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夢舟亭
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エッセイ   夢舟亭    2007年03月11日


    サラリーマン気質


 この季節には転職や職場が変わるなど多いと思います。

 私が若いころ勤めた職場に、お酒が好きでとても陽気な上司がおりました。
 人気者のその人は、歌謡曲「イヨマンテの夜」が好きで、宴会のときの持ち歌にしていました。

 あの曲は腹で歌うというかベルカント唱法とでもいうような歌手の曲でした。
 わが上司もまた、礼一つの直立にして不動の姿勢で。
 両手を胸のあたりに組んで。

 あぁーいやーホイ。燃えろかがり火 あぁー満月よ・・イヨマンテ〜と、顔を真っ赤にして歌うのでした。
 なにせ当時まだカラオケなど無かったころです。
 連れて行かれる居酒屋で酔いがまわってくると。
 無伴奏、アカペラ独唱です。

 十八番(おはこ)のこのアイヌ調の曲を、気がのってくる山場「イヨマンテぇ〜」にさしかかるときは絶唱、いや絶叫です。

 歌声はけして聞けないという程のものではありません。
 社内でもトイレに立ちどまって歌うほどですから、歌好きで有名。
 毎度まいどのことにいささか辟易してる人が居たということはある。

 その辺りの皆の気持ちを、ご本人はどう理解してたのか。
 今では知る手だてもありません。

 もっとも本人の心ゆくまで歌いきる姿に、苦言など申しのべる人はいなかった。
 酒席の芸人には、声援こそ送れども、上司仲間同士だって不快感をあらわすなど考えられない。

 なにせ酒宴というものは、大切な仕事仲間のコミュニケーションの場。職場ともいえる。
 ですからある意味仕事の延長かもしれません。
 飲みニケーションとはよく言ったものです。
 仕事とはそういうことも含まれていたように感じます。
 そういう時代だったのです。

「今夜、どう?」と問えば、それは帰宅途中の酒呑みのこと。
 すぐに数人に伝わり話はまとまる。

 で、大概、行きつけの店へ。
 店主とはもちろん、お馴染み客たがいに知り合う。友人にさえなる。
 先輩の方々はみな、行きつけ店を数軒もっている。
 どの店も満員なのでした。

 行く時間が遅ければ、いやぁ済みませんねぇ、と店主が満員を詫びる。
 客のほうも、いいよいいよじゃあまた来るから、と手を頭のあたりに、退きあげる。
 あの先を曲がったトコにいい女将がいるんださぁ行こう、と賑わう裏道をぞろり、また歩む。

 さてわが上司。イヨマンテの夜、の歌上手。
 そんなわけで「イヨマンさん」のニックネームがついていた。

 なにせ飲むと必ず始まる。
 いよっ待ってましたっ!

 向こうで目もうつろな酔い客が、すっかり承知していて微笑む。
 と、歌いながら礼を返すわが上司。
 この時だけは、わがイヨマンさんは笑われようが野次られようが、知っちゃいない。
 その場の雰囲気を、あぁーいやーホイ。燃えろかがり火・・イヨマンテぇ〜と、我が色に染めてしまう。
 歌い終わればまた、いようぉー、うまいッ! と大喝采が沸く。

 また皆で飲みかわすあの時の酒ってものは、なんでああも旨かったのでしょう。

 こうした旨い酒の呑み仲間は、職場での結束がことのほか固い。
 社の決まりよりも、重役の命令よりも、この仲間関係を大切にして互いに擁護弁護するのでした。
 なぁに派閥などというようなそんな大層な仲間ではないのです。
 ただこの酒縁仲間交友の絆が、私的な時と場所はもちろん、ときには職場での窮地の助けになる。この絆を優先するのでした。

 とはいえ実質なにができるかといえば、大それた行動はとれないのです。
 ただ、仲間関係を守るためには、ときには社用公用を二の次にする。
 だから精神的な支えとしてはなかなかに大きかったのです。
 何かあれば、じゃ今夜行こう、となるのです。

  そーんなこと気にすんなって。
  分かったわかった。いいからオレに任せておけって。
  やったね。それですよ。あんたは、えらいねぇ!
  なにおぉ、あのばか部長そんなこと言いやがったのか。よし、おれがひとつ言ってやる。
  おまえはサ、やればできるやつなんだ。頑張れ。

 これはもう兄弟仁義の世界です。
 言い方をかえれば最高の師弟関係かもしれない。
 近年の、仕事に私心を交えず、などという考えからはほど遠い契り仁義の世界でした。

 時には、酔って終電に遅れて、右にふらふら左によろよろと、おっさん同士が肩組んで、狭いアパートに引き連れて。
 泊まっては、ご家族にまで迷惑をかけつつお世話になることも珍しくないのです。

 思えば、皆が地方出の都会暮らしです。
 そうした仲間同士が独身のころから友情の手をむすぶことは、互助の生きる手だてだったのだと思います。
 わが上司イヨマンさんも故郷を後にしたひとりであったのです。
 それだけに陽気さで人心を寄せ集め、結ばれていたのでしょう。
 また仲間は皆笑顔のいい人ばかりなのでした。

 そんな人たちに可愛がられていながら、そうした人間関係にいまひとつ馴染めなかった後輩の私を、その誰もが責めずに転職を祝ってくれたのでした。
 今思えば、いつの時代にもいわれることだが、前の世代と後の世代のサラリーマン気質が、あの辺りで違ってきていた、ということなのでしょう。

 この後世代の、その後はといえば。
 24時間働けますの一匹狼であり、モーレツ仕事人間として。
 効率時代を突っ走った企業戦士。

 それも1990年辺りになって枯れてきて。
 整理され解雇のリストラ波をあびて。

 手入れ不行き届き虫歯が抜け落ちる様に、群れもなくひとりまたひとりと退社して消えた。

 残った者とて、寂しい夜道を歌もなく帰るおじさんたちの影のひとつ、というわけです。




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