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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭 エッセイ    2004/02/03


     ノクターン


 ノクターン。
 夜想曲、と和訳されている。

 言葉というものが、発音された響きの語感としてそれを現しているということはないだろうか。
 ノクターン、という発音も響きも日本語的な発音だろう。
 だがそれでも、静寂の夜、もの想うイメージが、日本人のわたしには湧いてくる。

 それはともかく、ノクターン。
 一般にはピアノの独奏曲。

 ピアノといえば、ミーハー音楽ファンの私は、フレデリック・ショパンがいい。
 ピアノの詩人と称えられるあの作曲家の、繊細な曲を思い出すのだ。

 昨年のカンヌ映画祭最優秀賞受賞。
 米アカデミー賞では惜しくも最優秀賞は逸した映画、「戦場のピアニスト」。
 あのなかでショパンのノクターンが演奏されて、すっかり有名になった。

 主人公のユダヤ人青年が、収容所行き列車に向かう列から逃げて。
 隠れ住んでいたガレキのビルで。
 ドイツ将校に見つかってしまった。

 そのとき−−

  おまえの職業は。
  ……ピアニストです。
  ピア、ニスト? おまえが。

 ひげも髪も伸び放題のボロ服姿なのだから、アーティストというにはあまりにもかけ離れた印象だ。
 だが、ドイツ将校が、音楽家にそぐわない職業であると見たもう一つの理由は、青年がユダヤ人であること。

 なにせゲットーという豚小屋の様な街の一郭に住まわせられて。
 乞食同然の生活をしていたユダヤ人のひとりの口から、高貴な響きのピアニストと応えられてみては、仕方なし。

 着いてこいと、引き連れて。
 たどり着いた部屋は、豪華。

 その隅に、一台のピアノが置かれてあった。
 将校自身が弾くのだろうか。

  弾いてみよ。

 青年は、ドイツ兵に収容所行き列車への乗り込みを家族ともども強制されて。
 そこからひとり逃げて。
 隠れ続けて何年かの間に、ピアノのことなどすっかり忘れていた。

 だが、たしかにピアニストを目指していた。
 いまそのことで自分の生死を分けるかもしれない。
 ドイツ人にとってユダヤ人ひとりの命などは、虫けらに似たものでしかなのだから。

 今日までの隠れ潜んでいた幾つかのシーンかを思い、しばらく汚れた両手をすりあわせていた青年。
 やがて覚悟を決めたか。
 そっと坐って、鍵盤に触れた。

 弾きだしたのは、あの曲。
 ショパンの遺作といわれる曲。
 遺作とされるのはショパンが亡くなってあと見つかったというゆえんである。
 ノクターン第二十番。嬰ハ短調。

 戦火のなかの一部屋に響きわたっては、心に染みこむほどに切ない珠玉の一曲。
 演奏を目前にしたドイツ将校の表情。
 自分たちが行ってきたユダヤに対する非人間的な扱いが、いかに思い違いだったかを悟る。

  ああ、ユダヤのなかにもこの様に美しいショパンは存在するのだ。
  ドイツ人だけが、とはなんと傲慢な思いであったろう。

 数分のピアノ演奏の素晴らしさを聞き分けたドイツ将校は、青年を殺めることもせず。
 生きる手だてを与えるのだった。

 やがて終戦。
 解放の日が訪れる。
 青年はピアニストとして再出発する。


 それにしてもノクターンを、夜想曲と訳したニホン人も素晴らしい。

 夜、星降るなかにひとり、静かにもの想う。
 ノクターン、夜想曲の語感は、星のまたたきの様な、高音部から流れおちるショパンの曲の数々にこそ、いざなってくれる。





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