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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭 エッセイ   2005年11月03日

    レスピーギ「ローマの松」


 管弦楽団、オーケストラ。
 その編成をさらに大きくしたものが、交響楽団、つまりシンフォニー・オーケストラ。
 ・・とこれはあくまでも言葉の意味でしかないでしょう。
 ですから私的素人にとっては、スケールの大きな管弦楽団がシンフォニーオーケストラ、交響楽団という認識です。フルオーケストラなどいう人も居るようですが。

 それにしてもオーケストラの全合奏の大強音(ff:フォルテシモ)で昇りつめて行って、一気に炸裂するあの瞬間のサウンドパワー、全開の迫力の音響は痛快ですね。

 オーケストラ、と言うと即座に艶めいているウィーン・フィルハーモニー・オーケストラとか、正確無比なベルリン・フィルハーモニー・オーケストラなどとご指定なさる方がいらっしゃいます。この後もこの先も無しとばかりの入れ込みようで、音楽の完璧性絶対性を求めるたりする人も居るとか。

 また先年ヨーロッパでは実力優位にパリ管弦楽団もあげられたようです。 
 そして近年めざましいロシアのキーロフ歌劇場管弦楽団−−ワレリー・ギルギエフ指揮などを挙げる若い方も多いとか。

 ところがこの私ときたひにゃほとんどその辺りのこだわりが無い。
 幸か不幸か、食事はうまく食えれば何でも構わない雑食系育ち。
 戴けますれば聴かせていただけるなら、というきわめて謙虚な小市民なのです。

 弦楽器が左右にあの様に並んで、その奥に金管木管の楽器がこうあって、その後ろにティンパニーやシンバルがしかるごとく置かれていたら、もうOKです。
 さぁお聴かせくださいということ。

 つまりは面食いなどではなくイケメン類になど一切こだわらない。
 映画やドラマでいうなら、素人をうまく活かす監督の方が好きなくらいです。

 なんだか前置きが長くなってしまいました。

 さて宴会の席に酒が入って、しばらくして。
 待ちに待ったあの人がたどり着いた。
  いやぁ遅くなっちゃって・・。
  それよりまずは、駆け付け三杯!
 などと言って美酒を注いでやるものですが。
 音楽それもクラシックのフルオーケストラサウンドを心待ちにした人へ、まずはこの一曲! と言うとどんな曲をご推薦なさりますか?

 やはり、壮大な交響曲のスケールが大きく絢爛豪華な音の大伽藍というような曲が良いでしょうか。
 スペクタクル映画を超特大スクリーンで見るように、勇壮なシンフォニーサウンドがホールを圧倒する。
 そういう曲というと・・、何を上げますか?

 人それぞれでしょうね。
 宇宙空間の広漠さと神秘性を暗黒のスペースに楽しむなら、ホルストの「惑星」でしょうか。
 怪奇な音のムソルグスキー、幽玄なる「展覧会の絵」か。
 あるいは幻想のバグダッドの昔話シンドバッド。大航海の嵐、リムスキー・コルサコフの「シャーラザード」などを推す方もいらっしゃる。

 いやぁどれも素晴らしい。
 飲みはじめ序の段では、あまり精神性を追うより、こうした作曲家自身が付けた標題のストーリー性のあるものがイメージが湧いて楽しいですね。

 そんなわけでここではコルサコフ先生の門下生であるレスピーギの作曲による、「ローマの松」と行きたいのですが、いかがでしょう。

 レスピーギという人はイタリア人。
 1879年生まれの1936年没というから、比較的近年の人ですね。
 この人の作品にローマ三部作という文字が、音楽雑誌やカタログCDジャケット解説文に見た方は多いのではないでしょうか。

「ローマの噴水」「ローマの祭り」そして「ローマの松」。
 そういったものをイメージした楽曲です。
 それも先に挙げたフルオーケストラサウンドという願いにぴったり。
 まさに壮大な編成のオーケストラ向け。
 いいですねえ〜。

 私的には、ローマの、というところがまた憎いのです。
 とはいえ残念ながら遺跡のあの町をまだ訪れたことがありません。
 ですがレスピーギのこれらの曲は好きです。

 ローマの、と題した3作の中から今回選んだ、ローマの松。
 ここでいう「松」とは何か?

 そこで有名なこの一言。
 『 すべての道はローマに続く 』

 この場合のローマとは紀元前の数世紀から始まるローマ人の歴史。古代ローマ帝国。
 紀元前数世紀から大いに勃興して、紀元後数世紀まで。
 現イタリアのローマを中心に、広大な地域を治めて繁栄したあのローマ帝国のことですね。

 当時ローマを中央帝都として、そこから傘下国を増やし拡大していった。
 戦いに破れローマの軍門にくだったその地域へ、ローマから続くハイウェイ(街道)を建設をして伸ばしていった。
 これによりすべての道がローマに続いたわけですね。
 その広さは、現在のEU諸国連合の広さを超えると言われます。
 北はドーバー海峡を越えた現イギリスまでも。西は地中海周辺すべて。そしてギリシャと・・。
 それら東西南北に向かって網の目のように街道は伸びてつながれた。

 もっとも当時の欧州地域は、征伐したジュリアス・シーザー(カエサル)の記録によれば、大変な辺境地でそのほとんどが山深いものだったとか。
 住民の生活も現代のヨーロッパからは想像も出来ない、かなり遅れた山賊のような生活をしていた様なのです。
 そうした地域に住む現在のヨーロッパ人の祖先をガリア人などというのも、そういういささか蔑んだ呼び名だったようです。
 2000年以上も昔の当時ローマ軍遠征によって、ヨーロッパの現在知られた町の名がかなり多く付けられたということです。

  ヨーロッパはカエサルによって拓かれた

 2000年後の現代のイギリスの有名な政治家チャーチルが言ったとか。

 私ごときのローマ史知識などはこの辺にして。
 かようにもローマ帝国拡大が可能だったことの一番には、ローマ帝国皇帝や元老院(内閣)の統治の考え方が素晴らしかったとか言われます。
 たとえば道路建設。
 明日からローマ市民だとなった国、属州へは自慢の道路の建設をはじめ、今で言う高速通信網としての郵便馬車の仕組みを敷いて。
 欧州各地の遺跡でおなじみのコロシアム、つまり円形競技場建設を、娯楽と政治伝導の場として建造した。
 また今でもあちこちに遺る鉱山列車の鉄橋の様なアーチ型石積み。あれは長距離水道路です。
 その先には、整備された町並みと、心身の健康第一とした浴場が設置された。

 そうした多くの市民社会環境、生活施設を加盟国の都市建設を行うマニュアルがあったというから驚きです。
 こうなると戦わずに、自分たちから申し出てもローマ市民に成りたいと、下ってくる国もあったという。さもあろうことですね。

 現在のEU加盟国すべての広さを超える古代ローマ帝国ですが、それはまた市民パワーも凄く。
 ローマの競技場での催しの際には、市民のブーイングによる皇帝リコールもあったとか。
 民主主義の源流を見る思いです。

 ・・・とまあ、話し出すとさすがにお話いっぱいの古代ローマ。
 ローマの松に話を向けましょう。

 各国に向けて延々と続いていた道路ハイウェイである街道のほとんどは、石敷きだったと言います。
 今も残っている街道の石は、すり減って丸い。
 でも当時の徹底したメンテナンス体制があった頃は、隙もなく敷かれてその平面は水はけの斜面や堀、両側には歩道まであったいう。

 で、この街道の両側に、「松」が植えられていた。
 街路樹として旅行く人の目をなごませていた。

 こうした松は、街道を行き来する善男善女を。あるいは火急の通信伝令早馬や、緊急出動のローマの大軍の隊列行進を、見下ろしていたはず。
 敵カルタゴの剛勇ハンニバルがアルプスを越えて象を引き連れ、攻め込んできたあの歴史に残る瞬間を見たのかもしれません。

 西暦、とはキリスト生誕から数えての年号ですね。
 30歳ほどのキリストが、ローマ帝国内のユダヤ国において宗教裁判にかけられ、ユダヤ教に反する邪教者として判決が下された。
 その結果、はり付け。
 そうしたユダヤ国からの断罪執行の願いを、当時のテベリウス帝へ向けて報告が走ったのもこうした街道だったかもしれません。

 約2000年の後、そういうふうなローマの歴史に思いを馳せて、街道の松の視線に立ってイメージした。
 そんな音楽家が居たのでした。
 それがレスピーギ。

 ・・と、ここで古代の松並木と、レスピーギの曲がつながったわけです。


 曲の方は、ボルゲーゼの松、カタコンブの松、ジャニコロの松。
 そして古代ローマ帝国の国道1号線といったところの、アッピア街道の松。

 現代の遺跡のなかの、それらの松の木が楽音によって映し出される。
 やがて音で描写するのは古代の情景へ誘ってゆく。
 どっどっどっと街道のはるか向こうから姿を現した一行の大隊は・・ローマ軍団。
 やがてその大人数のひとりひとりが、武具の姿が、明確になってきて目の前を過ぎてゆく。
 その先で行われたであろう戦闘シーンまでが・・・聞こえてくるようなのです。





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