エッセイ 夢舟亭
2008年 2月 9日
ラジオ放送
FM放送を聞いていてふと思うことがあります。
『ラジオは本物が放送される』
ラジオ放送の、とくに音楽番組に使われる演奏はすべて本物だからです。
たとえローカル局でも。
本物、とは。たとえ録音ものでも「本人たちの演奏が放送される」ということ。
そこでテレビの音楽番組をイメージして欲しい。
たとえばカラヤンやアバド。アーノンクールやサイモンラトルなどが、ベルリンフィルやウィーンフィルとともに放映されるでしょうか。
今は亡き名演奏家ともなれば、映像も少ないわけですが。
世界の著名演奏家を、テレビでは簡単に毎日毎週放送するわけには行かないはずだ、という意味です。
ところがラジオ放送の方はといえば。
世界の著名演奏家を、日常的にかけることができている。
CDやレコード、テープなど録音物で番組をうめることによるわけですが、少なくとも本物を登場させることができるのです。
このきわめて当たり前なことは、クラシックに限らす、ジャズでもポップスや歌謡曲にもいえますね。
なにせCDやレコードの音ならば、すべて本物本人の演奏が揃う。
本人の出演や映像から比べれば、音だけなら割安だという違いがあるでしょう。
本人とのスケジュール調整もいらない。
大忙しの国際的スターも、今は亡き往年のあの演奏も、最高のコンディションでいつでもラジオなら放送できるということです。
そんなわけで、ラジオ放送の音楽番組で世界の音楽を聴いて育った私ら世代は、しぜんと世界の音楽の本物を耳にしてきたということになるわけです。
本物ほんものと、大層にいうが。
それが先に始まったラジオ放送と、その技術的経緯からみれば当たり前だったわけですけれど・・。
言い方を換えれば、テレビ放送の時代になってからの人は、世界の著名な演奏家たちの演奏を聞けないまま育った、ということになる。
つまり国内代用演奏者か、静止画や説明言葉を見聞きする程度だったということです。
ということは、人々の意識から世界の本物の音楽が遠のいたのは、テレビ放送のせいということになるのかな、と思うのですがいかがでしょう。
あわせて、音楽そのものに触れる機会も減ってきたのではないか、と。
それもまたテレビ映像化による世界の音楽情報の不足。
入れ替わって、国内で映像化のための代用調達。
これを無意識な音楽文化の鎖国といっては言い過ぎかもしれませんが、そんな思いが私にはあるのです。
軽音楽の世界を説明すると分かり易いかもしれません。
グループサウンズというエレキギター演奏グループの大流行。
あれはラジオとテレビの放送変遷の端境期でした。
彼ら演奏の始まりは、テレビ時代が行き渡っていなかったラジオ番組からでした。
海外のビートルズやヴェンチャーズほかが若者の音楽心を刺激したのは、ラジオ放送に本場物が流れたから。
次いでおとずれたフォークブーム。
キングストントリオやピーター・ポール&マリー、ブラザース・フォーなどなどもまた。
当然すべてラジオから本物が流れ、夢中で聴かれました。
やがて真似た国内グループが生まれた。
その辺りでテレビ映像全盛の時代に入った。
そこで国内調達映像として、真似たグループが画面に登場した。
それ以後、目で見て楽しむ世代は、本物や元祖ではなく。国内のそれらに共感、あるいは甘んじた。
それまで本物を楽しんだ世代も、テレビの日常化にともなって、国内へ目が向いた。
その分、音楽心は、なんとなく満たされず、音楽が遠のいたという人もいる。
これはテレビ放送をする側の意識化の企てというよりも。
先に言ったごとく、やもうえない事情であったのはいうまでもありません。
紅白歌合戦などはテレビ時代とともに国内本物たちの映像でしょう。
対して、輸入で成り立っている音楽界としては、米国グラミー賞に限らず欧州ものも、映像時代の本物は多いがそれは映像放送には高額だったことでしょう。
だから国内版で間に合わせもいたしかたなし。
ところがラジオファンとしては海外の本物を楽しみ続けられた。
この時点で、テレビは国産物で、ラジオからは本場物、という分離壁が成った。
ラジオ放送の視聴者がわでは、録音機能も加わりエアチェックという楽しみも加わり、音質を高めたFM放送も増えて・・。
さらに例をあげればジャズやシャンソン、カンツォーネ。ハワイアンやタンゴほか軽音楽のインスルメンタル演奏もののカテゴリーも。
今では語りぐさとなっている世界のアーティストこそ、当時ラジオ放送によって世界に知れ渡った。
私の愛聴のなかではビリーボーン、パーシーフェース、ポールモーリア、レーモンルフェーブル、カラベリ、ウェルナーミューラー、アルフレッドハウゼ、フランクプールセル、フランクチャックスフィールド、マントヴァーニー・・というそうそうたる演奏団体もまた。
これら小粋な音楽家たちとその曲の数々は、まさにきら星のごとき輝きを放って。
毎夜どこかのラジオ局から流れた。
アジアの外れ極東の私などが、今でもこれら名を言葉にしただけで心躍るのは、当時のラジオ放送のお陰いがいの何ものでもありません。
今ではあの世までももっていけるこの世の素晴らしい土産のひとつだと思っているほどです。
あれほどのラジオ世界の定番常連だったのにもかかわらず。
それらはけしてテレビ放送に登場する演奏団体ではなかったのです。
そればかりか、このカテゴリーについては真似事の演奏家さえ登場しなかったのでした。
当時それを成せる名手など国内には存在しなかったのです。
ときには若者のラジオリクエスト番組で、体感型エレキサウンドと人気を二分し競い、トップさえ奪ったほどのこれら世界の本物たちが。
ラジオというステージで演奏し続けては人々の心を潤したのでした。
それほどの彼らが、情報の表通りとしてのテレビスクリーンにいっさい姿を現すことがなかった音楽世界というのも、今思えば奇異なことでした。
そのテレビ放送業界の実情内情はといえば、とてもテレビに出せない本物の演奏家たち、という経済的契約上の諸問題が大きかったでしょう。
また国交や異国隔たりの問題もあったのでしょう。
とてもテレビ放送に毎回映像で出演させるわけにはゆかない世界の高値の花だったということは充分分かるのです。
ですからここでテレビ放送の責任追及とか、わが国音楽文化への罪を述べているつもりはありません。
時代の流れのなかの、ひとつの音楽盛衰話です。
いずれにせよテレビ時代というものが、そこまで続いていた本物の音楽を、世界の音楽ファンから切り離す結果になった、という気がするということです。
私たちラジオで本物音楽を楽しんだ者への、テレビ時代からのサーヴィスというなら、世界の著名音楽家たちが、後年、国内地方へまわるようになった。
そこで直接見聞きできるほどに身近なツアーを組んでくれたことでしょうか。
お陰で私もそのほとんどに接することができました。
そのステージイメージを大事にしながら、今でも再生音楽として何度耳にしても楽しいのは、ひとえにラジオ放送のお陰だと感謝しているのです。
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