エッセイ 夢舟亭
2007年11月10日
映画:ストレート・ストーリー
一直線なお話というべきか、ストレート・ストーリー。
何が一直かといえば、心。思い。
わたしは日本語もだめなら英語はなおだめ。「ストレート」を単純真っ正直とでもいう意味に訳せば良いのかなあと見てから思った映画、「ストレート・ストーリー」。
何がそれほど真っ正直なのか。
それは一人の老人の気持ちでしょうか。
アメリカの田舎町に精神を病んだ出戻り娘と暮らしている爺さんがいた。
娘には子どもが居るが一緒に暮らせないので別居をよぎなくされている。
それが悲しいのだろう娘の病は生活に支障をきたすほどではないが一向に治癒しない。
さてこの老人には一人の兄が居る。
しかし居るとはいっても数十年来音信不通。
それにはワケ有り。喧嘩別れして絶縁状態のままなのだ。
そのワケを思えば自分のがわに非があったのだ。それが今辛い。
老いた自分を思えば兄の老い先の短かさが気にかかる。
少しでも早いうちに会って申し訳なさを伝え、謝っておきたいという思いが日々胸にせり上がってくる。
気になる兄はけっして身体の丈夫な方ではない。それも独り暮らしているはずだ。
その兄は距離にして500kmも先の隣州片田舎に住んでいる。
気になってどうしようもない彼だってけっして健康状態が良いわけではない。歩くもなかなかままならないのだ。
そこにきて自動車免許ももっていない。有って乗れるのは農事用小型トラクター。それもかなりのポンコツだ。
彼はある日一大決心を実行せんとポンコツトラクターにまたがり、500km走破に挑もうと発つ。
町の医師も愛娘も止めろというが聞かない。
ところがそこはポンコツ。幸か不幸か走ってまもなくガタつき、停まる。
仕方なく自宅に戻る爺さん。
が、急く兄を思う気持ちは一層強く、その意思はあくまで固い。
生きているうちに兄に会って謝罪しなければ死んでも死にきれないのだ。そこで当然再度の挑戦をする。
まずトラクターを中古で探し値切り倒して取り替える。
そして時速数キロのきわめてスローな独り旅が始まることになる。
ここからはいわゆるロードムービー。
行く先々で捨てる神あれば拾う神ありのごとく、善人も悪人にも出会う。助けられたり助けたり。
現代の大型車列がばく進する幹線道路に一台のとろとろ走る屋根もない小型トラクター。それにまたがる老人の行く様子は滑稽なのだが、一途な気持ちが観る者の心を打つ。
途中で故障。修理してはそこでも人間関係がうまれる。
クルマで行けばすぐだから送りましょうという。でも彼は断る。これは自分でたどり着くことに意味が有るのだと微笑む。
やっとの思いでたどり着く兄の町。
道を尋ねれば、あんな家にあんたはいったい何の用があるんだねと言わんばかり。
着いて見ればたしかにボロ家だ。
町外れの森のそばにひっそり建つ一軒家は、はたして人など住めるのかというたたずまい。
手もかけられていない雑草だらけの家の前庭にトラクターを停めて、降りる。
兄の名を呼ぶ。
応えない。居ないのか。また呼ぶ。
人影がガラス窓に・・。
それへまた呼ぶ。
だれだ、と怪訝な顔で老いぼれた男がひとり、ペンキのはげたバルコニーに出てくる。
おうお前じゃないか。
壊れかけた椅子を差してうながす兄。弟は坐る。
ようやくの動きで向き合う兄と弟は、微笑む。
間に合った、会えて良かったと言葉にならないこのシーンにこそ万感の思いがこもる。
兄はふと先の草原に停めてあるトラクターへ目をやる。
おまえ、まさか、あれでここまで来たのか・・?
ああ。あれで来たのさ。
兄はここで弟の謝罪の気持ちのすべてを了解する。だからあとは何も言わない。
ここまでの弟の気持ちが真っ直ぐでストレートだということなのでしょうか。
こんな単純なストーリーなのにしっかりと伝わってくるものがある。
私にはなんともいえない感動が湧いてくる作品でした。
これはたしか99年度米アカデミー賞最優秀作品賞にノミネートされた5本のなかのひひとつ。もう一度観たい映画「ストレート・ストーリー」でした。
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