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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭    2007年07月14日


   【 てクのスとレす 】


   (1)デジタルテクノロジー


 デジタルテクノロジーの特徴は正確さだろう。

 過去、人間が生み出したおおくのテクノロジーにある相似形なものの再現や伝達を、良しとする「アナログのあいまいさ」。
 それがデジタルテクノロジーには極めて少ない。

 伝達され記録されて後。
 再現されるデータや情報は、「有る」か「無い」かの極めてシンプルな形である。
 多少形が変わろうと大きくなろうが小さかろうが、有るか無いかの、それだけで良いというなら。間違うことはない。

 デジタルテクノロジーの基本は、それだけで成り立つのだ。
 この原則ゆえにデジタルは正確なのだ。

 正確なデジタルテクノロジーの根底をなす細胞は、「1(有)」か「0(無)」の状態を示す働きの組み合わせで行う、ということだ。

 その単純な働きをする仕組みの組織細胞を、累乗にもおよぶ数にならべた超高密度に組み合わせ、集積させられたのがIC技術。
 それによりデジタルの正確さを手軽に利用できるに至ったということだ。

 デジタルテクノロジーはまた。
 あらかじめ行うべきことを憶えさせておくプログラムで制御する機能が組合わされる。
 これによって正確さに一層の知的働きを可能にした。
 その究極がコンピュータだというのであ〜る。

 小さくともコンピュータの応用例は数知れず。
 手近には携帯電話をはじめ、ファックス、コピー、パソコン、インターネットの通信機器やゲーム、CD・DVDプレーヤー、テレビ受像器やそのリモコンほかいろいろ。

 日頃お目にかかるほぼすべての電子機器の、中枢として内蔵され。
 日夜そちこちで働きいろいろなものを制御し続けている。

 かようにデジタルテクノロジーが世界の隅々に湯水のようにウィルスのごとく、はびこり浸透した今、この先も。
 果てしない発展と活用が期待されている、とか。

 利用活用の発展予測グラフのカーブは、この先さらなる急上昇を描いて果てしないというのである。

 したがって先進フレッシュな機器商品といえど、一瞬にして陳腐で不便で不細工で、不要な廃棄物となってしまうのだ、ともいう。

 めざましい進化を続ける電子機器を、じつに正確で賢いものにし続ける中枢、デジタルテクノロジーの制御技術と情報技術。

 それは時間を表示するはもちろん。
 操作をガイドして、間違いを指摘して催促し。
 モーターを回し警報ランプを点灯しブザーを鳴らし。
 そちこちの蓋を自動的に開けたり閉めたり・・・。
 機器類の賢い機能を一層複雑にして、難解な使い途を生み増やしている。

 そういえば、身近生活の場の機器が内蔵する電脳を知能化してきていることに少なからず驚いた経験もあろう。
 あれである。
 あれを実現しているのがデジタルテクノロジーなのであ〜る。

 あの電子脳の話なのだ。


 電子機器が、小生意気な子どもの口答えよりも勘に障る、真っ正直でじつに固い拒否をくり返してきては、疲れはてた経験などないだろうか。

 ご苦労なことに、人間であるこちら利用者は、次々に現れる機器の複雑な使いこなし術の習得を強いられる。
 それはどちら様もすでにご承知のこと。
 ややもすると、こちらの知脳程度を測られる思いにもなるのであります。

 時代遅れの、無知無能さまでが露わになる不安感によって。
 機械や装置だけにおよばず。
 手近な家庭の小道具までが、人間の方が伏して教えを乞い、汗し四苦八苦で仕えることが、少なくない。

 こちらが理解しなければ一切思うように働いてくれないデジタルなのです。

 望む働きをしてくれたとて、けして油断はできない。
 応答の遅さに、あるいは処理の遅れに。
 もうひと越えの不満を訴えなどすればなお。
 じつはもっと効率よく使う方法があったりする。
 そこを笑って指摘するのは、若者。
 これがまた幼いほど詳しいのだ。
 不満の種が使用法の無知により、非はすべてこちらにあるというのが、また苦々しいではありませんか。

 また機器が旧型だから増設購入や買い替えによりさらに便利になるなどと、平然とセールスされたりする。
 もちろん利用料はその分しっかり上がる。
 そして後戻りできない。
 メーカーは絶えず不満のたねを生みだしては、当然といわんばかりに新機能新製品を差し向けてくる。
 そのとき、やっと理解したはずの知識が時代遅れになるのです。

 こんなにも腹立たしい仕事や生活の環境が過去あったでありましょうか。

 この苦々しくも腹立たしい苛立ち感こそが、テクノストレスというべきではあるまいか、おのおの方よ。

 不快感は脳奥に積もりつもって。
 なかなか解消されないのであ〜ります。

 ハンドルを握ると人が変わるドライバーのごとき怒りが、苛立ちぱんぱんの塊となって破裂することもときにはあるわけです。

 いや。おのれになくとも、知人友人にバクハツの氏がいて。いまいましげに吐露するをのを同情を込めて、さもあろうと共感するなどはないでしょか。

 そういうことがあったとしてもです。
 デジタルなハイテクノロジー社会というこの今の潮流に背を向けて生きることなど、誰ができましょうか。

 もしも拒否すれば敗者の烙印を受けるしかない。
 一旦ハイテクノロジーに背を向ければもはや時流に戻ることは難しく、落伍者となるのです。
 そうした烙印に、あなたもわたしも甘んじられるだろうか、という問いが待っています。

 でありますから、現代に生れ出たことを嘆きつつも。
 この先永くこれらテクノストレスなるものを汗して追いすがり、つき合うしかないのでありま〜す。

 なにせ先に申し述べたごとく、この先未来はデジタルテクノロジーの社会なのですからして。
 まずはどちら様も御身お大事に、です。




  (2)IT.ドットに醒めてはならぬ


 デジタルテクノロジーの粋、IT(インフィーメーション・テクノロジー)は、情報の速度を高めて人と人との時間と距離を、大幅に短縮したという。

 ・・であるならば、それは実質人間にどんな恩恵をもたらしたのだろうか。

 いやその前に、「情報」とはいったい何のことでありましょうか。
 という観点にも立ってみたいのであります。

 そうした自問は、遠距離の情報伝達の手段を持っていなかった頃とくらべて、遅かった時よりも交わされる情報の質は高まったろうか、というところに至るのであ〜ります。

 少なくとも情報の伝達速度と精度そして手軽さの向上に、見合っているかということです。
 やり取りする内容は、より高まったろうかということであります。

 交換内容の質の向上はもちろん、脳の反応速度の方もまた。
 高度なIT機器性能に則して、格段に上げることができたがろうか、という疑問です。

 よもや、なに変わらぬ脳性能のまま、寄り来る情報速度や量に追いつけず。その速さにせっつかれ、落ち着きを失って。
 つい間に合わせに、手を抜いて済ませていないだろうか、ということ。

 もしも、もしもそうであるならば・・・。
 進歩したなどとは言えないこと、論を待たず。
 後退したと言われても否定できない。

 万一そうした軽薄な状況に陥っているとすれば。ITは我々にどんな恩恵を与えたことになるのか。

 天然資源や自然環境を削り取ってロスった経済活動の異物に、ただもてあそばれ振り回されただけではないのか、と不安になるわけです。

 ネット上では、いつでも、どこからでも、誰でもが、何んの情報でも、手軽に入手できる、と人はいう。
 まぁ何でも入手可能とはいささか過大表示の誇大宣伝でありましょう。

 IT環境のない昔とくらべて、人々の思考は格段に深まって、考え方や分析する力はより確かなものになったのか。
 向上改良果てなしというコンピュータの性能ほどに出力は増したのか。
 そうでなければ本来の機器は活かせないというわけです。

 そういったことを忘れて、思いめぐすこともなく。
 お手軽な宣伝ビラ張りの迷路に軽薄にも誘い込まれ。
 引っかかれたり噛みつかれたりして。
 人間的に貴重な時間と料金をただ浪費していないだろうか。

 ITとはそうした夢をむさぼる儚いお祭りの側面があるというだろうか。
 だからその気になってこそ楽しめるものだと。

 とはいえこの辺りでちょっと立ち止まり。
 自分との関係や、使う意味をよーくよく考えてみなければなるまい。
 と、まぁそういうわけです。
 はい。





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