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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません> 夢舟亭創作館 エッセイ 2013年02月24日 邦画「タイマグラばあちゃん」 さぁ、どう説明すればいいのか……と映画ファンへの次の言葉がすぐに出ない。 岩手県の山奥の地名が「山奥の道」という意味の「タイマグラ」。アイヌ語で表されるそこは昔開拓され入植した土地だという。 そこに暮らす老夫婦を15年間撮りつづけた、ドキュメンタリー作品だ。 過疎地の最たるタイマグラへ入植して今も暮らす者はほとんどない。 それは厳しい自然に耐えた生活に見合うだけのものが得られないということになろうか。ゼニ現金収入など見込めないのだ。 けれどその「見合うだけのもの」と思う価値観にはとうぜん個人差があるわけで。この老夫婦には、山奥の生活の、とくに「食物」のほとんどをふたりの手で育てるという苦労が楽しみ、というように見える。 岩手県といえば、「ラジオも無ぇ、テレビも無ぇ、何にも無ぇ。おらこんな村イヤだ。おら東京でベゴ(牛)飼うダぁ」と歌う、あの「俺ら東京さ行ぐだ」に表される情景を思い浮かべるひともあろうか。 もちろん新幹線も高速道路も走っている東北の現代で、それを岩手県のすべてのイメージとするのは誤りだ。 しかし思えば、このけして広くも果てしないこともない日本列島の、そのほとんどは岩手県にかぎらず充分すぎるほど山間部がしめている。航空機の窓から見えるとおりだ。 とくに北の地域となれば自然、冬の厳しさは、昨日今日の報道にあるごとく、酷寒豪雪など凄まじい。 そうした理由からだろう過疎となった山間部で、自然を味方として暮らす90才前後の老夫婦をカメラが追いつづけた記録、このドキュメンタリー映画は興味深かった。 この映画を見ていると、よく言われる「豊かさ」の心の側、気持ち、思い、感じ、つまり精神的な側面からの意味を考えてしまう。 人生を長く共にしたふたりが、自然に感謝しつつ耕して。そこから得ることのできる程の恵みを歓びつつ受け入れて。保存して、味わいながら、また耕す。そして、また翌年も……とその繰り返し。 電気などが繋がってからそれほど経っていない。テレビ生活よりもラジオが離せないという。水道だって天然水を自然の力で引き込んでいる。むろん近場にコンビニなど無く。医者も駐在所も役所もはるか遠い。 となれば、おそらくは、「父ちゃんも母ちゃんも町に出てきて一緒に暮らそう」という声も子どもたちはかけるのだろう。 けれど、自分たちのこれまでの生命時間を刻み印してきたその地を、なんで安々と捨てられようか。そこは、そのままに過去の思い出ばかりの、自分の一部なのだ。 となれば、わが命と一体となっていて切り離せようはずもないのではなかろうか。 酷寒もそれはそれで、花咲みだれ緑匂う春にも、作物生育のうだる暑さもあれば、実りの秋にも、楽しさそのものがあった。最上にして唯一のわが人生のステージなのだ。 話は、おなじ東北の福島県で。2011年に起きた原子力発電所連続爆発事件による放射能汚染があるが。 あれから2年間。自然の営みに抱かれた自由で豊かな生活をしていた方々が、避難者となってふる里を離れざるを得なかった。 そうして暮らす間、わずか4畳間ほどの仮設小部屋に息苦しく閉じこもっている間に。心身に異常をきたしたひとや亡くなったひとは多い。 自分の大切な生活を取り上げられてしまったからだろう。 住めば都、のことわざではないけれど。ひとの生き甲斐その裏付けとなる生活環境が、どれほどにその人生を精神面で支えているかが分かる例だと思う。 そういう意味で、自分の生活の地をこのうえない極楽天国といい生涯を終えることができた「タイマグラばあちゃん 」は、幸せな人生だったのだと信じる。 ということは、ひとの幸せなど他人目に簡単になど「見えない」ものだと思うのだがどうだろう。 |
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