・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
夢舟亭 エッセイ 2009年09月09日 美味しいもの 美味しいものへの思いというものは一種とくべつな記憶となっています。 ところがこうして大人になり中年から高年、さらに壮年といわれる世代になると。 どうも子どもの頃「舌が抜けてしまうほど」のあの味がしない。 何を食べても違うのです。 当然むかしの食べ物よりもずっと食材も添加剤も進歩しているはず。 そう信じているものの、じっさいに味わってみるとどうも違う。 これじゃないのです。 そう思うことはないでしょうか。 生まれて初めて味わったコーヒーの美味さ。 それはたしか小学三年生のはじめ。 担任の女教師の家に遊びにいったときでした。 角砂糖もミルクも、あったかどうか憶えてもいない。 けれど白いカップを手にして嗅いだあの香ばしさとひと口目。 今でもあの美味さを超えるものがないのです。 また、じりじりと照りつける真夏の昼下がりの、都会街中で。 伯母の家族といっしょに、デパートの食品売り場の階の、休憩コーナーだったのだろうか。 従姉妹たちと、ぎんぎんに冷えたコーヒー牛乳の瓶をあおった。 そのときの舌にからまって喉に流れ込むあの冷たく甘いコーヒー味。 現代においてどのコーヒーショップでもメーカーのでも、いまだに得られていないあの美味以上のアイスコーヒー。 いなか育ちの悲しさかどれも贅沢な一品でないのですが。 インスタントラーメンもまた出始めの美味い味を憶えています。 滅多に食べることがないのだが、今どきの味とは雲泥の差があったはず。 あの当時、生唾ごくりで袋からの乾麺をどんぶりに。 それへ熱湯をかける。 大皿でフタをして待つ数分間。 大皿をのけるとき噴き上がる湯気。 そのなかにほどよく湯がかれた麺の、美味そうなあの匂い。 うまそうだろうと微笑む湯気の先に母の顔を、どんぶりの中と見くらべた。 あの匂いが今ないのです。 思えば、野菜だって果物だって、乾物菓子などの類だって。 どれもあの頃の味がしません。 いや、そうではなく。 味覚という感覚の記憶は物質そのものの味よりも、その頃その時の生活まるごとのすべてを全身で味わっていた。 そう思えないでしょうか。 だから当時のその時の、社会状況にもどって嗅がなければ再現できないものだと思うのです。 もちろんあの後の全身で味わった経験をすべて消去して、あの時の子どもにもどらなければ味わえない。そんな気がするのです。 そうでなければ、何の材料で作られていたかわからない割り箸一本に甘い氷棒アイスキャンデーや、ダルマ型のゴム風船の氷ボンボンキャンデーがあんなに美味いわけがない。 また、食べたくてたべたくてどうしようもないのに、食べられなかったものという思い出もあります。 アイスクリームです。 それも汽車の窓から買うアイスクリーム。 肩からのベルトで商品を入れた平箱を前にしてホームを売るり歩いていたのです。 イカやお菓子。駅弁やジュースなどでしょうか。 そのなかにアイスクリームの小箱もあってよく売れていた。 丸く真っ白い紙のフタ付きのカップ型。 買うと木材を薄く削った経木のスプーンが、一個付いてくる。 母に連れられて汽車に乗ったとき。 向かいの席の子がその丸い紙のフタをあけると中は真っ白いクリーム。 それを掬ったスプーンが口中に入るまでの軌跡を追っていたのでした。 唇が閉じて抜き出されるスプーン。 味わうように口がちょっと止まって、喉がごくり。 無意識に真似ていた自分の動作、忘れられません。 今でもあのシーンを思い出すと唾がごくり。 でもぼくもそれが欲しいとは口に出せなかった。 行儀や躾というよりそんな無駄金は使える生活ではない、とどこかで知っていたのでした。 あるとき数日歯痛で食べものが噛めず。 寝込んでしまった盛夏の昼下がり。 母は嫌がる私を背に歯医者に向かったのでした。 まだ入学前とはいえ、夏日のいなか道を背にして歩くには大きかったと思います。 とはいえ噛めずに食が進まないとあればぐったり病人。 夏の治りにくい風邪もかさなっていたのでした。 エアコンはもちろん扇風機だってわが家には無い頃です。 汗かき続けで油断すると体力減退のすえに下手すりゃ危ないと思ったのでしょう。 けして大柄ではない母の背から、灼けるように照り返すいなか道がまっすぐに続いて見えました。 細くなった道の先は、向こうの山のすその集落につながっていた。 人や車にであったことは憶えていない。 そこをてくてくと左右にゆれる母の首うなじには汗が流れていました。 元気だせや。なぁに虫歯なんてすぐ治る。そんなので死んでいられるか。 ……。 おい。おい。どうした。すぐ着くから。いいな。 ……。 母は立ち止まっては、しゃべる元気もないわたしを安じたものでした。 そして一段声を大きくして背中のわたしを揺さぶるのでした。 歯医者がすんだらな、いいか、アイスクリームだ。元気出せ、アイスクリームだぞ。食わせてやるからなぁ。元気だせよぉ。 突然母の口からアイスクリームの言葉が飛び出したのにわたしはびっくり。 ああ。アイジャグリーム……食いでぇ。 じゃぁ元気だせ。いいか。分かったな。 今思えば、あの日の汽車のなかで、わが子の視線とごくりを見ていたのでしょうね。 その日の夕方。街の駅まで連れて行かれたわたしは、真っ白いアイスクリームのカップのフタをあけて。 とろりひんやりのあの白い甘さを思いっきりほうばったのでした。 その後あの味を超えるアイスクリームはまだ味わっていません。 |
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