・・・・
夢舟亭
・・・・


夢舟亭 エッセイ   2006年08月25日


    正しき人よ


 終戦記念の日のわが国で毎年恒例となっている謝罪論。
 今年は一段とヒートアップしたようです。

 戦没者慰霊の社へ、自国首相が参拝することが、先の戦争被害近隣アジア諸国の人々に非礼だ。
 という類の意見を8月のネットに多く見うけた。
 だが私はうなずけるものには出会えませんでした。

 反省、謝罪、という文字や言葉。
 それは人道的なものを感じさせるので発する者に高い人格など漂わせます。

 なにも銭金が欲しいのではないのです。
 せめて謝罪の声が欲しいのです。
 という声へ、少々演技があろうと同情の言葉は、怒りを撫で静めてくれるかもしれません。
 少なくとも、罪軽減の言い訳や、被害者が加害者を罵倒して責める様子、よりはです。
 被害者へ反省謝罪する姿は、改心にも見えて、心の浄化気分も味わえることでしょう。


 しかしながら、それで済んでしまうか、解決するか、といえば。
 たとえ過失事故であろうと、謝罪だけで互いが納得してしまうことなどあるでしょうか。

 代価として金品を積む話に移ってゆかざるをえない。
 その先では際限ない反省と謝罪が求められるわけです。

 わが国の戦後問題も、今、そうした反省と謝罪や、政府間決着を過ぎた先で憤懣の堂々巡りを持て余している様に思います。

 わが国の実質的な反省と謝罪というなら。
 ご免なさいという言葉以上の、国民こぞって病的なまでの平和主義に徹した勤勉なこの数十年間を見て欲しいと思うものです。そこに充分現れているのではないでしょうかと。

 平和利用とはいえ、核エネルギー原発や、原子力の艦船や潜艦などへの、狂人的拒否のアレルギー反応は、まさに過剰過敏なほどです。

 軍隊、という文字へもまた。それへの恐怖心に至っては世界で驚かれ呆れられるほどの国民であるのことは国際的周知のこと。
 自国を守る武力も、まともに持てず。
 自国の憲法を自分たちでは手が振るえて触れえない。
 その一番の理由は、まさに過去の戦争への過剰気味にも思える反省に根があると思うのですがいかがでしょう。
 骨の髄までしみ込んだ武装嫌悪、戦争拒否、「戦」へ恐怖心。
 先頃、恥を承知で、おカネで軍事共同作業を逃げたときも国際的に指摘されましたね。

 もちろんそうしたことは、わが国我われは、現在属す陣営が世界最大の核武装をもち。その傘下に居られればこそ。最強の核のスカートに巣ごもり甘んじていられるからです。
 世界はそれを承知しているのではあるが。

 いずれにせよ、戦争トラウマによる無防備ニート国、まで後退した姿こそが日本流の反省だと思うわけです。

 反省と謝罪。これを話題にするときは、良くも悪くもこうした現実を踏まえてからすべきことだと思うのです。

   +

 振り返れば、それほどの国民も、というより正確には先人たちは。
 弱肉強食のごとき人間の歴史のはるか上流から続いてきた、強きが弱きに攻め入り征し従えて。搾り、かしづかせる植民地化や奴隷化。
 それが自国の発展の姿であり繁栄の元だと、有史以来全世界の人が信じてきたのでした。
 そうした時代の末端に、あの戦争があったのでした。
 その価値観をもつ人類の行動がつい先日とも思われる数十年前まで行われていたということです。

 いや、今だって実は形は異なろうが、強きが弱きを囲い込んで勢力圏を形成して、あるいは自主独立や異論の国を強制高圧的に排除撃破を暗示しては従わせる、というピラミッド構造があるのが世界。

 だから、弱き者は強者に頼る。
 強きは守る。
 そのためには武器も使い、軍力をもって従わせる。
 共に得た資源的経済的うま味は上から順に味わう。

 それ無くて成り立たないのが現代の人間社会ではないでしょうか。

 皆が平等の権利をもつ、とは言いながら。
 富や武力、技術的経済的政治的な知恵策略という権力により。
 上下階層構造のどこかに属しては、かしづく数を同盟国と銘々しては、競い繁栄している様に思いますがいかがでしょう。

 これはこの先も続く人間の生き方でしょう。
 また西暦わずか2000年程の歴史のさ中では、これ以上有効な考え方が人間にあるだろうか。


 有史以来、むき出しの勢力拡張戦。領土植民地奪い合いによって。
 本国自国民を潤わせてきた欧米列強国の、そうした競争に、力を付け自信を持った。
 そんなわが国が、遅ればせながら加わった。

 当時の国民にとって、それははたして恥だったのか、誉れだったのでしょうか。
 今の現代の我々が、その当時の価値観で云々できるはずもないと思うわけです。
 いづれにせよ、自国の富や発展を願ったことはたしかでしょう。

 近代的協調外交や、平和的な現代の相互共生の貿易などは成立しようもない。
 取引ルールもあいまいな時代では、発展といえば、やはり勝ち抜き拡大路線だったのではなかろうか。
 正義、というなら自国に主体が有ったわけです。
 自軍の勝ち進みが、自国皆の喜びであった。
 ならば、それを先導する人が英雄でなくて何だったのでしょう。

 今だって、たかがスポーツに、がんばれニッポン! の叫び声が渦巻きます。
 勝たなくて良いなどと言えるでしょうか。
 そう煽る人は悪や危険な臭いなのだろうか・・。


 世界が戦争による奮奪による富の価値観のなかであれば。
 そうはさせじと狡猾に、わが国を煽ったり、戦況のバランスを見定めて敵にまわった国の作戦も、当然ありうる戦術でしょう。
 それが戦争なのだから。

 とうに見えていた敵の絶大なる戦力殺傷武力に、無謀に刃向かって犠牲が出た、という。
 だが、そこを何とかするのが武勇であり魂であり、心意気で根性だ。そう教えられ信じてきたのです。

 ですから、これまた今どき、勝てないであろうスポーツ世界戦へ、応援合戦メディアは、勝てるぞニッポン! と騒がしい。
 終わればまた、監督首すげ替えを叫び、こんどは勝てるぞ、の熱があふれる。
 これは民族性と言いきってしまうべきか。
 はたまた人間の微笑ましい性なのか。


 さて、戦争で負けた瞬間から首謀者は、敵にとって引っ捕らえた悪者でしかない。
 周知のあの裁判にも見る通り、勝てば官軍、負ければ賊軍。

 アジアの黄色ずんぐりむっくりなお前たちごときが、おれたちを敵にして一人前にも侵略植民地化などとは片腹いたいわ、とばかり。
 戦いの長たちの首級は、軒並み刈り取られたのでした。

 これも戦いの世界史でみれば。
 古代よりなに変わるでない、勝者が敗者を徹底見せしめする図でしかない。
 悪者の汚名と枷と目隠しをはめられて。
 吊され、くびり殺されたのでした。

 有史、数千年の昔から。
 戦争という国同士の戦い、領地奪い合戦は。
 勝者が、敗者のすべてを略奪して終わる。
 下手すれば、国名ごと地上から、永久に消え去さえする。

 金品はもちろん。
 女子どもは犯され、売られる。
 男は奴隷として引き連れ去られる。
 人家は焼き討ちで消滅。
 領地国土は、勝者の民とその文字や言葉で塗り替えられるもの。
 敗者は、常に哀れで、惨めなものだ。

 そう知って、恐れればこそ。
 裸か無防備な近隣諸国が歩むはめになった惨めさを見るまでもなく。
 そうならないために、全国民総決起で武力軍力を強め増やした。
 戦国に学ぶまでもなく、自国を守り拡大発展する正義を、誰言うまでもなく信じてきたのではないでしょうか。

 今、自国民を本土に残して、産業企業が海外進出している。
 それにより本国が潤っている。
 この動きに罪悪など感じるでしょうか。

 でもこの先ひょっとして。
 当時はもの知らぬ我われを低賃金で搾りこき使ったではないか。
 などと、また指さされないものでしょうか。


 私は戦争を美化するつもりも支持する気もありません。
 しかし反省というなら、冷たくとも同情だけに偏ってしまって、そこから奥が見えない言えないというような考え方は超えたいと思うのです。それが本当の反省だと。

   +

 今、あの敗戦を思えば。
 一指で1発、十数万人をまとめて殺せる武器があったことは苦々しい。
 だが国名国土そして民族が残せたのは、めっけものでした。
 全国民が抹殺されるかもしれないと震えていたのですから。

 だのに、武軍を肩代わりのただ乗りしたうえに、こうして知識技術ご教授され平和経済復興まで許されたのだから、万々歳でありましょう。

 戦国武将ならば・・
 生き残ったこの機会を逃す手はあるまいて。
 しこたま財産を溜めて、世界最強の武力を揃え直し。
 今度やるときは徹底的に打ち砕かねばなるまいぞ。
 二度と負けの屈辱だけはたくさんだ。
 また敵さんには、少なくとも4発はお返ししなければならぬ。
 なにせわが国には、倍返しの礼、があるのだからのぉ。

 男根を切り取られて去勢でもされてない武将なら。
 生存する被爆者の痛々しさを目にしてなら、そんな武者震いのつぶやきをしたかもしれません。


 しかし。戦時期、世界は時代は、民主主義と自由独立の近代化へ、人道的気運がと、漂い始めていたわけです。
 いや、これらの終戦が契機となってこそ、そういう流れが強まったのかもしれない。

 それまで続いてきたアジア後進地域に対する、欧米列強国の侵略や植民地の政策は、すでに終わりに向かっていた。
 世界の批判の目が厳しくなってきた。
 これもまた世界大戦を味わった苦しみの世界の反動ではないでしょうか。
 この現代的目線においてあの大戦をみれば。まさに欧米の後追いのわが国は、悪の枢軸、に見られたことは間違いない。

 かくして、本土全国都市とその市民を徹底的に焼き崩され、戦場にさえ使わなかった出来立ての最悪の悪魔の火玉で、市民の住む町を極限まで爆破された。
 それへ泣き言も言えない有様。
 ぐうの音も出ない決定的な負け戦さ以外のなにものでもない。
 爆煙残るガレキのなかに呆然とたたずむのみ。

 と、その背中へ・・
 アジア近隣の、自分の国も形作られずに、国民を守ることもできなかった責任を問える政府もないひ弱な国々は。
 酷い国だったと、わが国を指さし叫びだした。

 かくして−−
 いつまでも謝罪を続けろ。やったおまえたちの親のことは死んでも許せない。
 墓を掘り返してもやつらの霊は末代まで呪え。
 けして浮かばせやしない。
 日本の歴史は永劫薄汚い蛮人でしかないのだ。
 と、今に続いているのではないでしょうか。

 しかし何よりむごいのは、昨日まで目的を一つにしてきた自国民に、石持てぶつけられる敗者の長の、様の無さです。

 思えばこれもまた。
 戦国の時代に、昨日までの殿の首が斬り離され、こいつらが悪政を犯したのだと。勝者の立て札とともに さらされて。自国の民に指さされ、唾を吐かれるなどがあった。

 勝ち負けの雲行きで、手の平かえすは民大衆の風向きを見て生き残る さもしい知恵。
 形が違うとて、所詮は戦勝国の正論の、お札の勝ち馬に載る人、担ぐ人。

 ああ、いかに勝つことが正義か。
 いつの時代も同じなのだなぁ、と思うわけです。

   +

 とはいえ、わが国は被害を叫ぶ国に、未来永劫、貢ぎ尽くす奴隷になったわけではありません。
 今を生きる私たちも過去は過去として、先へ向かって人間として生きて行かなければならないのですから。

 先人がやったことを無制限に保証するとばかりに、子孫であるあなたもわたしもが、これで気が済むならと身ぐるみ脱いで差しだし、むち打たれ、素っ裸で原野をさまようなら。
 大いに笑いをかうでしょう。

 出来ないことを言っても仕方なし。
 済んで過ぎたことへ、ただ同情などは飽きられます。
 そんなことは心という文字とは無縁です。

 肝心なことは、生身で、今この現世を生きる者同士が、加害被害の果てないせめぎ合いをしている現状を見据えること。どう頑張っても、過去は戻せないのです。

 自分はいったいせめぎ合いのどちらに立っているかを、認識自覚しなければならない。
 そのうえに交渉というなら、外への言葉と内の言葉は違うものです。

 他家の口車にのって、他人の言い分で、軽率に自分の家系をなじって、わが親を指さし、罵声をあびせ、自家の墓石などを蹴飛ばす。
 そんな八方美人的なココロを口にするなどあまりに幼すぎます。
 父親なら現世を生きる実感の乏しいバカ息子には、いさめ、叱って当然です。

 間違いも失敗もあろう人間家族が、一家を構えて。
 この先も、それら家族の口を潤し養うを第一に考え。
 必要なものを確保し、与えて行かなければならないのです。

 国内とて厳しいなか。
 異国の批判罵声の矢面にたっても、糞尿をあびせられるごとき恥をもいとわず。
 大人なら親なら、自国を背にあらん限り堪え忍ぶしかないのではないでしょうか。

 そして内では、自家系を尊び、精神的に立て直さないでおけないわけです。
 もちろん自家系とはテンノウなどという個人ではなく。
 しかしまた醜くとも私たちはこの列島の日本人です。

 自家族を思って国の存続を信じて逝った日本語の位牌を、他人目気遣って気持ちのうえで。いつまでも埃だらけに転がしたり伏せてばかりはいられないではありませんか。

 人は大人になれば、カッコ良いことばかり言う外面良い聖人君子や、正義漢を気取ってなど生きられないものです。

 胸にいくつかの傷を抱いても。汚れ役も嫌われ役も恥かきも覚悟して生きるのが、家長です。
 そこが、お気楽な正義や正論を振り回し、親の気持ちなど理解できぬ子どもとの大きな違いです。

 強弱、硬軟、押しも引きも、ときには嘘だって。演技パーフォマンスだって使い分けて。
 最終的に守るべきは自家族である。としっかり認識実践するのが人世を生き抜く大人。

 私は、そういう信念のもとに黙々と生きる先人の姿を見て、しぶとくもたくましい父親像を学んだように思っているのです。





・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・




[ページ先頭へ]   [夢舟亭 メインページへ]