エッセイ 夢舟亭
2007年10月06日
性欲の末路
ねこ。猫と聞くだけで、ふわふわとした体毛のあの生き物を思い浮かべて嬉しくなる。
真っ白。白と黒。白や黒や茶の三毛。茶色と白の虎模様。黒灰のまだら毛、などなどきりがない。
犬派猫派とペットファンの好みは二分されるという。
猫ほどひとの生活の場に同居し易いペットもいない気がするがどうだろう。
私は犬も飼っているが、好みでいえば全身真っ黒の猫を飼ってみたいと思いながら、いまだ実現していない。
外出先でそんな黒を見つけるとしばらく眺めてしまう。
真っ黒な尻っ尾を中空に立てたまましゃなりと気取って行くのに一声をかけると、やつめ耳をぴっとして呼び声の後ろに向ける。でも歩みは停めない。
更に一声かける。すると、なんなんだ、というふうに四本の足をひたと止めて、さも煩わしそうにクビなどこちらに回す。
とろりと黒つやの毛の顔に輝くような金色の丸い瞳。
数本のひげをぴんと左右に。
尾は高くしたまま尻の上で宙をなでまわすように動いている。
だまってにらんでいると、みゃぉんと開いた口に白い牙とピンクの舌が見える。
用なんてないんだろ、というように顔を戻して去って行く。
猫は気があっても、犬のように尾をふって駆け寄ってじゃれつくことが少ない気取り屋が多い。
犬猫は幼いころから飼いつづけている。
どれも捨てられたものばかりだから、毛色を選ぶわけにもゆかなかった。
現在飼っているのも見捨てるにしのびなく、クルマに載せて帰った猫の、その子たっちだ。産み増やされてもらい手引き取り手がないまま残してしまったのだ。
猫は春先の「あの時期」になると実にうるさく鳴きわめく。
そしておなかを大きくしては4、5匹産む。
まさに産む機械なのだ。
またあの時期の鳴き声というものは隣家にも迷惑してとても困る。
家人に言わせれば昔の家はどこも立て付けも戸締まりもいい加減だったから、その気になった猫はいつでもボーイハントに行けたのだという。
それに対して今の建物は機密性が良くそれができない。
猫のトイレも家中に準備することになり、うっかりそれがない部屋に一日閉じこめてしまったりすると必ず汚されてしまう。
昨今はヒト科の生物界でも「出来ちゃった婚」というのがあるようだが、猫にこれは一層困るのだ。
なにせ猫の方は飼い主に責任がくる。
手術をすれば良いですよとアドバイスをくれる人が居るが、性格が変わり猫らしくなくなるからと笑うことにしている。
本音は非保険猫にカネがもったいないのだ。
そんなわけで、うるさーい! と蹴飛ばしたくなるあの時期。
異性への憧れは簡単には消えないらしい。
ヒト科の生物の英国の話に、ロミオろみおと窓辺でラヴコールする話があるが、居候それも獣(けもの)の分際で子を産みたいなどとは贅沢にして愚かしい。
何を考えておるかッと、私は悪役として立ちはだかる。
睨みも怒鳴りもするのだが、そんな人間の怒りなど知っちゃいない猫めらは、外に居るだろう憧れのオス猫に出会おうと、必死に鳴き叫ぶのである。
それを拒否却下すると、ふわりちょこんとしたあの手先からギラリと丸く尖った爪を数本延ばして、家中の柱や壁紙をガリガリとひっかき傷を付ける。
このヒステリー攻撃には完全に白旗だ。すでにわが家はどの部屋も猫の爪痕ばかりで人間側は何度降参ギブアップしたかわからない。
家人はメスらしくしなさい。メスとして恥ずかしくないのなどと鳴き声にいう。
だが猫はそんな躾念仏は聞きやしない。
ヘロモンだか何だか知らないが脳味噌を凄まじくも激しくも刺激してか求愛の叫びは止まない。
高貴なる人間様はそうしたとき、抱き上げて頬ずりし餌など与えてご機嫌をとりごまかす。
そんな騙しもつかの間。出たい一心の猫たちは人間の行動を監視していて、一瞬のスキも見逃さず玄関に向かう。
一部屋づつ前進する抜き足差し足。戸の陰カーテンの裏に身を隠し、最後の関門である玄関に近づき開く時をうかがう。
来客や集金配達などが、こんにちはと開けたがその瞬間。時は今とばかり、一目散に飛び出す。
その素早いことといったらない。人間は見事にしてやられたわけである。
人間的に言えば、何という性欲だ、と言うべきか。
悔しげに憎しげに、うちのコにも困ったものだなどと逃げ出たのをこぼす人間二人。
茶などすすっていると突然、ぎゃあと噛み付かれたか争う悲鳴が飛び込んでくる。
ほぉらみなさ。だからいわんこっちゃない。そもそもうちのコは箱入り気弱で、俗世間の野良に太刀打ちできるような逞しさはないのだから、とかなんとか。
勝手に出たとはいってもそこは飼い猫家族の危機だ。怪我でもしては可哀想と手近なものを探し古い茶飲み茶碗など手に援軍に向かう。
憎きドラのオス猫に目に物見せよう、ただで済ますものかと窓を開ける。
と、逃げるも出来ずに押さえつけられ下になっているのはわが家の愛し子では・・ない。雄叫びならぬ悲鳴をあげているのはオス。
羽交い締めの優勢にして勇ましい猫こそ、愛しきわが家のメスではありませんか。あぁ、なんとはしたない。それにしても昨今の男の威厳失墜は猫世界にも至ったのか。
か、カンベンしてくれよ。参ったなあ。もう。分かったわかったって。カノジョそういきり立つなって。すればいいんだろう。さあ・・。
いや私は猫の言葉を解するわけではありません。ですが彼らの様子はそうしか訳しようがないのです。
わが子をかばうわけではありませんが生物皆、生殖欲孫繁栄への執着心はすさまじいものではありませんか。
とはいえ、そうした性欲の結末は哀れなものとなるのです。
やはり最後はメスが苦労を背負うことになる。産みの苦しみも猫といえど大変です。
近くなると苦しげにして産所を探す。産んだ後に母となり生まれた子らに眼を細めて乳を与え、舐めてなめて児を慈しむ。
家人といえど外敵視して寄るも触るも許さず。気持ちも身体も休まらない母の姿。
そうした親子をむげに裂き引き離し、始末処分する鬼に変身せざるをえないのがこちら飼い主人間。わが家は繁殖許せる動物園ではないのです。
オスを追い回し押さえつけ強要までして得た子。オスの存在など忘れてしまう母猫たち。
そうして慈しむ可愛い子がある日母である自分のそばから消える。
鳴く声もこんな悲しいなら生まなければよかったとでもいうように、夜中の闇に長くながく引いてうなる。
ぐわおーうん。
それもしばらくの間。
やがて窓ガラスから射し込む陽にふっくらと背を丸めてうずくまり目を閉じて。
飼い猫の身の辛さも忘れて。
夜は飼い主の寝床にもぐり身をまるめ巻き貝のように足に頭を埋めて眠る。
夢見る親猫は何思うものでしょう……。
|