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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭   2007年05月12日


     男を測る


 祝日と祭日の連休。
 ホリディの言葉のほうがピンとくる人も多い国際化ニッポン。

 あれは何年まえか。五月、サミット。先進国の首脳が東京に会したとき。
 会議一段落の首脳たちがにこやかに会場をでで春風が快い石段を降り始めた。
 その様子が報道されたのでした。

 当時の中曽根首相が、遠くを指さして隣を歩むマーガレット・サッチャー英首相に何やら語りかけたのでした。
 想像ですが……

  ご覧なさい。あちらにもその先にも、風に清々しく流れるように揺れているものが見えますでしょう。
  あれは鯉のぼりといいましてね。男子の健やかな成長を願う親族縁者の贈り物なのです。
  誕生から毎年。この日五月五日に掲げて、さわやかな季節の風をいっぱいに浴びて空高く泳がせて。
  ファミリーで見仰ぎ、「あのように逞しく育てよ」と端午の節句として祝うのです。
  なぜ鯉なのかですって?
  鯉、あの淡水魚は滝までも昇ってしまう勇気とエネルギーを秘めてますからね。
  女の子の祝いの日ですか?
  勿論ありますとも。
  それは三月三日。レディーファースト、男の子よりも一足先に祝います。桃の節句、雛祭ともいいます。
  きらびやかな着物の雛人形を部屋に飾って甘酒で祝うのです。可愛いでしょう?

 と、まぁこれはTVニュース映像を思い出しての勝手なセリフ付けです。
 実際は英国製のジャガーかロールスロイスが走ってたのかもしれません。

 それはともかく。この祭日、五月五日は子どもの日。
 素晴らしい男に育てよと願う親の心内は本物です。
 さてこの「良い男」です。
 価値観も多様になったといわれてますが、いい男の定義も国の内外で多様なのでしょうか。


 キレの良いリズムを刻むドラムサウンドのジャズオーケストラ・ステージ。
 ブラスセクションの輝くような響きをバックに、白い足に網タイツをすらりと伸ばして。
 エナメルがきらりと眩しい真っ赤なハイヒール。
 ブロンドの髪を斜めに垂らし、上目で客席を覗くブルーの瞳。
 ふくよかな姿態も悩ましく艶めかしい、悩殺ポーズ。
 客席におくる流し目は微笑んでステージの左右にステップを踏む。
 はちきれそうな若さの、知る人ぞ知る来日女性スターがシルクハット片手に歌い踊ったときのことです。

  シャバラ、シャバシャバ、ラリラリラ・・
  男をわたしに、紹介してくれない。
  ねえ。良い男をさ、この私に、紹介してよ。
  とびっきりのを、十人ほどね。
  誇り高く、勇気が有って。
  どんな困難にだって挑む、鋼(はがね)の様な魂を持つ男をさ。
 
 ほろ酔い気分で、イエー! とばかり中継テレビスクリーンを見入っていての、映し出された翻訳セリフ。
 このとき、ステージを踏むきれいなお身足で頭をカツーンと蹴とばされたような衝撃を受けました。

 なぜというに。
 この状況なら誰よりもあたしだけを大事にしてくれる男。
 足が長くって鼻筋がすきっと通ったとーっても優しい人をお願い。
 の辺りの、イケメン好みの歌詞だろうと予想した瞬間だったのです。

 それが誇り高く勇気がある男を、ときたのですから・・。


「あんたナメんじゃないわよ。
 このあたしがそんなカス好みに見える?
 あたしだけだって。ぷっ、笑わせないでよ。
 このクニの女ってそんなんな程度なの。小男好みばかしなのかぁ。ヤだねぇ。
 対する男はどれもこれもチッチャくて情けないのばっかりってワケかぁ。ゲロでるわね」

 と、女性が抱くだろうと私が勝手に思ったいい男像の狭さを、ものの見事にあざ笑らわれた気分になったのでした。


 そういえば、だいぶ昔になるが−−
 ある西部劇映画のラストシーンで。
 ライフルを手にして村を死守する男たちがいた。

 だが撃ちまくられて惨敗のありさま。
 すでに全滅は百パーセント見えていた。
 とても生き残れる戦況ではない。

 その中に盲目の老いた妻の手をとって戦う男がいた。
 敵の弾丸がびゅんびゅん飛んでくるなかで、生存の仲間たちは老いた彼に、もういいから妻と共に立ち去れと何度も振り返って叫ぶ。
 どうせ誰も生き残れやしないのだからと。

 男は度重なるその声に従おうかと銃の引き金の手を休めて妻の手を握り、見えない目をみつめた。
 と、しばらく唇をふるわしていた妻は、夫その手を振りほどいて叫んだ。
「村の衆! おめえ達はこの男に何ってことを言うだぁ。
 おらたちの命を育(はぐく)んでくれた恵みの土地とおめえらを守れねぇだけでも恥ずかしいに、この男の誇りまで捨てて出てけっていうだか。とんでもねえこった!
 村の衆よく聞け!
 おらが選んだこの亭主を見くびるでねぇ。
 この男はな。おらみてな老い先短けぇ盲(めくら)婆ァひとりの為に、そったな馬鹿して逃げる男じゃねえんだ!」


 チマキ食べたべ兄さんが測ってくれたのは背の丈。
 それは誰もが目で見える、身長。
 では「男の価値」は、誰がどう測るのだろう。
 人はそれぞれにそなわっている特徴個性をもっている。
 皆が長所を持ち合わせ生きる価値があるのだ。
 ・・などと、言う。

 けれど、こと「自分の男」を選ぶとき、そうシンプルな目では見れまい。
 男を手に入れる女性の目と心がしっかり測り選択する権利をもっている。

 正義感あふれ壮大な夢を持ち続ける男。頂点に立っても寄り来る心苦にけっしてメゲない男を見つけなければなるまい。
 この先の人生と加わる家族を、自信も誇りももって背負う男でなければ恥ずかしいではないか。

 そして男の子が生まれればまた。
 育てあげる実権を握っているのも女性。
 素晴らしい人物を選び政治の場に送りだすのが国民であるように、素晴らしい男を作るのも女性であり母。母親が抱くいい男像が形になり巣立って行く。

 村の衆! オトコどもへのオナゴの責任てものは、こりゃあ重いってことかのぉ。

 ところでそこのあんた。
 ほれその胸の中の鯉、今日も青空高ぁ〜く泳いどるだかね?


    記:1994年5月5日 /修:2007/05/10




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