・・・・
夢舟亭
・・・・


夢舟亭 エッセイ    2008年04月19日


     音楽の先生


 春4月。新入学児童の背中にはランドセル。それに交通安全マークが描かれてある黄色いカバー。
 地域のおじさんおばさんが、横断歩道で小旗を差しだしクルマをとめて。マンガ絵のような純真な笑顔で駆けてゆく子どもたちを見送る。
 子どもの列がとぎれるとクルマに黙礼など返す。

 育ってみんな忘れているけど、そういうふうに何人かの大人たちの助けを借りて、ここまで来られた。
 来られたどころか今ではお返しするおじさんの側にまわっている。

 当時はお世話になっているという思いはなかった。
 中学生あたりになると、ムシの好くやつイヤなやつ。この基準でしか大人を見ていなかった。
 誰しもそういうシンプルで自分本位な子どもの時期を過ごしてきたのではないでしょうか。


 私が思い出のなかから、ムシが好くという基準に合致した大人を探せば、中学のときの音楽の先生。それも男でした。
 あの先生はたしか私たちが初めての生徒だったはず。
 そんなわけだから若かった。やる気に満ちていた。

 昭和のなかごろですから、音楽を男先生に習うのは私たちももの珍しく新鮮でした。
 今的にいえば、担当科目の欠員を埋めるために、一応の心得などあって教頭や校長からお願いされたのかなと想像したりする。
 ですがこの先生はそうではなかったのでした。

 当時も国語算数理科社会そして英語が受験5科目。だからは音楽は外れていた。
 音楽の授業は気休めか息抜きだと皆がそう思っていた。
 私も音楽のなんたるかなど知っているわけもないし、知ろうとも思わなかった。
 特別な興味の対象にはなりえないものでした。

 母はよくラジオから流れる曲に耳を傾けていたので、私も耳にする機会はあった。
 だからことさら嫌うことはなかった。
 気にとまったメロディーが流れれば鼻歌ももらした。

 けれど積極的に音楽というものを好むというのではない。
 知人の子が習うヴァイオリンを母が勧めたときは一言で拒否したのでした。

 中学生という多感なころは、誰しも気にとまるものなどあれば、何にでも食指がうごく。面白みを見いだせば手をだして覚え吸収してしまう。
 幼年期から少年期というものはそういう時期なのでしょう。
 まして春の季節。詰め襟の一年生として校舎もかわれば心も浮きうきする。
 通う通学路の周囲にかぎらずすべてが輝きあふれて見えたのでした。

 こちらも初めての春の花匂う中学校なら、あの音楽教師もまた新任一年生でした。
 細身で背高、髪長。小粋なスーツ。リボンのタイなどさげていた。
 ですから一瞬にして生徒の目をとらえた。
 もちろん女生徒の心をです。
 そこで男子生徒らはもうれつに妬んだ。
 しょせん追いつくセンスも何もない坊主頭にニキビがちらほらの顔。

 だがそこはやはりオス一匹分の意地がある。
 ある日の音楽の時間。
 古き良き時代の偉人の解説の一節を読みあげる先生へ。
「先生。こういう音楽ばかりを、なんで習う必要あるんですか。つまんねえよなぁ」と、皆をふり返えりつつ呟いた彼は、クラスのボス格。
 そうだそうだとほかの男子からも同調の声がとぶ。
 すると音楽ってものは音を楽しむと書くのだから、何かパーッとやろうよと追って誰かも叫ぶ。たとえばさ、と向こうからも加わる。

 先生は眉をしかめて当然制するだろうと予測していた我らへ、「おういいねぇ。うんうんそりゃそうだ。音楽なんだからな。楽しくなきゃ、か」と応える。
 ちょっと待ってなと音楽室から廊下へ走りでた。
 どうなってんだと顔見合わせる男子。
 息せき切って戻った先生は何やら黒いカバンを手にしていた。

 蓋をあけるとキンキラ金。楽器か。皆が中腰で視線をそそぐ。
 上下大きさが異なる「S」字にひねった形。サキソホーンというあれだ。
 先生は両手でもって、先に口をあてて、ぶぱぶぱと試す。
 みんなあっけにとられていると、では、と目でいう。

  ブフォ〜フォフォロロ〜〜。ブフォロロロッ ロロ〜ン。
 首をひねり身もだえしながら、目をつむって。頬に力を入るあたりはなかなか絵になる。
 曲は・・たしかハーレムノクターンだった。

 いやぁ決めてくれました。一堂、呆然としてしまった。
 ボス氏があの一言をいわなきゃ、女子の心も眠ったままだったものを。だがここに至ってはもういけません。女子みーんな両手を胸に。きゅーんそして、うーっとり目。
 いやぁ先生参りました!

 すると学級の優等生君が、挙手。
「先生。授業すすめてください。だいいちサックスは交響曲には使われませんよね。モーツァルトにもベートーヴェンにも、サキソホーン協奏曲なんてないと思いますが」
 おう。言ってくれるじゃないか。さすがは我等のホープが負けじと切り返したつもり。

「君詳しいね。よし。じゃあピアノにしようか」
 先生はサキソホーンを丁寧にしまい込み、ピアノに向かう。
 そして上着をぬいで腕まくり。
「じゃあピアノだ。さぁ、行くぞ」
 ジャガジャガ、スジャジャガ。スジャジャガ、ジャガジャガ・・・

 当時流行ったツイストかなんかを弾き始めた。
 さあだれか踊れよ、と笑う。
「え・・いいのうぉ」
「おういいとも。構わないさ。ほら女子もこっちへ出てきな」
 もう完全に降参です。

 ライト光が降りそそぎテープが投げられ黄色い声が飛んだなら。オフタイムのホールもいいところ。そんな雰囲気の音楽室でした。
 何かリクエストはないか、ときた。
 歌謡曲はもちろんプレスリーであれカンツォーネであれ、できないなんて言わない。じゃんじゃん弾いてしまう。
 自分の伴奏で透ったテノールまでがでる。
 不満げだった男子も、いいぞいいぞという状況。

 その日そのときから、音楽は暇つぶし授業などの退屈な科目ではなくなった。
 この先生がまもなく合唱部を結成した。
 地域の学校が年一度競演をやっていた。そのステージへ遠征。
 中学のコーラスといえばお定まりの整列姿勢でお口ぱくぱく。静粛な場に響く混声の課題曲、ともう一曲。

 課題曲を終えたわれらはここぞとばかりに互いの顔を見合わせた。
 先生も例の楽しみ授業のスタイルに切り替わり、くだける。
 イエェ〜!
 各校生徒と関係者が集う館内客席に、何なんだこりゃという驚きの気配が湧く。
 かまうものかと先生は弾きまくる。
「いいかやるときは徹底することだ。始めた限りはやり抜け。自信無げににや付くのが一番見難いんだ」

 ステージに立ってハミングする私らには教えられていた想定内の反応だったから、たじろぐこともなく。身振りまじえて唱う。手拍子も、口笛までやった。
 他校の生徒たちはびっくり。
 私たちの気分は、してやったり!

 80年代になってNHKで「ステージ101」「ヤング101」というパンチのきいた軽音楽(ポップス)番組があったが、まさにあの感覚の合唱だったのです。
 あの後地域には、やるよなぁと噂が広まったのでした。

 すでに近年の市町村統廃合により当時の中学校はありません。
 だがあれ以来音楽は私の大いなる人生の友になった。
 今でも日課としてお茶を飲むように聴き続けている。

 年齢とともに聴く曲や好みの曲調が変わったのはいうまでもありません。
 知識も自然に増してくれば音楽観もそれなりに深まる。
 でも私の音楽観の原点は中学生のあの日の歓びだと思っています。




・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・



[ページ先頭へ]   [夢舟亭のページへ]