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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


夢舟亭 エッセイ   2005年12月06日


   サン・サーンス「動物の謝肉祭」


 ホールの扉をくぐって入ると、客席が前方向こうに下って、左右に並べ拡がっている。
 客の期待がざわめく会場。その大空間は2,000席ほどが、ほぼ満員。

 その正面いっぱいにステージ広く明るい。
 すでにオーケストラの配置に、楽団員の数だけ椅子が並べられている。
 持ち歩きがたい大太鼓や銅鑼やティンパニーまたコントラバスなどは、この時点でそこに置かれてある。

 やがて開演を告げるチャイムなどが鳴り響く。

 手に手に愛用の大小楽器類を持って、現れてそれぞれの席に坐る演奏者たち。オーケストラの団員。
 皆が列席。
 間もなくヴァイオリン群の先頭で、ヒュルルーと発され皆に聞かせる。
 それへ、それぞれ音調を合わせんがために、パオーとかギコーと発して従う。

 その後、しばし静寂。
 そちこちの客席から、こほっと咳払いなどが。

 と−−
 コッツコッツコッツ。
 ステージ端から、靴音が。

 すかさず場内に拍手が湧き上がる。歓迎と期待。
 足音の主はステージ前中央に進み来て、一段の台に載る。
 笑顔で一礼する指揮者は、燕尾服。それはもちろん、黒。
 会場客席を一渡り見仰ぎながら、黙礼を二,三度繰り返す。

 ふいと振り向き、合い対するはステージ上のオーケストラ全員。
 拍手は止む。
 さあみんな存分に演奏を楽しもう、と言わんばかりに皆を見まわす。

 指揮棒を振り上げて、一瞬の後に振り下ろす。
 ジャーンとかシュルルルーとか発音しては、それに応えるオーケストラ。
 観客は聞き惚れ見とれて、音の渦に呑まれて・・。
 一曲の何楽章かが、そうして続く。

 やがて指揮棒の動きが止まる。
 間髪あけずに拍手が湧く。
 指揮者は振り返って感激の声援を受け、団員へ手を差しのべて拍手を分け与える。
 そこで退場。

 だが拍手は止まず。
 頃合いを見計らって再度現れては、拍手に声援に応える。


 さてしばし間をおいての後。
 中央にはピアノが一台現れる。

 再度、コッツコッツコッツの音。
 今度はダブルで聞こえる。
 指揮者は連れを率いて現れた。

 二曲目は本日のメインイベント。
 聴かせどころのピアノ・コンチェルト。
 ピアノ奏者とオーケストラが協演するのだ。
 指揮者は指揮台に。

 もう一名は漆黒の光を放つピアノに向かう。
 位置や坐り具合を確かめ咳払いなどしながら、指揮者と目でコンタクト。

 指揮棒の振り下ろしを期に、鍵盤に踊る両手は、ときに激しくまた淑やかに。
 優雅な軌跡を描き、長髪の乱れなどを掻きあげる白細きその指の余裕。
 曲の間さえ絵になっていて流麗に。
 観客を魅了する妙なる音色が、弦楽器の艶風や管の吹奏激風に絡まる。
 この時間を心から楽しむ観客。

 ・・とまあ、音楽会、コンサートはこういったものではないでしょうか。


 そうしたピアニストの、練習模様を挿絵でも描く様にちょっとユーモラスに表現した小曲がある。
 と言いえば、あれかな、という人も居られることでしょう。

 サン・サーンスというフランスの作曲家が創った「動物の謝肉祭」という曲。
 この曲にはエピソードが二三有るようです。

「動物の謝肉祭」というが、1835年生まれのこの才人にしてみれば、ヒト科の人間も、所詮は動物でしかない。
 人間の中の芸術家ピアニストという動物種は、もっともらしく、しきりに運指を繰り返す習性を持つまことに変な生き物らしい。

 この音楽イメージで描かれた動物たちとは、ほかに百獣の王のライオン(獅子)、鶏、らば、亀、象、カンガルー、魚など。
 それらを数分から1分間足らずの曲、14種で成っている。
 それぞれがどこかユーモラスで、聴いて嬉しくなる曲ばかりなのです。

 この8番目に、「耳長の仮装人物」とかいう怪し人類が。
 そして11番目にもヒト科の生物が。
 人類が誇る芸術家の動物。ピアニストが登場するのです。

 今は亡き漫画家手塚治虫が描く様な、完全にのめり込んで弾いている髪長いピアニストのごとき、大まじめの様子が。
 だのに私のいい加減な耳でも、この曲は指のずっこけの具合さえが、わざと描かれてあるのが、分かる。
 なーんともまあジョークが利いているではありませんか。
 これもまた音楽。

 ヒト科の生態描写も、動きのあるさらりとした現代的アニメ映像にでもしたくなる様です。
 動物たちのイメージ音表現も、独特な楽曲としてピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネットほか小編成で演奏されるのが、この「動物の謝肉祭」。

 一説には、創ったサン・サーンス本人の考えではこの作品はコンサートなど人前に出すつもりはなかった、と言われている。
 スケッチ程度の意識であったのだろうと。

 では冗談音楽か、と言えばそこがかの「おフランス」、エスプリの妙味か。
 けっして滑稽ずっこけのひょうきん度100パーセント暇つぶしではない。

 7番目の「水族館」の、水槽を泳ぎゆく魚の群のイメージ。
 聴くと、ゆるやかな曲線を描いて可愛い魚体をくねらせる様子が想い描ける。
 ここにおいて可笑しさなどは無く、青く透明な魚影の曲そのものです。
 つまりしごく真面目な曲たちであることが分かるのです。

 そして13番目。
 この「動物の謝肉祭」の曲の極地か。
 ご存じ、「白鳥」がある。
 静かな湖面を滑る真っ白い白鳥。
 水面をゆく様がとても優雅です。

 ロシアの舞踏家は、この曲だけ抜き出して独自の解釈で振り付けした。
 舞踏によって演じられた白鳥の変身。
 今や世界中に知れ渡っているバレエの舞い。

 そこに見るのは、のどかに湖面を行く白鳥の姿、というものではない。
 自分の死を悟った白鳥。「瀕死の白鳥」の舞いだ。

 チェロとピアノに合わせ、おのれの死を意識して独り、寂しく舞う。
 見る者の心を孤独にして、雲海の彼方へ浮遊させてしまう。
 暮れなずむ空間の、赤い光源のほか何も見えぬ、果てない雲の原に浮かぶ。
 力溢れた双翼いっぱいに風をつかみ、大空を駆けた若い頃を夢想する老白鳥。
 今、独り、永遠の彼方に旅立とうとしている。

 すでに目前に迫った、死。
 そのほんの数分の間に、瀕死の白鳥の脳裏に去来するものは・・。
 輝いていた頃のまぶしい自分と仲間とのささやきや出来事だろうか。
 あるいは、待っているもうすぐ合えるはずの、母の優しい微笑みとふくよかな両翼だろうか。
 −−そういう思いを抱かずにはおれないこの一曲、とこの一舞。

 ユーモアがファンタジーとなってレクイエムに至ったか。
 ここまで深いイメージにまで完成しているとは。
 わずか3分間で永遠の彼方に旅行く白鳥の様まで夢想できる。
 音楽というものの表現力ここにあり。






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