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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ        2003/03/06

      さざ波



 あの晩。わたしが夜中の二時すぎにトイレにおきて、終わって階下をみる。
 と、下が明るかった。

 妻は寝ているのだから一緒に住む末の息子が消しわすれたかと思う。
 やりっぱなしなところもあるがこの灯りの消しわすれはめずらしい。
 とはいってもまさかこんなモノの無い家に侵入者もなかろうと、階段を降りた。

 小さな家のことだから一階廊下の電灯は玄関まで見通せてしまう。
 二三の部屋があるがドアはみな閉じていた。
 玄関寄りの居間に入ってみる。
 すると長椅子にどでんと転がって寝息をたてている男がひとり。
 よく見ればわが息子、次男どのであった。

 映画やテレビのドラマで、子どもの寝顔に今日一日のしあわせを感謝する生活苦の親が映ったりする。
 子どもを育てたことのあるひとにとってはあれはけっこう共感シーンである。
 寝顔には幼子の純真無垢さがあらわれる。

 だがこの二十歳を超えた男子の寝顔となれば、やたら大きいうえにニキビ痕まであるのだ。手製バレンタインチョコを自慢した小学生のころ(別掲載の「鼻血」参照)の面影は薄い。

 それでもそこは親ばか。
 困ったもので、こいつもいっぱしの働く男として苦労などしているのだろうかと、その顔に思いが湧く。
 寒い季節ではなかったが、毛布に手をかけて直したりしてしまうのだ。
 その数日前に電話をかけてきたが、そういえば以前の陽気な口調ではなかったのだった。
 問いかけるのはこちらばかりで、応じる返事もさえない。
 若いのだから気持ちの浮き沈みは良くあることだと、気にもしなかった。

 介護士2年目。
 好きで進んだ道であり勤める地も施設も自ら選んだ。
 この親のけがれた目からみれば、いささか気持ちの清さ純朴さが心配といえなくもなかった。
 もう老人たちの面倒をうまく看れるようになっただろうか。うまく扱えているものか。
 まあ身体だけはしっかり育ったのだし、人並みにものを考えているのなら、一応は手を離せるだろうと思っていた。
 茶を酌む妻に、そう思ったよと伝えたものだ。
 と、なぁによあの子だったら替わってくれりゃよかったのに、このところ電話が無かったから心配していたのと手を止めた。

  あの子あの子といったって、もう二十一歳だよ。

 無視するように茶飲みを手にする。
 それへ不満顔でいる妻。

「母親は 勿体ないが だましよい」という古川柳を思いだした。
 たしか落語で聞いたものだ。

 いいえ子どもは、いつまでも子どもですよ。
 とくにあの子は心配かけまいとする性格なんですから。
 と、立ち上がって電話に手をだす。

  よしなさい二十歳過ぎの男に、母親がいちいち。よけいなことです。

 なんのことはない。わたしたちのすることは落語の人情ばなしのまくら(導入部)ではないかと、おかしくなった。

 落語ついでにいえば、「母親は 勿体ないが だましよい」というのもあった。
 厳しい父親とちがって、母親の慈悲深さはありがたいものだ。
 けれど、子どもがちょっとでも甘えた素振りですり寄っておカネの工面など願うと、ああよしよしとつい財布を弛めるその様子をいうらしい。

「母親は 息子のウソを足してやり」というのもあった。
 息子の言い訳を見抜いて叱る父親に、ウソをウソと認めきれない母親が、息子のウソの口添えをする様子だ。

 わたしはこれを知っていたからでもないが、放っておきなさい、といって電話する妻を止めた。
 あの世から電話できないのだから、今のうちに止めなさいというつもりなのだ。


 息子深夜ご帰還の、その朝。
 妻は台所ではりきっていた。

 ふふ、見てみなさいな、と居間のソファアに横たわっている息子を暇無し指す。
 困った子だと言いつつ、顔はめいっぱいほころんでいる。
 あの子は小さいときからこれが好きだったと、急きょメニュウ変更の鍋を見せる。
 指差された先の息子は大きなアクビで頭など掻いて、テレビに眠い目を向けまだ転がっている。

 ここで「親馬鹿 子は畜生」の故事の類を思い出す。
 親というものは子ども可愛さで何でもオーケーを出すおばかさんだ。
 それを良いことに無理強いしては、物でもカネでもせびり取る子どもはまるで犬畜生だということ。

 この例でいうなら、老母が入院しているホームにカネせびりに出向く五十路の息子などがいるという。
 死の臭いを嗅ぎつけると子ども達の訪問がふえるなどという話を、遠く聞いたことがあるがはたしてどうなのだろう。
 親が思うほど、子らが親への恩など感じているかは怪しいものだ。
 この息子こそは、これからそうした人間の裏を目の当たりにすることになるのだ。

 それにしてもよく考えてみればおかしいのは、そうした性悪子らを畜生に喩えることだ。
 犬猫が知ったら気分を害して、人間世界にミサイルひとつも落としたくなりはしまいか。
 日ごろ目にする鳥獣親子の姿はどれも手落ちなく育て、子離れ親離れがまた見事なのだ。

 夜中の突然に、なに用あって帰ったのやらと返すわたしに、ふふ休暇でしょと応える妻。
 料理に忙しいとばかり、わたしは払いのけられた。
 手をたっぷり掛けた朝食の遅れでわたしは始業ぎりぎりの出社。

 さて帰宅すると息子どのは、まだご在宅だった。
 アルコールの合わない身体だから控えろと日ごろいうのが、この時は頼まないでも出してもらえたわたしは、コップにビールをご丁寧にもたっぷりと注がれた。
 まぁ親心のざわつき静めに、ひとつゴチになるか。

 さけ おんな うた と豪語した派手な指揮者がむかしいたらしい。この子ももう男だ。どうせシゴトかおんな、あるいはおカネの辺りが悩みだろう。
 さあ何でも来い。

  父さん。ぼく……。

 家を出てあと、何度か戻ったときの浮かれ笑いがない。

  うむ。

  あ……いや。あのさ。この曲知ってるかなぁ。

  キョク!? ジェイポップなんていうなよ。

  お婆さんの歌ってた曲だから。

  婆さんが?

  うん。

  どんなだ。

  らりらー、らりらーらー、りらららー、らりららー……、って。

  なに? えーと、らりらー、らりらーらー、りらららーら、か。

  そう。それ、なに?

  ああ、イワノビッチの曲。イワニセビッチじゃないぞ。

  ふ。で、なんての。

  これはさざ波。ドナウ川のさざ波さ。

  ドナウ川の、さざ、波、か。美しくなんとかのドナウとは違うんだ。

  美しく青きドナウはシュトラウスだ。あのワルツとは違う。あれが金色ならこのドナウは銀色だなぁ。そこがまたこの曲の良さじゃないか。らりらー、らりらーらーってな。

  ふーん。

  これが、どうした。

  ぼく、辞めようと思って。

  なにを?

  介護のシゴト。

  辞めるだとう。

  死なせちゃったんだ、ぼく。

  死なせた。だれを?

  このさざ波を、ときどき歌ってたおばあさん。

  なんで?

  食べ物を……花見の団子。初めての食べ物じゃないんだ。だけど……。

  だけど?

  のどというか、肺まで入っちゃって。食事はいつも自分でちゃんと食べられるひとなんだ。手のかかる別なひとを看てたすきに……

  それで、どうした。

  先輩がすぐ処置したんだ。救急車で病院へも。けど……手遅れで。

  ばっか。餅なんて食わせるやつないだろう。何のための施設だ。

  餅じゃない団子だよ。栄養士も同じく言われてた。でも食べさせてたのはぼくだから。看てたのはぼくなんだ。責任はぼくなんだ。きのうがお葬式で……

  家族に謝ったか。怒られたろう。

  まあ……一応は。

  一応!? おい。ひとの命に一応ってのがあるか。

  一応しか、謝らせて貰えなかった。仕方ないですよって。このあとは家族でやるからお引き取りくださいって。ご苦労さまお世話になりましたって。上司も、こういうときは早く引き揚げるものだって……ぼく分かんないよ。

  なにが。

  家族は、お婆さんが亡くなったのに、あまり悲しそうに見えなかった。お母さんなんだよ。ぼく誰に謝っていいのか……

  でもきちっと謝ったんだろうな。
  ああ。でもね。……まあおいしそうな花見だんごねっていって食べてたのに……

  そうか。まあ飲め。さあさあ、もっと飲め。なんだそればっかりか。

  ぼくはそんなに飲めないよ。

  家族はちょくちょく訪ねてたか。

  ぜんぜん来なかったんだ。誰も……訪ねて来るひとなんて少ないんだよ。

  ははあだ。みろドラマのようではないだろう。

  そうだね。でも……死んだのはぼくのせいさ。いつも、らりらーらりらーって車椅子をこいで。なんていう曲か訊いても憶えてない。しぜんに口からもれるらしく。ふわーっと口ずさむのが、今も聞こえそうだ。ぼく……どうしたらいいか。ああもういやなんだ。

  おい良く聞け。いいか。いまごろはな、家族で財産を山分けしてるさ。いまにおまえにお礼の電話をかけてくるかもしれん。死なせてくれてありがとうってな。

  何を言うのあなたは! そんなこという父親がありますか。

  うるさい! おまえは黙れっ。いいっか親をあずけるのもこの時代だからいいだろう。けど悲しみもしない家族どもの親のひとりやふたり。死んだの生きたのといちいち喚くんじゃない。
  いいか、これからそんなことでいちいち帰ってくるな。辞めたきゃ、いいとも辞めちまえ。老い先短いジジババを扱うのがシゴトなんだ。おまえも男だろう。
  これからは本人が何と言ったって水以外飲ませるな。決まりは守れ。鬼になれ。ららららーとかいちいち感傷気分になるんじゃない。分かったかッ!

  くーっ。父さんは狂ってる。キチガイ親父! 心の無い人間なんて居るか。ひとが死んで平気なやつがいるもんか。

  居るさ。ここにな。へっ、おれはなーんにも感じない。おまえ虫も殺せねえんだろう。

  ぼくが殺したりするかしないか、親のくせにわからないのか。

  ああわからないとも。さっき自分で殺したといったろう。

  殺したなんて言ってない。殺したりするはずないじゃないか。

  殺してないなら事故だろう。めそめそ言ってくるんじゃない。帰れ! なーにがららららーだ。

  父さんのいうことは、めっちゃくちゃだ。

  めっちゃくちゃで悪いか。男はな、めちゃくちゃの中で生きてくもんだ。

 翌夕、帰宅してみると次男は居なかった。

  帰っちゃった。ばかばかしくって話にならないって。ほんとにこの親は何言ってんだか。

  おれは何もおぼえてない。ボケさ。飲み直し。らりらー らりらー、らららー らりららー らりーらららー らりらーらららー 。

 思えばそのお婆さんは「ドナウ川のさざ波」のような品のよいメロディーに、いったいどんな思い出があったのだろう。娘のころの恋のゆめだろうか。

 それにしてもばか息子が至りませんでした。
 まことにもうしわけないことです。ほんとうにごめんなさい。
 子どもに代わりましてご冥福を祈るばかりです。

  あら今夜はまた、なんですか。突然親の仏壇に線香なんかあげたりして。いやだぁほんとにボケたのぉ……。


 あぁ思えばわたしなどが自分を失ったなかで、いったいどんな曲を口ずさむのだろう。




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