夢舟亭 エッセイ
2006年07月28日
おもえば遠くに来た路帰りゃれぬ
戦後生まれの私などは、外国といえば欧米。
俗にいう西洋でした。
だから近隣アジア周辺国々のことはあまり気にとまらなかった。
思えば、それはいささか片手落ちな教えを受けたせいかもしれない。
先輩かたがたの口から、かなり野卑な「野郎」言葉でそれら隣国民をあざ笑うのを耳にして育ったのを憶えている。それは終戦の後の昭和時代だ。
今でも、戦後処理が済んでいない、戦争の反省が出来ていない、とわが国が指さされる源流が、あの辺りにもある気がする。
電車内で見るに聞くに、欧米系の情報や言葉と、中国韓国などアジア地域のそれとは、話す者の自慢げな目線や勢いが西を上にして、東を下に分けている。
近隣アジアの国々を下に見たがる気持ちが戦後からとは思えないが、日本人の心のどこかにいまだ潜んでいるようだ。そして一層増していると。
すでに戦争など知らない世代に移ってしまっているが、懺悔も言い分も含めた反省を明らかなものにしていないまま。
お互いに苦い背景があった戦争を、加害被害のどちらも黒墨に伏されては、前だけ夢見て育って。
前、とは欧米指向。つまりは戦勝国連合国、いわゆる欧米系の文化を良しとしたのは皆が承知している通り。
敗戦国なれば、いたしかたないのか。
この状況を賢明なかたが、日本人の意識は「西高東低」になったと揶揄したわけです。
つまり、西(欧米)の文化は高度であり高尚。
東(アジアなど)は、低レベル。
と信じて疑わないのだというものでした。
私もいつからそうなのかは憶えてもいないが、身のまわりに溢れるものの大概が、そういうもので良いと考えてきた。考え方、そのための教材や資料。あるいは多くの情報紙面の記事で。
こうした状況が好ましいものだと教えられ、周囲に普通に疑問なく見聞きしては飲みこんできたのです。
欧米のものばかりで、アジアを良しとして手本にするなどは、ほとんど憶えていない。
このアジアの中には、わが国日本も含めての話であるわけです。
身のまわりのたとえばファッションもまた。
服装またはメイキャップやヘアスタイル。
これはほぼ100%欧米ものだ。
それも、仕方なくそうしたということではない。
皆が憧れて、先を争って、求めているのでした。
あわせて英語が主流になり、おフランスに胸ときめき。
訳したカタカナ言葉が歌が、大河の堤が決壊氾濫したかの様に流れ込みました。
まさに止めどなく。
それは後に功罪の多くを残すことになるのだが。
古今東西の歴史から思っても、敗戦、とはまさにこのことなのでしょうか。
人は言葉で考えるというなら、私たちはアルファベットカタカナで西高東低の発想をしてきたのかもしれない。
私なども、まさにそういう洗礼を受けて。
無意識に、一層自国はもちろん近隣国を、気持ちの中で「ないがしろ」にしてきと思います。
音楽などその最たるものでした。
たとえば古典(クラシック)好きな人と話したなかで。
ヨハン・セバスチアン・バッハ作曲の、マタイ、ヨハネの受難曲を、崇拝するごとく聴き入るのを知ったとき。
その姿勢に、高尚さと教養を感じ、西洋の神がかりの文化とはこういうものかと思ったものです。
何でも、2000年も前のユダヤの地で。
宗派分派のいさかいにより、新教祖といわれるひとが。
既成の神を貶めたとの罪で、死刑になった。
そのとき教祖は、万民の罪を一人で背負い十字の木げたを運んで、はり付けになったのだと熱く語るのでした。
その経緯と万民の嘆きが克明に歌われている曲だというのです。
教会音楽の仕事をしていたバッハであれば、そういう曲もあろうこととは後年の理解。
そのときは幼くも、これほどの音楽はわが国にもアジア諸国にもないと、敬虔な気持ちを抱いたものでした。
新宗教がその後に、西洋のとくに先進国と自称する地域に広まって。
根ざして1000年以上も経ってしまっているのだから。
それら考え方や文化が流れこんだ敗戦国民には、地上の主流に見えたのも当然のことか。
幸か不幸か、それらに根をもつ文化が敗戦とともにわが国を占めた。
それは当然の成り行きとして、私なども渇水に泉を見る思いで、味も分からず飲みくだし、楽しんだ気がします。
・・となれば。
死者へたむける仏教の枕経よりも、基督の雰囲気のレクイエムが、音楽的で感動だという思いも、いたしかたなし。
自国ものと国外のものの折衷は、日本の民族独自の古くからの文化を育む能力だという。
遣唐使遣隋使の時代にも、出向いて学んで真似たところから多くの始まりがあったと。
しかしながら、当時のそれらには戦勝国からのなかばお仕着せ、という過程があっただろうか。
日本人は宗教心がないから社会が乱れるのだというのを聞くことがある。
しかし人間あっての神だ。
そういう想像のものであれば、宗派が違えば世の東西が、互いに利益を求めて。いがみ合うことでは現代もなんら変わりなし。神があればこそ紛争の種を生んでもいよう。
人類皆兄弟だから仲良く。
殺し合いは御法度だ。
それぞれの宗派で言い合いながら。
一方を持ち上げれば、他方を非難しては責める。
それらを見よう見まねで学んだ歴史。
その結果が今日のこの社会です。
それぞれに自高他低の論理があって。
そうした人間の想像力を超えて、一個の星の人類さえひとつにできる神はどこにもない様なのです。
そういうことが徐々に分かってきて。
欧米への百年の恋も醒めて、今。
自分の足で立った今日、さてと振り返れば。
日本人として、心(文化)の戻りどころをどの辺りに求めて歩めば良いのでしょう……。
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