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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ    2009/04/18


  白い鳥のつがい



 寒いあいだ大川の岸辺でにぎわっていた白いお客さん白鳥たちもみな旅たってしまいました。
 今ごろはどの辺りを飛んでいるのでしょう。

 カレンダーもなければナビゲーションも持たないのに。
 毎年季節になれば飛び立って、その飛行の方向も間違えずに。
 北の地と当地と、行き来をくり返す。

 そうした渡り鳥を思うとき、つい空のかなたを見あげてしまいます。

 広い地球の片隅の岸辺に生まれて、その地を忘れず憶えていて。
 必ず舞いもどってくる。

 そうした思いに二重写しになるのが、五月やお盆または年末からお正月の、連休の車列数珠つなぎ。帰省者たちの渋滞道路のことです。

 停まって走ってまた停まる。
 混雑するのが分かっていても、それを延々とくり返してもなお。
 諦めずに、生まれ育ったわが家へ向かう人たち。

 すでに大きくなったわが子ら夫婦家族連れもまた、この地この場所へ。

 けれど、この家と私たち父母は、わざわざの苦労の果てに求め来るに値しているだろうか。などと老い始めた父親母親としては、ちょっと不安にもなるのです。

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 年明けたある休日の散歩に。
 ちょっと発見を求めて、脇道へ進んだ。

 落ち葉を踏んでしばらく。
 雑木林を抜けると、道がひらけた。
 林を後にして車道に出た。

 遠回りしたそこは見たことがない風景だ。
 ここはどこだろう、と眺めまわす。

 一面の田んぼが山際までつづいている。

 向こうの土手のちょっと手前に、沼が見えた。
 沼といっても、狭く、浅いようだ。
 農水の流れがただ溜まるだけのその水は土色に濁っている。

 そんな中に動く白い姿をふたつ見とめた。
 田んぼの沼にひとつがいの白い鳥が飛来していたのだ。

 鶴よりも小さく足の長いその鳥は鷺(さぎ)だろうか。
 掃き溜めに鶴、という言葉もあるが、この様子は、泥中に鷺。

 このように拓かれてむき出しになった田んぼと幅広な車道ができる前は、山中の清水を貯めて水田に注ぐ静かな沼だったのではないだろうか。
 かえるはもちろん、どじょうやこぶな、ほか川魚がたくさん居たろうから。
 それで鷺などが飛来したのかもしれない。

 それが今では山中の田んぼ地は拓(ひら)かれむき出しになって、舗装された太い道で切り分けられて。
 その先には家の屋根も見えようというほどの車が行き来する文明社会に押し出されてしまっている。

 沼と鷺の存在に気づいたのは私が歩行していたからで、そこを行くのはたいがい車だから、停車でもしない限り気にとめることはない。

 つがいの白い姿をよく見ようと、そっと近づく。
 鳥のつがいは寄り添って離れず、とても仲むつまじい。

 どこから飛んで来たのだろう。
 親子何世代もがこの地に来ては、翼を休め子を産み、育てたのだろうか。
 地の匂い、親の思い出をたよって。今年は成鳥となったこのつがいが渡ってきたのだろう。

 抱かれた親鳥の羽根の温もりが今もこの沼で待っているかのように。
 生まれ育ったこの濁り水に立つことを思い描いて。命がけの長旅の翼を、ただこの地に向けて漕いだというのだろうか。

 途々に日一日を数えながら、上空から見えた喜びと、無事にたどり着いた安堵感。
 その瞬間を夢見て両翼にどれほどの力を込めてきたろうか。

 渡り鳥は数千キロも飛ぶという。
 それほど遠方はるか遠くから飛んで来くるのなら……

 飛び来る途中には風光明媚な湖や静かな沼がたくさん見えたろう。
 そうした水辺には好みの餌も棲んでいたろうに。

 ならばなにも好んでこんな落ちつきのない手狭な沼地になど来ることなかったろうに。
 もっと安全で静かな、遠来の客に適した山間いを見つけて移ればいいではないか。

 暖かくなって、あちらに戻ったときのみやげ話や思い出写真になるほどの。
 見栄え良い風景と笑顔Vサインの、自慢話ひとつくらい持って帰したいではないか。

 この先、人間都合により道路がさらに拡がれば。
 田んぼは役目を終えれば。
 こんな小さな沼などたちどころに消滅してしまうのだ。
 時折排気音を撒いて車が過ぎる田んぼの周辺を見れば、空き缶やペットボトルだって転がり落ちているではないか。

 汚水のなかをついばむつがいの様子を見ていると、そのような人間の価値にもとずいた思いをもってしまう。

 しかしそんな私には気付きもせずに。
 あんたが生まれた良いところというから来てみたら、なによここは、などと言うふうにも見えず。
 仲良いつがいの白い鳥はただ寄り添って。
 細い足下に長い首を向けては濁り水にくちばしを突いているのでした。

   ・

 最近、散歩であの沼の近くを通った。

 もう鳥のつがいは見えなかった。

 今ごろは、はるか空の彼方を悠々と飛んでいるのだろうか。

  父さん。ボクが生まれたニホンにまたもどって行けるよね。

 子どもの言葉に目を細めながら長い首でうなずいて両側を飛ぶ親つがい。
 大気を翼であおいで大空に浮いて、何を思っているだろう。

 もうニホンの田んぼの地に戻るの嫌だ、やめよう、などとため息を吐いていないいだろうか。

 いや、もう向こうの地にたどり着いて、一息ついているかもしれない。
 あちらはどのような地なのだろう。

 静かな山ふところだろうか。
 透き通る湖の浅瀬だろうか。
 餌はいっぱいあるのか。

 よもや……あちらの地も、やはり人間が投げ捨てたゴミ溜の一隅、などということはないだろうか。





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