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夢舟亭
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エッセイ   夢舟亭      2008年04月05日


    異端 E.サティ


 異質、というと何を思い浮かべるでしょうか。
 異臭、異音、異色、異種、異様、異論、異説、異物、異人、異端など他と異なるもの異なるものをいう。複数のなかで比べるとほか多数と異なることを意味する言葉たち。

 「異」が出たついでに語呂合わせをすれば、異端であればこそ異色であり、異様な風体をしていれば、異説をもって説き伏せる。・・というようなことを思ったりするのだが。

 最近は「KYだ」とばかりに嗤い指さされる世の中である。
 異論などうっかり言えない。
 なにせ言うも聞くも、和をもって尊きお国である。

 何ごとにも、いかにもっ! ごもっともっ! 右に同じ!
 KYとは「空気が読めない者」の意味だという若者から湧きだした隠語らしい。
 人同士の和気合い合いの、場の雰囲気や話の流れを乱すことは嫌われる。
 おじさん世代でのことかと思えば、なんと若者のことだという。

 突飛なことを言ったりやったり、話の流れを変えたりしては。驚かせたり白けさせたりする者をバカねとばかりに揶揄する意味のようである。


 和を尊ぶとは言うものの。
 歴史を変えてきたのは異なる人の異の言動はではなったかな、と思う。

 というヒントに加えて、以下の楽節を−−
 タラ〜ン、テラ〜ン。タラ〜ン、テラ〜ン。タラララララ、タラララ〜ン。タラ〜ン、テラ〜ン。タラ〜ン、テラ〜ン・・。

 これだけであの曲だと判る音楽好きの人はもうこの先はスキップなさっていただきたいものです。

 曲名は「3つのジムノペディ」。
 1888年作というから、1866年フランス生まれの彼22歳の曲。

 彼の名は、エリック・アルフレッド・レスリ・サティ。
 先日NHK-BS-hiで特集されていました。
 私はピアノの演奏のほかにジャズピアノトリオ演奏でもよく聴くのです。

 このサティもなかなかに異質な人です。
 それはこの曲こそ異質の始まりを現している。

 耳にしたことがないという人は少ないと思います。
 ただ曲名はあまり知られていないかもしれない。

 ピアノ曲として、あるいはオーケストラ版で。
 テレビやラジオ番組のバックに流されたりします。
 劇的なシーンよりも何気ない会話のシーン向き。

 この曲はクラシックの往年の名曲たちとはちがって、メロディーがどこか不思議。
 不自然な感じがする。
 それでいて惹かれる。
 なんとなく気だるくて物静かな曲なのです。
 その感じが常識的な古典の名曲に比べて、異質。

 次にくるべきと思っているこちらの思いの音調から外れた感じがする。
 その瞬間「えっ!?」と思う。
「なに、これ!?」というようKYっぽいのです。

 それもそのはず。
 この感じをもって印象派という音楽の新世代が始まったようなのですから。
 印象派、とは「感じ」ですね。
 他人はどうか知らないけれど「私はこう感じるのです」ということ。

 絵画の世界で言うと分かり易いようですが、つまり皆納得する忠実な描写ではなく、自分流の解釈で受けた印象を表現するということらしい。
 そうした先にはピカソなども居るのでしょうね。

 印象派の前は、古典派。
 決まり事を大いに活かして快い、ロマン派。

 それに比べて自分的な印象となれば、当然それまでの定石を外しで、我流っぽさが出る。
 つまり形式やルールから外れる。

 外れる、というのは聞くこちらにとって当然予期した調子をはぐらかされる非常識さを感じる。
 この非常識さがサティの曲の特徴だということになる。

 その非常識さは当然、当時のその道の識者専門家からは「KY」的なる者の行いとされたのかもしれません。
 いや事実そうだったと言われています。つまり、異質。

 私には、音楽的技法の異質さは分かりません。
 しかしたしかにモーツァルトやベートヴェンの音楽なら、けしてこうはならないという音の流れを外したのを聞き取れます。

 日本語とはいえ音楽とは音を楽しめること。
 何よりそれが大切であり、その為ならやっていけない事はないのでしょう。

 しかしながら音を楽しむ為にこそ守るべき手法も多いのだと思うのです。
 少なくともそれを学び守って受け継ぐことで過去の名曲は生まれ支持されてきた。

 そういうことは百も承知のサティが、あえて同じ目的の為に自分流を生みだすためにルールを破った。
 この勇気と意志は、それなりの自信があってのことでしょうし出来る若さの頃だったとも思える。

 そして、そういうことを果敢に実行して平気なまでの意志を形成したのは、良くも悪くも生い立ちではないかなどと思うのです。
 つまり世の決まりよりも自己主張を優先させて平気だった。それへの疑問や異議ありの声に立ち向かえた。

 サティのこうしたルール破りが受け入れられ支持されたことで、新しい音楽世界が開けては楽説として教科書にもなったことでしょう。
 つまりその後はそれもまたルールとして収まってしまった。

 そうした考え方を支持し影響を受けた人にドビュッシーやラヴェルが居たと言われます。
 ストラヴィンスキーさえもが、といわれるものの、サティからの影響を自ら認めるひとはラヴェルだけとか。

 いずれにせよ印象派という新しい楽想によって新しい曲が生まれた。
 その異質な流れを注いだのがサティだということになるようです。
 異質の勝利、異端万歳です。
 
 タラ〜ン、テラ〜ン。タラ〜ン、テラ〜ン。タラララララ、タラララ〜ン。タラ〜ン、テラ〜ン。タラ〜ン、テラ〜ン・・。




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