<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
夢舟亭 エッセイ
2007年02月24日
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第二番
ある厳冬の夜。
身内ほどにも親しい人の父親のお通夜の知らせを受けて、出向いた。
私にも恩ある棺をまえにして、文字通り夜を通して香煙をたむけた。
焼香の客も絶えた深夜になって。
死者の思い出の話に注された酒に酔って。酔いの眠気をさましにと、身も凍る外に立ってみれば。
北の片田舎のことであり、街灯もない。
積雪が掃きひろげられた土の道は、霜氷でかたまっていた。
底冷えが寒風に運ばれて足下からはい上がってくる。
ぞくっと身をふるわして、冷気に白く息を吐いて静かな空をあおいで見れば。満天の星座に一点のくもりもない。
澄みわたって清い天空に、痛いほどに鋭い輝きの粒が散らばっていた。
宝石箱をひっくり返したようだという喩えが、うなずける。
しばし星空をながめては、感嘆と寒さにながい息をまた吐く。
と、故人のふんわりした笑顔が、ところどころに薄く白くただよう星雲に思い浮かぶ。
風もなくいっさいの音を絶ったような、冬景色のまっただなかにただ独り。
故人の思い出が清水のなかの姿のように透けてくる。
深夜の地上の闇と、天空の星明り。
上下ふたつの世界の間で埋没していると、その彼方から少しずつだが湧きあがるような音楽が聞こえるような感じになる。
それはピアノの静かな響き。
曲名はすぐに分かった。
ラフマニノフの、ピアノコンチェルト。第二番。
星夜の彼方からの静かな旋律は、オーケストラとの協奏にはいって一層たしかなものになる。
それはそのまま故人の人生模様であり、サウンドトラックか。
80歳をこえた故人の、幼少のころのつぶらな瞳は、どのような風景に目ざめたのであったろうか。
みどりの草原に戯び、駈けまわって。やがて陽のおちるころに遠く母の呼ぶ声が、山野にこだまして。夕闇に姿が見えず、泣きべそなどかいたりしたか。
故人の初恋のあわき薫りとはどんなものであったのだろ。
仲むつまじいご夫人との再会は、療養の床で夢見ることができたろうか。
先に逝かれたあのときの辛さはいかばかりであったろう。私などそれに堪えられるだろうか。
むかしこの国にいくさがあって、故人も出向いたという。
命を国に預けるという意味も、それを受け入れる親子家族の精神も、私などこの歳になっても推し量りようがない。
国中から送りだされた若者らが、兵士軍人として、敵国兵の肉体を砲弾で射抜くべく異国に赴いたなどということが。
いくさの勝敗はともかく、幸いにして間もなく終わった。
そんな辺りから聞かされたっけ。
逞しく頼りがいのある、眩しき人生の先輩であった。
晩年は喜怒哀楽の語りきれない多くを人生のなかで味わったと、言葉少なに盃すすっていたものだ。
物のない時代とはいえ、心の解放の喜びに勝るものはなかった。
平成よりも自由だったよといった。
わらいついでに、夢中で育て上げた子らも気がつけばすでに子をもち、それらにさえ子ができたと目をほそめたものだ。
その顔にはすでに深いしわが幾筋もあった。
もう数えきれやしないで、数さえ口にできない昨日今日だったとか。
ああ、それにしても……、人の生命ひと筋のフィルムとは、なんとあっけないことか。
私が逝ったその朝に、友人知人は、いったい何ほどの言葉でこの命のフィルムを回想してくれるだろう。
よもやその以前に、忘れ去られてしまった存在ということはないだろうか。
形ばかりの花の輪などはともかく、それよりもわが亡母は、不忠義なこの子の黄泉の国への旅立ちの朝、忘れず迎えにきてくれるだろうか……
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