・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません> 夢舟亭 エッセイ 2012年08月03日 邦画「ライフ・オン・ザ・ロングボード」 リタイア後の一人の男の話だ。 ひとには多かれ少なかれリタイア(定年退職)の後に夢を抱いているだろう。 もっとも、ひとはといっても、リタイアといっても、世の職業職種は限りなくあるわけだから、必ず定年の退職が待っているとはかぎるまい。まして各人職業観もさまざまなら、皆がみなその時を限りに潔く現職を去るとはいえない。 であるからこの場合は、それを選んだサラリーマンとことわっておこう。 彼、大杉漣が演ずる主人公は、必ずしもその日を待っていたかといえば、職場のなかの自分おかれた立場からそれが良いとしたようだ。 つまり、現役主流の役職として、活き活きとして部下を指揮し勤めを果たしていたわけではない。 この大杉漣という俳優は、定年退職当日の退社時に送る者とてないこの壮年の主人公を、なかなかにうまく演じてくれている。 彼には、就職が決まらず職探しに明け暮れる娘がいる。けれど、その当夜、ご苦労様でしたのねぎらいの夕食が待っていることはなかった。 伴侶、妻はすでに亡く、同居する家族といえばそんな娘だけ。 さて、明けて翌日から、彼は大方のリタイア者にみるように、さて何をしようか? そこで、ふと若かりし頃に妻とのなれそめの一件を思い出す。 それが作品の題名となっている「ロングボード」に乗るサーフィン。つまり、波乗りだった。 というわけでけして、うだつのあがる男ではなかった彼が、いや地味に粘り強くサラリーマン人生に堪えてこられた彼だからこそ、一見そぐわないロングボードに打ち込む姿が見所になるのだ。 また、彼に絡む脇役たちの様子もまた・・・観てのお楽しみだ。 ところで、リタイア後をどう考えるか。 昨今、就職難ということもあろうか、日本サラリーマンの勤勉さの賜物か、定年という人生の節目の先も離れず留まるかたが多いと聞く。 若者後輩にいわせれば、譲りたがらないのだ、と。 わたしは40歳代なかに定年後を視野にいれていた。 やりたいコト、やっているコトが多かった、ということもあるが、心待ちしていた方だ。 それでも、実際に一日中がマイタイムの「その後」が来てみると、時間が足りないと感じた。 愉しめるならそれも良いのではあるが、実際やりたいコトを極めるには、十代からすでに習って学んで励みの積み重ねが要るのだと悟るのだった。 それほどに、何ごとも真剣に向上を望むなら、物事がすべからく深い高いものなのだ。 よく「退職したら***でもやるかな」などというかたが居る。 そんなふうに思う程度の楽しみは、もともと先がない一過性のものだろうから、わたしのいう、やりたいコトとは別なのだ。 せめて退職三年後の自分を視野に入れて、自分なりの目標を設定し、出来れば現役時から取り組んでいるべきだ。 活力余力がある現職中にやりたいコトが何もつかめないで、気持ちが弛み行動力が減り歳を増してから、ゼロから何がスタート出来ようか。 さらにいうなら、この映画に見るように、そのコトは「カネにも成らないコト」が良い。 資本主義、効率最優先の社会に身も心も染まって、秒単位の行動に麻痺してしまった精神の垢を拭うには、そうした価値観から180度の脳内革命が要る。 そう、これから先は、金銭価値では測れない価値をいくつ自分のものに出来、手応えを味わえるか、だ。 そう改心して始めて、こんな素晴らしいコトが、人が、世界が、価値が、気持ちに、遭遇できるというわけだ。 そういう意味で、その歳でサーフィンだってぇ! という声が湧きそうなこの映画は、わたし的には出だしから異議無しの納得ストーリーでありました。 |
・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
|