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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


夢舟亭 エッセイ    2006年04月19日


    落語「百年目」

     (江戸の桜と後継者育成)


 花見をしてきました。
 夜桜が提灯の列に浮き立って、とっても和式の華やいだ気分でした。

 日本独自の憩いの宴、花見というと、話芸落語にも語られています。
 なかでも「長屋の花見」は良く知られていますね。
 これは落語ファンならずとも知っている「八ッつあん熊さん長屋の住人たちが、大家さんの音頭で花見に出かける様子です。
 酒は、お茶け。
 お重箱には卵焼き、に似せた黄色く漬けたたくあん。蒲鉾(かまぼこ)は……と、長屋らしいご馳走で楽しむ、まさに落語的な滑稽噺(こっけいばなし)となっています。

 しかし、今回楽しみたい花見にまつわる噺は、「百年目(ひゃくねんめ)」。


 春四月は、花見だけではなく、新年度として職を得た社会人一年生が、それぞれの職場で働き始める時期でもありますね。

 さて昔の就職はというと、どうなっていたのでしょう。
 江戸など町場の店は、知り合いなどを介して、周辺在郷の農家から次男や三男坊の子どもを雇うことが多かったらしい。

 子どもの親と店との話がまとまれば、その子は住み込みで雇われる。
 これが奉公。小さいうちは丁稚奉公、約してデッチ(丁稚)などと言われた。

 小さいうち、とは十才ほど。
 現代なら小学の低学年生。
 まだまだ子どもっ気が抜けない遊び盛りで甘えのまっ盛中。
 それが親元から離され、店に預けられて、勤めること十年間。

 子守や店の家事雑用、小間使いなどから始まって、使い走りなどしながら礼儀作法挨拶はもちろん。
 商売のあれこれ知識に、算数や文字。そのほか商いのイロハを見よう見まねで身につけることになる。

 その間は、休み無しの給料無し。せいぜいがお盆と暮れ正月にお小遣い。
 そして数年経ってやっと里帰りの「藪入り(やぶいり)」(当ページへ掲載中) の許可がおりる。

 大きな店となれば奉公人は多い。
 年間を通して、いろいろな性格の者と寝起きを共にする。
 となれば、親元に居るのとは異なり、気苦労の毎日となる。
 皆優しいというわけにゆかないのが子ども同士。
 思いが考えが異なれば、いさかい口論もあり、喧嘩にもなる。
 負けた勝ったのと敵視する者あれば加勢もする。諭す年長の者も居る。
 そうしたなかで辛い悲しいという思いを味わう。
 これが人間の成長には良い。
 社会のなかで人の道はいかにあるべきかを、肌身で心得ることになる。

 そうして十年も過ごせば立派な大人。
 大人として付き合いを外にも広めて、世の中の表から裏の裏までを、聞いては見ては。
 自らやってみて憶えて身に付ける。
 店商いや、その業界の付き合いも広まり、しっかり者と認められれば、番頭にる。
 現代でいえば課長から部長級のマネージャー(管理職)だ。

 使用人が多い大店(おおだな)ともなれば、複数の番頭の上に大番頭と呼ばれる地位がある。
 これはもう経営の実際を担う取締役や社長級。
 使用人の動かしはもちろん、商売大口取引先選びから渉外交渉などなど、みな大番頭の采配で行うことになる。

 そしてその上の最頂点に、店主オーナー大旦那が居る。
 これは会長といったところか。代々家系の代替わりの、店の持ち主だ。
 大旦那となれば、経営には直接口を出さない。
 丁稚から育てあげて大番頭となった者の自由采配に任せるのが普通だとか。
 であるから、事あるときの相談役である。

 大旦那の存在は、大番頭にとって、店でこれほど恐れい存在はない。
 なにせ現代のような雇用にまつわる諸法律があるわけではない時代です。言ってしまえば、番頭ほか雇われ人の「殺生与奪の権」を握っている。
 大旦那というものは天上人の様です。

 とはいえお店第一で勤め上げ、大番頭までなったほどの者なら店のほとんどをきりもり出来る実権をもっている。
 やがてマネージメントのノウハウを卒業して、やがては店のご厚意によって、のれんを分けて頂ける。つまりチェーン店として、資金援助を受けて自分の店を持てるという希望があるのです。

 それだけにまた、そこまで上り詰めるには人一倍の頑張りや自制心も要るということになる。選び抜かれた人ということか。

 そういう人物であれば、番頭としてのお役目として、店の者皆への目配りは厳しい。
 何せ店の経営権を握っているわけですから、つまずきなど有ってはいけないという思いで、皆を無駄なく動かして責任を果たさんとするわけです。

 すると、どうしても皆の欠点にばかり目が行く。
 当然見つけ気付いたときは、キツイ注意の声も高くなる。

 きつい上に細かいところを言われれば、目下の者たちは煙たくなる。
 その行き過ぎとなれば、店の中がぎくしゃくする。皆の意気を削ぐ。
 さりとて、弛めれば良いかといえば、それもまた弛みがでて困る。

 それは何も昔のお店に限らず、産業企業はもちろん上下人の構成組織では、似たような苦労が、少なからずあると思うのですがいかがでしょう。

 で、この店もそうした使用人たちの雰囲気と大番頭の采配は、会長である大旦那さまに見えている。
 大旦那としては多少気にかかることではある。しかしそうそう口を出すことではない。

 わが大番頭の責任感からの言動は大変結構なのだが、いささか堅物。もう少し柔らかな面があってもよいようだ。
 さりとて、柔らかにと遊びをわざわざ教えるというものでもあるまいなぁと思案していた、きのうきょう。

 こうした背景があって、ある花見時の、江戸大店のお話、「百年目」のステージの幕が開く。


 今朝も、丁稚たちが店の掃除を済したところへ、隅々まで目を通す大番頭。
 そちこちで働きまわる奉公人をつかまえては、注意苦言を与えている。

 難しい顔をして威厳を保ったまま、恐縮する周囲の皆を見回す。
 ほぼ全員に、ささいな事まで小言を与えるのが日課となっているふうで、皆も我慢しつつも耳にタコで聞いている。

 困ったものです。
 そういうわけですから、気を付けてもらわにゃいけませんよ。
 一人一人が気を引き締めなくては、お客様に嫌われ、飽きられて、逃げられてしまいます。
 するとどうなりますか。
 ライバルの他の店が、ここぞとばかりに攻め込んでくる。つまりお客様が奪われます。
 油断はいけない。
 いいですね。お客様第一。お店第一。
 ごほっ。
 あぁ……それでは、わたしは、これからちょっとお客様のところへ参ります。
 ぼふぉッ。うむ、頼みましたよ。気を緩めないでくださいよ。

 大番頭さんは苦虫を噛みつぶした様な顔をさらに渋くして、店を出た。
 その姿が遠のくと、ほーっと洩らす一息がそちこちから。
 皆の肩のあたりも、ほぐれる。

 大番頭さん(以下番頭さん)は、店を出たあと、角を曲がった先でふいとたばこ店に入った。
 店のおばあさんは驚きもしない。毎度のわけ知り顔で頭を下げる。
 それに挨拶を送りながら店の二階に上がる番頭さん。

 その部屋には、箪笥が二竿ほどおかれてある。
 慣れた手つきで引き出す。
 よそ行きの着替えが綺麗に並んでいる。
 それは自費で借りてる自分の部屋だ。

 髪を撫でつけ、遊び着の見事な羽織。今で言えば粋なスーツ上下に着替える。
 鮮やかなネクタイなど締めて、後ろ前を鏡でたしかめ、降りてゆく。
 そうなると、どこから見ても立派な経営者ふう。
 同業の方々の経営者の会合宴会か贅沢な遊びにでも向かうかのような装いとなり、店を出るとクルマを止めて、乗る。と、走り出す。当時は駕籠だろうか。

 停まって、降りたのは、川岸。
 そこに待ちかまえていた屋形舟に乗り込んだ。

 舟には、すでに花見の膳がならべられ、その周りに綺麗どころ数人の娘さんが、あでやかな着物姿で揃っていた。ともに太鼓持ちも居て、待ちくたびれたふうだ。

 それでもそこは春は、花。
 番頭さんの到着を喜ぶ皆は、花見に気持ちが浮かれるのを隠せない。

 ところが乗り込んだ番頭さんは、開け放された舟の窓をすべて締めろという。
 誰に見つかるか分かりゃしないと、気遣いながらの遊び舟は、岸を離れる。

 花見なのにぃ、何で締めちゃうわけぇ〜、と綺麗どころ皆が不満をあらわす。
 とはいえ番頭さんは客。
 気遣いながらも、太鼓持ちが身の物かなんかをほめたりしつつ、宴を盛り上げる。
 花見舟は両岸満開の隅田川をすべってゆく。


 岸の桜の下を行くころになると、トンチリシャンで酔いもまわり、宴もたけなわ。
 さすがに春の陽射しに蒸されて堪えられず、締め切っていた舟の障子戸を開け放つ。
 さーっと吹き込む春風が桜の香りをのせて、薄紅色のさくらが見事なまでに両岸を染めている。
 皆いっせいに拍手、歓声。
  うわーっ!
  いよ〜っ!
  素敵ねぇ〜。

 散った花びらが盃に舞いおちる。
 風に飛んできては、若い黒髪にからみつく。
 花見となればこういうことが、一層雰囲気を盛り上げる。

 人出が多い岸に舟をつけると、すでに見物客で大にぎわい。
 待ってましたとばかりに舟の皆がはしゃいで降りる。
 桜林を走りまわる。
  トン、チリ、シャン。

 店で先ほど見せた苦虫潰した顔など想像できないほどに、遊び馴れた仕草で踊って見せる番頭さん。
 なかなか見事な振りだ形だと、花見の客も見て通る。
 店の者など見たらあの番頭さんだと思うだろうか。

 それへ拍子付いたか、絡まる女性たちが余興に目隠しなどさせた。
 すっかり花見の浮かれ気分の鬼さん番頭さん。
 黄色い声で逃げまどう女性たちを、手探りで追う。
 ほかの花見客の方からも、ふらふら歩きのほろ酔い姿に手拍子を添える。

 どーこだどこだ。むむ。ほーら捕まえたぞ〜。
 さあどうしてくれようかぁ〜。

 番頭さんは、よその客をしっかり抱きしめてしまった。
 周りの皆が大喜びではやし立てる。
 それに合わせて、つかまえたその手を取って、大物ふうに浮かれてみせる。
 番頭さんは、楽しそうに目隠しをはずした。
 そこで驚いたのなんの。

 手をつないで目の前に立っているのは・・・ご老人。
 それもこの世で一番恐い人。
 自分の店の、大旦那さまだった。

 驚いたのは番頭さんだけじゃない。
 目の前の男の顔を見て、信じられないのは大旦那のほう。

 なにせ堅物が堅い着物を着ているような番頭だと思っていたのだ。
 今朝だって、出がけに皆をにらんでいた様子は、遊ぶなど考える男にはとてもとても思えなかった。
 店の者をきつく戒めていたあの番頭が、偶然とはいえ花見で出会ってみれば、芸者や太鼓持ちと粋に遊んでいるではないか。
 その現場で出会ったのだ。皆の前で、真正面に対峙してしまった。

  こ、これはぁ……。
 いや、また……なんともぉ……ご、ご無沙汰しておりまして……。
 ひゃ、百年目でございます……。

 さすがの大番頭も、大旦那さまににらまれては、言葉とて意味不明。
 ただ恐縮してしまうだけだった。

 そこへゆくと大旦那は大物。一枚上手だった。
 自分の店の者を大衆の面前で混乱に陥れる様な醜態などは見せやしない。
 とっさにフォローする。
 当時とて、どんなマスコミが見ていて醜聞を吹聴するか分からないのであります。

 うんうん。まあ何ですね。いやお見事な踊り、粋なお遊びでございますねぇ。
 一緒にお遊びのみなさんもね、このかたは、私の大事な人ですからね。
 ですから、お相手をよろしくお願いしますよ。

 にーっこり微笑むと、太鼓持ちに幾らか握らして、目配せする。
 立ちつくす番頭の肩を二三度たたく。と、桜並木の中に去って行った。
 花見陽気に惹かれた大旦那もまた、御贔屓の医者などを連れて見にきていたのだった。

 だが番頭としては、ここに及んではもはや花見気分など吹っ飛んだ。
 とんでもない現場を押さえられてしまったのだ。
 同伴の皆に別れも言わず振り向きもせず。
 一目散に店に戻った。

 血相変えてたどり着くと、そのまま気分が悪いからと、寝込んだ。
 だがもちろん夜になっても眠れやしない。
 あ……、おれはやっぱり、クビかなぁ。
 そりゃそうだろうな。
 何でまた、出かけたりしたんだろう。
 せめて舟だけにしておけば……大旦那になど出会わなかったが……。

 後悔先に立たず。
 けっきょく明け方まで悩みっぱなし。

 当然ながら店を開けて間もなく、大旦那さまの奥座敷へ、と呼びつけられた。


 お入り。
 おはよう。
 どうだい、夕べはよく眠れたかい。
 いや私もね、じつは眠れなかった。
 何せ、とんでもない所で、信じられない姿で出会ったのだものからね。
 それで、お前には悪いが、任せっきりの経理帳簿類をすべて見させて貰ったよ。
 番頭の不始末など逃して、この店の身上を傾かせるなどがあっては困るからね。
 わたしの代でそんなことがあっては、ご先祖に申し訳ないですからね。

 はっ、はい…………

 いや、ご立派。
 おまえは大したものです。
 一分一文の間違いも有りませんでしたよ。問題なし。

 はあっ……。

 さぁお茶でも飲みなさい。
 お前さん、店に来た時のこと、憶えているかい。
 歳は、十一だったね。
 まぁ寝しょんべんはするは、青洟は垂らすは。身体が弱いのか栄養が足りなかったのか、風邪はひくは皮膚病にかかるわ。
 また数がどうにも数えられない。
 ソロバンはさっぱり覚えない。
 どうにもしょうがないので、もう里の実家に返しましょうかと、お婆さんに言ったものだ。
 そしたら、いやなかなか気丈夫な所も心優しいところもあるんだから、今しばらく辛抱おし、と笑ってたっけ。

 ……。

 そんな時も有ったのが昔のお前さんだ。
 亡くなった婆さんのいうとおり、今じゃ見事なまでの経営者になってもらった。店も繁盛だ。礼をいいますよ。

 あ、り、が、と、うございます……くくくっ。

 お前さんに任せてからは、店も一段と大きくなって身上も増えた。
 今じゃ江戸で、この店を知らぬ者はない。礼を言います。
 お前さんは、立派な経営の才覚がありますよ。だから店仲間も、褒めている。

 いや……まだまだ至らないことばかりで……。

 ふふ。使いなさい。
 もう、付き合いの技を磨く立場ですよ。
 ライバルが五〇両使ったらこっちは百両だって使って競り勝って名を上げて。
 気前羽振りを見せて売りなさい。
 ケチな商売していると、どうしても客が退いてしまいます。つき合う客も小さくなる。
 お客というものは、そういう所を実に良く見ている。
 大きい客は、うら寂れた感じを嫌うものです。
 だから使うべきときはパッと、大花火でもあげた様に明るく陽気に、見事に使いなさい。
 商売は勢いですよ。
 ホリエモンを見なさい(とまで言ったかどうかは分かりませんが)。

 はっ……申し訳ございませんでした。

 ふふ。何をいつまで謝っておいでかね。その必要はありませんよ。
 人の上に立って大きく商売を指揮するにゃ、何んでもかんでも覚えなくちゃなりません。
 どんどん広がるお客さんのお相手では、あれは知らないこれは分からないとは言えない。
 場も白けるし、だいいちお付き合いが馴染まない。
 ほら、お馴染みさん、というでしょう。

 はいっ。

 ところで番頭さん。
 昨日のあの踊りだがね。

 いや、もう、その話はご勘弁を。

 いやいや。なかなか上手かった。
 堅物のお前さんがいつ憶えたのだろうかと、不思議です。ふふふ。
 いやこのわたしもね、苦労して習ってみたが。なかなか覚えられませんでした。
 上品に遊ぶ姿というが、簡単に身に付くものではないですね。
 商売はね、腕(技術)だけで金、金と追っていると、何かの拍子で狂い出すと、ほかに何も手が無く、考えが浮かばずに、どうしようもない。だから芸事も良いことです。
 そこでひとつだけ。
 お前さんのやることに不満など無いのだが……、若い人たちにもね、締め上げるだけじゃなく、遊び、余裕ある寛容ってものをね。
 上下持ちつ持たれつですからね。
 いやいや、これは万事心得てるお前さんには言わずともいい話でした。あっはっは……。

 はっ……はい。旦那さま。何んにも知らぬ百姓の小倅(こせがれ)を、よくもここまで仕込んで頂きまして……。ありがとうございました。
 これからもお店のため旦那さまのために、精進致しますので……。

 はいはい。そして店の、下の者のためにもね。
 ふふ。なんですか番頭さん。まあまあそんな気詰まりな。
 さあ気を楽にして。
 冷めないうちに、お茶をおあがりな。はっはっは……。
 もう少しの間、店をよろしくお願いしますよ。
 そしたらお前さんの店を、必ず、ね。

 ・・・っと続く会話です。
 かなり落語から離れたアドリブ創作入りの「百年目」でした。


 年功序列や終身雇用の、日本特有な心を乱さない安定調和型雇用関係よりも、不安をあおり脅し錯乱させては、出し抜け騙せの能力第一主義、競争状態での成果主義が今評価されているとか。
 信頼や人心掌握のマネージメントなどよりも、命令一下で結果数字評価の方が、人間力など要らずに、とっても簡単です。
 だのに、いやだからこそ今また和式が見直されているというビジネス社会。

 そうであるならその理由の一端が、花見に絡めた筋立ての「百年目」の大旦那と番頭の関係に見いだせるかも知れませんね。
 こういうビジネスマネージメント研修会なら眠らずに済みますから、大歓迎です。

 題名であり、この噺の落ちにも使われる「百年目」とは、『ここで会ったが百年目だー!』というように使われますが、滅多にない出会いとか、最悪の出会いや、運の尽きをさす様ですね。


       終わり









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