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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


夢舟亭  エッセイ        2009年 2月 22日




    シベリウス



 2月。北半球はいまだ冬の季節です。
 わが地方も2月はまだ冬の最中。

 雪の白樺並木 夕陽が映える (トロイカ:ロシア民謡より)

 あの歌が似合う晴れ間があったかとおもうと、粉吹雪の日がきたりする。
 こういうくり返しのなかで少しずつ、しかしたしかに春にむかっている。

 そんなわけで、この季節といえば月並みだろうがロシアやスカンジナビアなど極北の地の風景や曲を思いうかべる。
  粉雪が吹きすさぶ冬の原野や氷原。
  雪深く沈んだように静まりかえる樹林。
  あるいはそびえ立つ白銀の主峰連山。
 といったイメージだろうか。

 ところでクラシック音楽の原産地といえばモーツァルトやハイドンやベートヴェンに代表されるロマン派の、ドイツやオーストリアか。
 そしてラベルやドビュッシーなど印象派といわれる人たちの活躍した地フランス。

 音楽の炎はそれら中心地から燃えひろがって、民族的な響きを生むことになる各地。ローカル色を匂わす作曲家たちの地へ。
 ロシアのチャイコフスキー、ムソルグスキー。
 チェコのスメタナやドヴォルザーク。
 さらにはスカンジナビア(スカンディナヴィア)半島、ノルウェーのグリーグやフィンランドのジャン・シベリウス。
 極北の寒冷地にも名曲は誕生している。

 民族主義などというとナショナリズム国粋主義としてきな臭い話にもなりそうです。
 たとえばシベリウスの国フィンランド。
 隣北ノルウェーにも南のロシアにも近年まで辛い目にあわされた歴史があるといいます。
 であってみれば民族独立の意識もいちだんと燃えようというもの。
 有名な「フィンランディア」という彼の交響(詩)曲が第二の国歌と崇め称されたのも、分からない話ではないわけです。

 北のはずれのスカンジナビア半島。北極海に鍵型にのび出た大半島。スウェーデン、ノルウェー、デンマーク。そしてフィンランド。
 北欧は夏なお寒いイメージがある。
 それだけにまた私などアジアの大陸南東の小島列島の私にとっては、雪にうもれた街の夕暮れにともる灯りには、ロマンティックイな旅心がうずくのです。

 じっさいのフィンランドはといえば堂々たる工業国。経済力に高い評価を得ている。
 またニホンを除く世界標準の携帯電話会社N社。世界一の生産、その存在を知らぬ者は少ない。
 そして何といっても有名なのが、子どもの教育。ここ何年か各国共通のテストにおいてトップ。
 過去から学んだ国の安全と平和維持の重要性。賢き民こそ宝だとする国では、自分自身で考える力に価値を求めるとか。
 であってみれば教師こそ能力の代名詞であり、名実とも尊敬に値する社会的地位だという。

 シベリウスはそうしたフィンランドの、混乱期の19世紀から20世紀(1865年生- 1957年没)に生きた人。
 フィンランドは半島の付け根にあって内海バルト海にも面している白夜の北国。
 そのせいか国宝級(葬儀は国葬で紙幣には似顔絵が)のシベリウスの曲には、どこかひんやりとした響きがある。
 では聴こう。


 交響詩『フィンランディア』作品26
 これは1899年に発表された「愛国記念劇」としたもののなかの1曲を、単独の交響詩としたという。
 それが愛国精神を刺激しては、当時の支配国ロシアから演奏禁止処分にもなったとか。

 禁止されればなおフィンランド民の心に燃えたのはいうまでもなく。
 この曲が今では第二の国歌といわれる。
 作者シベリウスは英雄となったのだ。

 暗示的なブラスは何を語るのか。
 テンパニーに押されるようにフルートがクラリネットが。
 それへ高い弦音も入って、低弦が重奏され。
 悲愴な雰囲気を醸しだす。

 そこには並々ならぬ人々の苦悩のようなものを感じるのです。

 こうした部分にこそ国歌的な扱いをうける何かが存在しているのだろう。
 もちろんその根本にあるものは、おだやかに波打つ大海に囲まれた島国に安住する私ごときに、分かるはずもない。

 そんな思いで劇的な終幕のあとしばし沈黙したのでした。


 交響詩『トゥオネラの白鳥』作品22-3
 有名なこの曲が鳴りだした瞬間、フィンランドの隣国ノルウェーのグリーグの曲の、たとえば「オーゼの死」などに似たあのイメージと重なった。
 あるいはまたフォーレの「パヴァーヌ」などとも雰囲気に似たものを感じる。

 どこかほの暗く静かでもの憂げ。
 それでいてぴーんとした緊張感がある。

 悲しげな乙女が独り踊るバレエ姿をイメージした。
 ステージは飾り気もなく。
 その悲しさには自分のものではない何か秘めたるひとを悼むように。
 終始その感情を抑えながら踊る目には涙。

 そうした感じがまたこの曲の音楽としての快さに通じる。
 この曲調こそが世界に知らしめた魅力だと思うのだ。
 音楽とは不思議なものである。


『ヴァイオリン協奏曲』ニ短調 作品47
 1楽章。
 きーんと張りつめて切ないヴァイオリンのソロ。
 この曲はそうして始まる。

 それへ低弦がそっと入ってくる。
 けれどあくまでもヴァイオリンの主体性はかわらない。
 オーケストラ全奏でもそれはおなじ。
 ときとして劇的な主題のメロディーがあるが、どこまで行ってもほの暗さがのこる。

 ヴァイオリンコンチェルトであれば当然技巧的な聴かせどころは準備されている。
 それにしてもこの曲に北欧的な香りは感じられないのです。

 2楽章。
 冒頭のヴァイオリンのソロは低い音。
 それは人の声にちかい。なにを語るのか。

 この作曲家の例にもれずうわずった感じがない。
 切々と語り、ときに絞りあげる音色になる。
 これはこの人独自の甘さ(ロマンティック)なのだと思う。

 3楽章。
 明るい。
 3つの楽章でいちばん軽快さがある。

 いずれにしても素晴らしい曲だ。
 メンデルスゾーンやチャイコフスキーの有名なコンチェルトたちに対しても遜色などなく、ともに聴いて楽しめる。


『悲しきワルツ』作品44-1
 低弦群のピッチカートで始まる。
 この曲もグリーグの北欧的な雰囲気やフォーレを思わせる気だるい静けさがじつに良い。
 夜の静寂に心ただよわせるひとときや、独り踊るのにお薦めしたい曲。


『カレリア』序曲 作品10
 この人にしては明るい曲。
 とても楽しい曲で、なにか故事伝説を物語るような民謡かムードミュージックとして聴けた。


 ほかに交響曲も聴いたが、それはまたいずれ記したい。







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