エッセイ 夢舟亭
2007年08月11日
夏の野菜
夏です。真夏のど真ん中。8月。
どの年もやはりこの時期は暑い。炎天を見あおいで汗を拭く。
さて夏の食べ物では何がお好きでしょう。
野菜ではナス、キュウリ、トマト、キャベツも美味い。
果物となればモモかスイカか。
農家となれば手作り新鮮な野菜も果物もありましょう。
田園風景に生きていても農家でない私にこの季節近隣の田畑は羨ましい。
今朝とれたばかりの地物の野菜を買ってきては幼いころを思い出して、水洗いしただけのもろキュウ(リ)に味噌つけて囓る。
これがまた美味い。
おやつがわりにかぶりついた幼な友の顔がこの味と青空と蝉の声に思いだされます。
キュウリやナスとなればやはり浅漬けやぬか漬けでしょうか。最近は便利な漬けものの元が売っています。
漬け物というものの味は似ているようで皆家ごとに、それぞれ異なるところがよかった。
ところでナスというあの野菜も食し方いろいろ。
ナス焼きにショウガをすってのせてしょう油をかけて。それでビールというのもいい。
ところがあんがい子どものころはあのナスが嫌いだったりする。
もうだいぶ昔ですが奈良薬師寺の住職で高田好胤というお坊さんが居りました。
この方は修学旅行で寺を訪れる子どもたちに自ら立って、寺の歴史をオモシロ可笑しく語り続けた人としても有名。本なども出していたのでご存じの人も多いはず。
このかたはまた講演会にも呼ばれて合掌しながらお話をしていました。
子ども時代はむかしの一休さんのように寺に預けられて育ったのだそうです。
父が早くに死んで母の手ひとつで育てられていたが、甘やかしてしまっては子どもがダメになると、しっかり者の母親が寺に申し出たという。そうして住み込みでひとり預けられた。
寺生活となれば、まさか母にあまえた寝食というわけにはゆかない。この辺りの「苦労する」学びの考え方がいまは少ない。
朝早くからひろい寺の庭掃きから、本堂などのぞうきん掛けはもちろん。四季をとわず裸足でかけずり回っては、何かにと小間使いの仕事。お経ほか仏門仏事の多くをおぼえさせられた。
そうした修業の末に、その寺の住職にまでなったわけです。
今は亡きその好胤和尚の夏の野菜であるナスにまつわる話の講演を、私はこの季節になるときまって思い出すのです。
母と暮らしたころ、どうにもあのナスが−−当時和尚の子ども時代はキビチョといったそうですが−−嫌いで食えず、見るのもいやでどうしようもなかったという。
けして多い食材のある時代ではなかったろう当時、母の精一杯の手料理だったことでしょうに。紫色の皮と白い内容物のあの歯ざわりが嫌だった。
こんなおいしいモノ、なんでこの子は食べないんだろうね。
おかあちゃん。嫌なものはいやなんだ。だいいちこんな……と箸でつまんでひと口くちゃくちゃとして、吐きだす。
これっ! なんてことを、もったいない。ご飯を食べられないひとだっているのに、三度の飯が食べられる子が、なんですか。贅沢をいうものいい加減にしなさい。
だって食えないもんは、しょうがないよ。
おとうちゃんが生きていたらきっと叱られますよ。
それでも、とにかくナスだけは見るだけでゲーとなるほど。
ある夏の日。毎度の母と子のナスの口論がはじまった。
屁理屈だけが上手くなってゆく育ち盛りの男の子にさすがの母も閉口してしまう。
その時も、呆然として子の顔を見つめる若い母。
強情顔を固くするわが子に失望したか、エプロンの端をたくし上げて顔を押さえた母はそのまま後ろを向くと、父の仏壇に向かって突っ伏してしまった。
波打つ肩とその背中に、嗚咽の声をころして泣いている切なさがあった。
さすがのわんぱく小僧にもその無念さが分かったという。
あぁおれはたったひとりの親をこんなに困らす男の子なのか……。母の泣き姿につい自問自戒した。
おかあちゃん。おれキビチョ食う。
あれから何十年かののちの今日あの母は居ない。
講演の今こうした講演の旅先でたまたま駅弁をもとめて開けて箸をとると、ナス漬けが添えられてあった。
一口ほうばるとあのときの伏せた母の背が思い浮かび、自分の浅はかさを悔いる。
たったナス一個に、親の厚い愛情をあらためて思い知るのだという。
ああしたこともあってか母は寺にわが子の行く末を託したのだろう。
和尚は講演ステージのうえで汗とも涙ともつかないものを拭いたのでした。
聴いていることちら客席も、しんみりとした空気が漂ったのを憶えています。
皆それぞれにわが親との思い出にひたっていたのかもしれません。
さぁ今日も暑い。
ご両親との夏野菜の思い出、何かありませんか?
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