<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
エッセイ 夢舟亭
2006年11月22日
交響組曲 「シェーラザード」
寝入る前のほんのひととき。
穏やかな音楽番組でも見られればと寝室に小さなテレビを置いたことがありました。
でもあまりにショウニュースに不快な話題がつづくので、取りはずしてしまったのです。寝話に昨今のニュースは向きませんね。
一日の仕事から解放されたあと、夕食やくつろぎののちに、穏やかに快眠安眠をもとめてベッドに入る。
そのちょっとの間、寝付けないひとときがあってリモコンで点けてみるわけです。
だから、親殺しだとか子殺しだとか、通りすがりの見ず知らずの者に斬りつけられたとか、公民の税を小賢しい知恵をひねってくすねた話とかのが映し出されてはたまりません。
一旦見ると、そこはテレビ局です。いかにも興味をもたせ気を惹くように、「大問題ではありませんか、こんなことがあっていいのでしょうかみなさん」ふうな口調。
で、つり込まれて見入り、消しそびれる。
そんなあとの睡眠が夢見いいわけないじゃないですか。
とても幼いころに母や祖母の寝話の様なわけにはゆかないものです。
ああこんなことにお付き合いするのはゴメンだ。
と意を決して、家人の不満声を後目に、テレビを取り外し、寝室から撤去したのでした。
かわりに、地震など緊急ニュース用のネジ巻き式発電式FMラジオ付き、懐中電灯を枕元に備えたのでした。
テレビ受像器といえば、一家に一台やっとの思いで買い求めた昭和のあのころ。
増え始めたとき、裕福そうな家の座敷奥に四本足で布カバーで顔を隠し、鎮座していたのでした。
ご家族はもちろん近所の皆が白黒に輝く動画に、正座で向かい合ったものです。
そうした各家庭へ、娯楽エンターテイメントが目には見えない電波にのって飛来した。
世界がいのままにして見られるこの仕組みには心底驚いたものです。
ああなんと文明は素晴らしいものだ。
科学技術というものはなんと驚異的なマジックだろうと。
その後あっという間に画面スクリーンは天然の色カラーとなって。
どの家にも入って奥座敷から皆の団らんの居間に出てきたのでした。
そして、世にも不思議な物語を次々と見せてくれました。
私たちにとってよその国といえば、海外。
海の外がよその国、といえるのはいうまでもなくわがニホンは島国だから。
そしてまたどういうわけか外国というと、欧米。
とくに米、アメリカに目が行ってしまう。
言葉や生活習慣や娯楽文化などの多くが、アメリカから影響されていることはご存じの通り。
それは戦後の歴史的占領からの経緯がそのまま続いているからでしょうね。
しかし夢誘う異国の風景というものは、そのほかにも種々様々。
たとえばお隣に広がるユーラシア大陸。
中国をはじめ、朝鮮半島からモンゴル、
シルクロードなどというインドやトルコなど西域へ。
砂漠が広がった向こうへのラクダの旅が夢誘うように延々と続いています。
頭にターバンをまいて、タマネギのような尖塔のお寺。
アラビア。
と、いえば2001年以降、きわめて物騒な話題としてイラクはじめあの地域一帯が知れ渡った。
知れわたったというより、物騒さの代名詞にさえなりつつあるアラビアの人々。
右から左に向かって風に飛ばされる様に書かれるアラビヤ文字とその言葉を操る方々がみなテロに通じるなどと思いたくなるような報道が絶えない。
それは地球の裏側からでも飛んでくるテレビニュース映像のせいでしょう。
女性は顔をおおって隠し、男性の頭にはターバン。
どこかエキゾチックなとんがりの玉ねぎ屋根の町バグダッドは、いまや崩壊瓦礫の山。
だれがどんな理由なら、世界の遺産である幻想的なあの町の、破壊が許されるというのでしょう。
けれど、バグダッドというなら、私などには今もって、やはり夢誘う異国の町のイメージです。
そして、「おお恵み深き王様よ。昨夜はどこまでお話したでしょう。そうそう・・でございましたね」というあのひとこと。
言わずと知れた、千夜一夜物語です。
アラビアンナイトの一節をアラビア語で読み聞かせるは、シェーラザード姫。
むかし、その国の王様は、妃に裏切られたという。
その憎しみの思いから、以後新たにめとった妃を、一夜を共にして。
世が明けぬうちに、あの世に葬ってしまうのだった。
すっかり荒んだ心をもつそんな王のもとに、ひとりの若い女が、自ら願って嫁いだという。
女は寝入る前のベッドのなかで、王におもしろおかしいい話を語りはじめた。
おかしなやつよ、と話半分でいた王。
だがその娘の口調や世にも不思議なストーリーのおもしろさに誘い込まれてしまった。
気付いてみれば外は白々と明けてくる。だのに語る話は、まだ半ばだ。
そんなわけで次の夜もともにした。そしてその夜も話に引き込まれた。
気づけば毎夜夢中になって聞き入っていた。
おお恵み深き王様。このつづきはまた次の夜のことにいたしましょう。
そういって王を安らかな眠りにつかせた、とか。
その夜のベッドでも、麗しくも香しい寝衣装の娘は、おお恵み深き王様、前の夜はどこまでお話しでしたでしょう。そうそうシンドバッドが・・と語りはじめる。
そういう夜話の繰り返しの献身ぶりもあって、王の心のなかに巣くう憎悪と不信感は少しずつ薄らいでいった。
やがてはすっかり消えてしまった、という話。
面白不思議な話を語りつづけた女性の名こそ、シェーラザード。
王、シャリヤールの妃として、末永く暮らしたということです。
と、ハッピーエンドのおちがつく。
この夜話こそは千と一夜つづいた。
千と一夜語られたことから、千夜一夜、千一夜物語として、今に残る。
またアラビアの夜話であるから、アラビアンナイトともいう。
なかで語られるシンドバッドの大航海物語や、アラジンの魔法のランプなどは、今日でも子どもたちの学芸会(学習発表会)や、CGを駆使したスペクタクルな映画の題材に恰好のもの。
まあ実際の中身はというと、そうしたイメージよりはいささか大人向け。
そして、お待ちかねの音楽ファンなら、ほとんどのかたがご存じのロシアのリムスキー=コルサコフの交響組曲『シェヘラザード』。
アラビアンナイトを織り込んだ交響組曲。
これこそが今回聴いた曲です。
リムスキー=コルサコフというと、私などは「熊蜂の飛行」という小曲を思い出します。
絵の習作デッサンでもしているかと思える、音楽での描写の熊蜂飛行の感じがなんとも楽しい。
大きなお尻の黒い蜂が、ずんぐり身体に似合わぬ小さな羽を、高速動作。
ぶるるるるるる・・と飛びかう様子が愉しい。
それに較べればこちら「シェーラザード」は、大編成のオーケストラサウンドによって、これでもかと奏で盛り上げる。
まさに大交響絵巻物をみる様に壮観です。
1844年ロシアに生まれたコルサコフが、1888年に完成したという。
あぶらの乗り切った歳44のころの力作。
その年にロシア国内、サンクトペテルブルクで初演発表という。
千一夜の語り手シェヘラザードの名そのままの曲「シェーラザード」は、交響組曲といわれるように、テーマ別四楽章の構成。つまりは交響曲ではないか。
曲中で、シェーラザードのテーマメロディーが、どこか可憐で上品なヴァイオリンで表される。
コンサートマスターなどソロ奏者の腕の見せ(聴かせ)どころとなっているわけですね。
あわせて、ターバンやアラビア衣装も豪奢なシャリヤール王の唸るような会話も、コントラバスなど低い楽音で奏されるわけです。
おもしろ不思議なストーリーを意味ありげに語るシェーラザードへ、つい誘い込まれた王の質したり相づちの様子なのでしょうね。
第1楽章は「第1曲:海とシンドバッドの船」。
ザーンザザーンザザザーンザン、といかにもドラマティックな導入部。
静まって、ひゅらりらりららーららりらー・・とシェヘラザードが話だす。
さあ王さま。これはシンドバッドという若者の、なんとも不思議な船旅のお話なのでございます。の導入の感じでしょうか。
それへシャリヤール王は、ふむ、おかしなうやつめ。まぁ話してみよ。
やがてそのストーリーの中に場面は移ると・・・大海原の様子でしょうか。
壮大な音絵巻物語、シンドバッドの不思議なふしぎな航海。
始まりはじまりとござーい。
第2楽章(第2曲:カレンダー王子の物語)もまた、シェーラザードのメロディーから。
カレンダー王子のテーマメロディーも聞こえる。
さていったい、この王子にどんな災難が降りかかると、シェーラザードはいうのでしょう。シャリヤール王の興味を惹くことができたのでしょうか。
第3楽章(第3曲:若い王子と王女)。
タンタランカタンタランカと小太鼓が叩かれる。舞いの場面でしょうか。
若い王子と王女の、おそらくは恋物語。
さてシェーラザードの語るそのお話や、いかなる展開なのか。
第4楽章(第4曲:バグダッドの祭り、海、船の難破、終曲)。
ここでもシェーラザード、そしてシャリヤール王のテーマが、交わされる。
バグダッドの祭りは激しくも力強く。
終楽章らしい圧巻ともいえるオーケストレーションは、荒海を大迫力の盛り上がりに感じさせます。
そして、シェーラザードが穏やかな語りに心を込める様にヴァイオリンのソロで。
それへこたえるコントラバスでしょうか、がシャリヤール王のご満悦で心ひらいたかのように奏される。
まさに目出度しめでたし・・
ふーう。部屋中にあふれる豪華絢爛なオリエンタル夢幻の響き。
そんな夜のひとときを心ゆくまで堪能いたしました。
神のお恵み深きみなさまよ。おやすみなさいませ。よい夢を。
|