エッセイ
夢舟亭 エッセイ 2006年06月10日
NHK-FM放送
NHKの、FM波が無くなるかもしれないという。
政府機関で放送の中止を検討しているというのだ。
NHKはTVも含めて3波削られそうだという話の、そのひとつがFM。
いろいろな音楽メディアが存在する今、NHK-FMはその役割は終えたとの判断からという。
NHK-FM放送といえば、私は良質な音楽放送と認識している。
NHKの価値は、より高質を追求する番組企画と、それを果たせる人材だと思っている。
その運営資金の供出者は私たち視聴者である。
受ける放送の内容そのものが受益である。
ちなみに民間放送の役割はといえば。
市民泣かせの高利貸しをも含む産業商業の宣伝業である。
過去に消えて去ったスポンサーは多い。
だが、その選択や協力した責任はもたない。
判断は、こちらに老若男女の受け手に投げ出されている。
でも民間放送の資金提供人はこちらではなく、あちらである。
お金をより儲けようとするスポンサーさん達だ。
私たち視聴者の立場はお買い物の消費者だ。
ということは、めぐりめぐって消費者視聴者が民放の資金提供をしているとも言える。
しかしながら、直接のスポンサーの宣伝効果を最優先する。
つまりは民放には「売りこみ」の思いがかならず控えている。
視聴者から見た場合、我らが直接資金を支払うNHKはさすがに経験もライブラリーも人材も豊富だ。
であればこそ今ネットと放送の融合の可能性も含めて。
既設のテレビ全国網普及に示したあの頃の努力のように、これからもトライすべき課題は多いと思う。
今、役割を終えるのではなく。
新たな役割をもって、また生み出してほしい。
大いに活躍、ニホンの音楽文化に貢献して欲しいと思うのだ。
なにせ民放は儲かると分かるまではやらないし、やれない。
ところが、音楽文化の利益とは金額換算ではない。言うまでもないことだ。
視聴者の思いを重視すれば、民放への気遣いなどは不要である。
少数派であっても長く見れば有用な番組はたしかに有るのだ。
そうした民放ではできようのないことへ今後も大いにチャレンジして欲しい。
行政がわも、安易な換算で良いとか悪いとか言下せずに。
より音楽専門放送に徹するFM放送計画を、デジタル化も含めて望みたいがいかがだろう。
視聴者の好みというが、国の文化になるからこそ厳選して視聴者の好みを先取りして欲しい。
音楽は今データとして氾濫する時代だ。
だからこそNHKには信頼ある先導案内の布教役を期待したいのだ。
ただ数を稼いでご機嫌とって聴かせるなら、誰でも出来る時代だ。
だからこそ、かく望みたいのだ。
現在のデータ洪水のなかで良質で息永く共につき合えて、音楽の方向を見出せる人たちというなら、政治でも中心的な、中高年FM愛好世代なのではなかろうか。
だのにいったい誰がどういう策略でこういう削除案を決めるのだろう。
それでは一層音楽の商業化や音楽離れが進み、利益の薄い良質な音楽は疎まれてしまうと思う。
Webなどで若い人たちと交わすと、良質な音楽を求める思いで満ちあふれているのに出会うことがある。
商業流通業優先や、ドングリの背比べのネット局だけで行き着く先は、真摯で良質な音楽環境の保全ができずにただ賑わい。けっきょく沈下衰える気がする。
お気楽なだけの世界は飽きるものだ。
昭和の中頃からNHK-FM放送が流して、世界の良質な音楽をニホンに広めた功績。
それを今も無視するわけには行かない。
私などが世界の音楽を楽しむことができるその喜びを今でも持っているのは、まさにNHK-FM放送のお陰だ。
足を向けて寝たらバチが当たろうというもの。
つまらない音楽を聴かないで素晴らしい音楽はどういうものかを味わって来れたのも、NHK-FMのお陰なのだ。
いわば私の音楽の羅針盤だった。
NHKの放送技術開拓精神により、地方暮らしの私でも良質な音を立体音響で楽しめたことは、私のオーディオの先生でもあった。
選り抜かれた曲と、分かり易い解説付きで。
日々次々と現れる高値の世界の最新盤を惜しげもなく流してくれた。
民放ラジオにもそうした番組がゼロだったとは思わない。
だが地方の私からその数は無きに等しかった。
放送というものは、電波を出す仕組みの道具立てだけではけして良質で信頼足るものにはならない。
それをこうして知ってきたことになる。
音楽から話は反れるが。
信頼といえば、私は常々「NHK新聞」を興してもらえないかと思っているのだが・・。
NHK-FM放送が無くなる日が来る?
多くのことが崩れて、多くの疑問を生み出して。
多くのことが過ぎ去って行くなかで。
また寂しい思いが追加されそうな話だ。
これが歴史なのかもしれない。
とすれば・・
当時音楽を楽しんだ人たちは、今どこを向いているのだろう。
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