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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭 2007年07月07日


   田んぼの中のかかし


 東京オリンピックは1964年ですが、ニホン列島はあれを契機に開発に弾みがついたといわれます。それまで日本各地はまだまだアジアの田舎ではなかったかと思います。

 教科書に、日本は工業国だとあったものですが、地方は山林田畑の農林業の国風景があったと記憶しています。
 そのような日本列島に、70年代元気で華々しいあのかけ声が飛び交いはじめたのでした。
 大卒でないひとりの男が、国政の頂点である首相の座にまで昇りつめたのでした。
 今太閤などと叫ばれ、後に日本偉人五本の指のひとつにまで数えられるビッグニュースでした。

 田中角栄。
 彼が日本列島改造論なるものをブチあげたのが1972年のこと。
 このどよめきの時から日本には、今に尾をひく経済の熱い息吹血液が流れ始めたと思うのです。
 今でなら賛否両論もあろうことではございましょう。
 それはいましばらくお待ちいただいて、話を進めましょう。

 地方を改造して各地に都会を散在させよう、とする54才の男。
 彼は「コンピュータ付き人間ブルトーザー」の異名を得て、それが国の発展と信じて。
 国土開発エンジンのキーをひねったのでした。

 うなるエンジン音と噴き上げる排気。
 ブルトーザーがそちこちで山が崩され谷に橋がかかり、人を物を夢を運ぶ交通網が、思いもよらないほどの隅々山道まで、舗装されて敷かれたのは目の前に今存在する通り。

 今、国内の各地方で、高速道路に輸送トラックの列がうなりをあげて行き交い、新幹線が列島動脈のように青黄緑の鉄車で突っ切っている。
 これがあの男が夢見て、指向した路線以外のなにものでもないわけです。
 今こそは日本列島開拓事業の結果ではないでしょうか。
 それに併せて、工事業者が竹の子のようににょきにょきと増え潤ったのもまた、後のゼネコン論議の種として今となっては周知のこと。

 先祖伝来の、昨日までの山野田畑が切り開かれ、日本工業地帯として。地方工場への移転が各地で展開されました。
 その様変わりが今日見渡すこの風景です。
 その始まりがあの男の存在ではなかったでしょうか。

 農耕中心の地方で職場が増えて、農家の若者が職場を得て、自家用車を購入できた。
 くまなく舗装された街道を快走したのでした。
 以前に当たり前だった農閑期の家族と離れる出稼ぎも、ぐーんと減ったのです。

 加えて、凄まじい勢いで商業化が進んでは、国民には「消費者」という新しい呼び名の役割も与えられました。
 地方都市は近代的に様変わり。
 ビルが林立して繁栄の姿を見せつけました。
 70年代地方都市の繁華街のにぎわいは、人がぶつかって歩けないほどの混雑でした。
 それはすべてあの時期以降の、地方の近代化であり都市化であり工業化推進がもとではなかったでしょうか。

 80年代に、それら地方進出の商工業の企業会社の拡張展開を地方に向けて、一層激しく競った。
 その競争の舞台である地域への経済波及効果は大きかった。
 国内の広範囲の皆が潤ったわけです。

 地方に価値を認める者が増えることで、土地の値上がりが加速したのはいうまでもありません。
 妄想的に高騰したのでした。
 これがのちにバブルといわれる状況なのでしょうか。

 そちこちで拡張増産のかけ声に、土地の買い占めなどもあり高騰して。
 まるでぶくぶくと泡噴くような、儲け話が景気の良いアドバルーンかくす玉のように、言い交わされ持ち上がり、転がされ膨らんで行きました。
 ついには、こつこつ地道に物造る生真面目ニホンの看板大企業までが、脇見してよだれを垂らし、そうしたおカネをふゆらかそうと、あぶく泡に手を染めたのでした。

 限りなく膨らんでゆくかに見えたのだ、と後に言われたが。
 まさか言葉と紙片のうえだけで、金銭製造機械のようにおカネが分裂増をくり返すわけもない。
 空気だけが詰まった夢風船の、景気よい話はやがてそちこちで薄い表皮が破れた。
 その中身は実体もガスやあぶくだったことに失望を招きつつ消えていったわけです。
 実質的な価値とかけ離れた種々の名目上の証書類が、競馬場の夕べように風に舞ったのでした。

 これを境に、喪失感が北風となりブレーキとなって。
 日本列島は凍りつき勢いを落すことになったのではなかったでしょうか。
 企業が早々に規模縮小の守備体勢に向かった。
 バブル精算の整理は、倒産や閉鎖、身売り。
 人員整理リストラという小市民生活を奪う大量失業時代へ突入したわけです。

 目ざめれば、バブル。
 そうしたなかに新たな潮流として、苦肉の生き残り策が現れた。
 それが海外進出という職場移転。
 製品の原価を削減するために、国内から比べれば五分の一、十分の一という低賃金の国へ、企業の海外移動がはじまったのでした。韓国、台湾、マレーシア・・。

 ここでふり返れば、日本列島が改造され国内地方へ進出した企業の本音も、中央よりも、地方の賃金が安いというメリットが本音でした。
 移転先の地域繁栄の貢献というが、それはうたい文句であり、本音ではない。
 海外移転もそれは同じこと。
 近年国内賃金格差が、地域差が、少なくなった。
 しからばより低賃諸国へ移ろう。
 そういう判断はビジネス的な常道として、きわけて自然な思い付き。

 一方、大失業時代に突入した日本では。
 どうしても国内で雇うというなら、低賃諸国なみに使えなくては合わない。
 そこでパートやフリーのアルバイター。そして請負や派遣の社員制度に目をつけた。
 いわゆる非正規社員の多用。
 これもまたしごく自然なコスト低減の発想。
 世界に誇るコスト削減の名手、日本株式会社としては当然の策であり、法制化だったのでしょう。

 利益を求める企業がコトを起こすには、裏に何らかの金額換算のメリットがなければならない。
 地方の発展や活性化の度合いなどというものは政治行政のがわの論理であり尺度。
 とすればアジア各国の企業移転先は韓国、台湾、マレーシア、インドネシアからさらに中国、インド、ベトナム、アフリカ・・と。
 水が下流を目指すように、まだまだ続きそうです。
 そうした企業の進出の動きの中で、日本の地方の雇われ人は国外へ移動する御神輿を担ぎ出すお手伝いをして一時の食いつなぎをすることになる。
 仕事を嫁がせて置いてくれば、お終い。

 となれば、この先日本国内各地方の住民は、いかなる生きる道をたどることになるのでしょう。
 後進国が真似られないものを、地方独自のアイデアを興せ。などという声もある。
 だが一地方だけの多少の盛り上がりなどはしょせん線香花火のようです。
 なにせ知恵有る欧米もまた、そうした競争で先を走っているのですから。

 少なくとも先の例の、ブルトーザー男の快音が響いたときのような、国主首相のツルの一声。政府の大号令が全国展開のうねりになるような動きが起きないことには、あれほどの好況はあり得ないのではないでしょうか。
 いや、あれまでの狂気でなくとも・・。
 今、このまま死ぬしかないのかという声もある地方。
 国の過半数を占める地域元気への政治力は、この先出現するのでしょうか。


 思えば北国、日本海から吹きつける豪雪に凍えて閉じこめられて。
 代々生き抜いてきた貧苦の農家を周りに見て聞いて、身にも浸みて育った子だったから。
 だから彼は、末端地方の政策を優先させ、必死に追い求め掲げたのではなかったでしょうか。
 こういうことは左脳が机上で学び取ってのことではないような気がするのです。
 人間は深層に沈殿した苦しみ悲しみ辛さがエネルギーになるとき、初めて強引なまでの行動になってどえらいことに果敢に挑戦出来るのではないだろうか、と思うのです。
 そうしたエネルギーは三才五才辺りの、かなり幼い頃の人生経験が核になるのではないだろうか、と。

 あのブルトーザー男の場合の、貧した地方の生活基盤を何とか都会並みに持ちあげようという思いがあった。
 雪深く陰鬱な北の地の皆の苦しみとして背負っていたものをバネにして。
 それは自分が解消するしかない、という夢実現を目指したのではないのでしょうか。

 それほど大きな夢実現の志が、支持共感者を増やし、協力者派閥を成長させて。目白の闇将軍などといわれるまでの政治力を手にした。
 であるなら・・、実現の可能性を感じ、手応えをかみしめるとき。
 小事に惑わされたり、手段など選ぼうはずもない、と思えるのです。

 共感し賛同する人の波が高く大きく増えるにつれて、一部の疑問や小さな不安、そして諸法などに振り回されたりかかずらっていられない、と思うようになるのかもしれない。
 なにせ、自分の大志の決断はこの国の発展を左右する。国民のため孫子の代までに影響するのだ。
 歴史的な平和国家の大事業を展開中なのだと確信しているのでしょうから。

 そんなわけでニッポンの戦後昭和の良い夢のあの一時期があったことは確かです。
 たった一人の裏日本出の男の、夢実現を国民皆が共有できた時期があったと思うわけです。
 一人の男が、自分の夢を国民のものにさせ占めた。
 そのことについて言えば、リーダーとして政治家として有能だとは言えないだろうか、と思うわけです。
 おのれの夢を国家の未来に描いて、それが国民総意の夢に至らしめたのですから。

 今、国内地方の人々を残して、低賃諸外国へ、いなごの大群のごとき企業移出競争を見聞きするとき。
 日本列島改造劇の30年ほどの歴史はこの時点をもって、完全終幕と感じるのですがいかがでしょう。
 地方各地に移転散在した多くの業種の職場が、夢を見させて引き潮のように退いたように思うのです。

 夢やぶれて山河あり。
 ただし、跡には元の緑豊かな自然はなく、削りとられた山肌と大きいだけに処置の施しようのない建物類空き部屋。
 そして、地方の農林漁の、生業などすっかり忘れてしまった老人たち、あるいは元より農業を知らぬ都会好みの若者が、残った。

 田舎者とか政治を米国金銭で汚し国民をあざむいた、などと今は亡きあの男に一笑をあびせる者は多い。
 ですが、難しげな政策理論を唱えるだけのカネ勘定政治家はもちろん、師たり顔の評論家も人気商売の教授も。
 ほか多くの著名人であの男を超える夢を持ち、唱え、共感を集め得る日本人が居るでしょうか。
 皆、限りなく小賢しく小粒なだけではないのでしょうか。
 彼らは、今どきの若者と何も変わらないバブリー知識の頭でっかち。
 魂も信念も思想さえも持たず、一人の人間としての熱き思いの尊さなどとても理解しえない凡夫に見えるのです。

 そうだとするならば、日本という国はたった一人のあの男以外に、夢を提言し実現の闘志を熱く掲げられない烏合の衆の島となってしまったのでしょうか。

 考え方を換えれば、個人の才能にのみ頼って発展したりそれを維持する国は、その者の足がすくわれると、いつでもこのように不安定で危い混乱に陥るということか。
 良いときは良いけれど、その人間が居なくなったり夢が醒めると、これほどにも人々が卑しくなって、皆貧して窮して乱れてしまうか。

 そうならないための崇高な全国的目標を、協議発案する知恵や、その育成。実行完遂するための公明な組織。
 などなど真の意味ではまだまだ身に付いていない民主的で永続保持の仕組みや規則、その充実に努めなければならないではないでしょうか。
 ローマ千年とは言わずとも、人が入れ替わっても変わらぬ穏やかでも永続できる政治をおし進める国というものになって欲しいと思います。

 戦時から学んだとはよく言います。だが狂乱の繁栄からもまた学ぶことは多かったという気がいたしますがいかがでしょう。



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