者の背でゆれる篭にそうした思馳せたものだ。


 で、今、花の季節に。
 夜桜の城跡の公園に出向いて思えば。
 時は、めぐりめぐって流れて去った。
 武者たちは、みなどこに消えてしまったのだろうか。
 いま苔(こけ)むす石垣にそびえる古城を見仰げば。
 満月が冷たく浮かんでいたりする。
 という歌−−

   春 高楼の 華の宴 めぐる盃 影さして
   千代の松ヶ枝 分けい出し
   むかしのひかり 今いずこ

 土井晩翠の詞、滝廉太郎の曲、「荒城の月」。
 福島県会津若松市の鶴ケ城や、仙台市青葉城の印象で土井晩翠が詞を編み。九州は大分県竹田市の岡城から滝廉太郎が曲を起こしたという。
 独唱や合唱で聴いても、器楽の演奏でも。
 どこか透きとおる日本の清気なる美を感じる。
 ああわれこのクニの住人なり。
 というような、けして他国他人の事とはちがう民族の基点原点のようなものをこの曲の辺りに共感できるのである。

 人影もない城跡や石垣。朽ちた天守閣。再建された瓦屋根のしゃちほこ。
 松、月、風に、想うものはあろう。
 強者(つわもの)たちの残した痕跡などは異国の遺跡見物においても同じだと、人はいう。
 ちがいがあるとすれば、遠い時代に生きた同国身内へのしみじみとした思慕のようなものが、胸の内奥で揺れざわめくかどうかではないだろうか。
 もの静かな立木の枝がさわさわとゆれる。
 すると、はっはっはっは。わっはっはっはと、空高く聞こえるような気がする。
 遠くからは、かっかっかっかと駆ける馬のひずめが、耳底にひびくような気がしてくるのだ。

 ここ日本の城跡はいま、さくら見物人たちでにぎわう。


              記:2003/04/06




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