・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません> 夢舟亭 エッセイ 【シューマンのピアノ協奏曲&交響曲】 2008年11月 8日 シューマン ピアノ協奏曲&交響曲 今わたしはここに居ます、という言い方でいうなら。 私は今シューマンに居ます。 とくにピアノ協奏曲第一番。 そして交響曲第四番が良い。 もちろんシューマンを知り尽くすほど聴き込んで言っているわけではないけれど。 いろいろ聴いていて。そうした流れのなかで、あぁこの人のこの曲、今の自分にしっくり来るなぁと感じた。 今までも、そういうかたちで「今自分的にはこの辺りかなぁ」という曲に出会ったものだ。 そうした音楽との出会いは誰にでもあろうこと、と思います。 自分の音楽的好奇心を刺激していると・・。 通りすがりに耳にして。 おやっと足をとめて。 その曲を再三聴き直し。 と、聴くほどに、よりしっくりときて。 今どきの自分的好みにじつに良く沿っていて。 豪快壮大なものを浴びるように聴いていたこともあったのに。 思えば今では、ことさら派手好みということもなくなって。 とはいえ、地味というほど渋くもない曲に惹かれて。 秋の黄昏の陽をあびている公園の、無人のベンチ。 その周辺に散って敷きつめられた落ち葉。 というような気分でシューマンの辺りに今居るのです。 ショパンほど繊細とは思えない。 そしてリストほど華々しくもない。 そのほどほど感がなんとなくオトナ。 今この季節の私的心象風景に響いてくる。 この曲を耳にすることで、心の収まり具合がとても良いのです。 とはいえ1810年生まれのシューマンが生み遺して、200年にも成らんとする時空を超えて。 はるかアジア大陸の外れの小島列島、小国の私などの耳にさえ届くほどの音楽作品であるのだから。 素晴らしいことに変わりはなく。 天才の偉業、その遺産なわけです。 ところで芸術というものは、すべて天才が生み出すものなのだろうか。 そして天才は狂気に近いというが、本当だろうか。 クラシック音楽を聴いているとそういう思いを抱きます。 そういう思いになる作品を耳にすることが多いということです。 狂気というけれど。それがたんに凡庸さと対極をなす、神懸かりにも思える能力の喩え言葉というだけでなく。 じっさいに精神を病んでしまった人もいる。 今回聴いたシューマンもそんなひとり、とか。 1844年。末期には自ら入水の自死までこころみたというのです。 ところで先にならべた二者、リスト、ショパンとともに。 この三名をもって即ピアノの名曲をイメージする人は多い。 当時のパリで、ピアノの三貴公子とでも呼ばれていたとか、いないとか。 1810〜11年生まれで、まったく同時期の友人関係にあった人だというのです。 じっさいにピアノ演奏の名手であり素晴らしいピアノ曲の作曲者。 三者三様。それぞれの個性が楽しめますことは、現代のどちら様もご承知のこと。 残念ながらシューマンは指を悪くして、ピアノ演奏は途中で断念したようです。 で作曲に専念。 そして父の影響か、文筆も盛んにこなしたという。 その紙面では、リストやショパンを大いに褒め称えた。 またその紙面に現れる多くの執筆者。 シューマン自身が性格を使い分けての文章であったというのです。 つまりひとり数役をこなした文才。 しかし、それをこなせたことは多重人格を思わせるとも言われる。 のちに精神を病んだことから見れば、そういう見方もできるのでしょうか。 その予兆は、彼の母親が音楽に生きようとする彼に、学校を換えてまでして反対したとき。 彼の音楽の才能を認めて、母親を説得のうえ留まらせた教授が見抜いたと言われる。 そして、この教授の娘こそは、のちのシューマンの妻、クララ。 いくら天才的とはいえ狂人となれば、愛娘を嫁がせるわけにはゆかない。 それはごくしぜんな親心でしょう。 親密な若い二人の関係を教授は反対したという。 そうした反対を退けて念願かなって結ばれた。 そのころのシューマンの作曲数は非常に多かったというから、いかに喜びが大きかったかが分かります。 ところで、クララ・シューマンといえば。 ブラームスが登場しないわけにはゆかない話。 そのことはシューマンの死後で語られるのだが。 さて、人それぞれにお好みはあろうけれど。 重ねた齢とともに曲の好みも変化するのは、大方の音楽ファンがご経験のこと。 私的に今好みがシューマンの曲。 作品のすべてを聴いたわけではないけれど、まずピアノ協奏曲。 そして交響曲第四番が、良い。 今、もっとも心に響く曲、というわけです。 詩を味わうようなショパンのピアノ曲から始まったピアノ曲の楽しみ。 それは華々しい輝きではじけるようなリストのピアノ曲で大いに盛りあがった。 やがて盛夏を越えて、秋。 心豊かに人生をふり返る大人の落ち着き気分に似合うようなシューマンの曲に落ち着いたという経緯。 先に述べた生身の作曲家の、生臭い病歴などはともかく。 私は曲を味わうことでその音楽性に触れさせていただければ充分なのです。 ピアノ協奏曲第一番イ短調。 30才代なかばの作品。 突入の一瞬華やかさを思うまもなく、オーボエの哀愁ただよう旋律が響く。 それへピアノのシングルトーンが流れる。 けして派手に昇りつめるようなことはなく、心安らぐような落ち着きを聞かせてくれるのが嬉しい。 オーケストラが俗世の喧騒を背景に描いていて、ピアノが気高さを維持しつつもの想うように鳴っている。 当時のピアノの音は今よりも響きが少ないというが、そうした楽の音では、さらに渋いものだったのだろうか。 それがいかにもシューマン色というものかもしれない、と思ったりする。 交響曲第四番ニ短調。 1953年、40才代にはいっての完成とされる。 ブラームスの曲に似たものを感じたが、しかし深刻すぎないその手前で、物静かに何かを語りかけてくるのが良い。 高らかにファンファーレが響いたり、断言めいた責め立ての歯切れをもって迫ってくるようなこともない。 大人というか人生を知った平穏の良さを理解できるような、壮齢の落ち着いた語らいを感じる。 轟きわたる激情などはもちろん無く、安らぎ感が私には心地よい。 とはいえ、終楽章では、締めくくりとしての盛り上がりを、どこか決断めいて聴きとれるのだった。 黄昏のこの季節の午後、私は哀愁のシューマンに酔った。 |
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