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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

文芸工房 夢舟亭 エッセイ   2012年 5月 4日


トリ・パイ・サン (トリオ、山水、パイオニア)


トリオ、山水、パイオニア。約して、トリ・パイ・サン。

トリオ、山水、パイオニアとはどれもが今でいう家電メーカーの社名だ。

当時の、知る人ぞ知る、世界に聞こえたオーディオ機器製造販売のビッグな会社である。オーディオとは、音響機器のこと。

今どき家電量販店のフロアを歩けばAVコーナーなどとして、テレビやDVDやビデオの隅のちいさく一角におかれたコンポステレオ。

 そのステレオコンポがかろうじてオーディオ、AVの「A」の存在を示せていることになる。ちなみにAVとは、Audio Visualのことだ。

 しかしいまからン十年前には、トリオ、山水、パイオニアとくれば、耳の肥えたその筋のファン、マニアが、そうした商品を展示試聴できる専門店に、休日ともなるとたむろしていたものだ。

 オーディオ、ステレオが趣味となれば、それは当然音楽のレコードや放送を、再生して聴くことだ。それも、少しでも良い音で、となる。

 この「良い音」が問題なのだ。
 良い音とは、より原音、つまり生の演奏音に近づくことが目標になるから、話は複雑になる。

 なにせ私たちが戦後耳に馴染んだ音楽のほとんどは、西洋音楽が基になっている。
 だから笛や琴のようではなく、ピアノやトランペットやドラムスのように音量がばかでかい。

 これを四畳半や六畳ごときの鶏小屋で生音らしく聞こうというのだから、しょせん馬鹿げた話なのだ。

 そういえば昭和のある時期。文化住宅とか高層アパートが建ち並びはじめたころに。ピアノ殺人、などという記事をみたものだ。
 猫も杓子もといえば大袈裟だが、とにかくそれ以前の何もない時代に育った親たちが、豊かさをわが子にとばかり隣近所がピアノを習わせた。

 そのあげくの、迷惑騒音が争いに発展したのだった。
 オーディオの楽しみも、ピアノと似たような迷惑ものだったに違いない。しかしそんなコトは知っちゃいないのがマニア。いまではオタクなどと蔑まれている夢中人たち。

 しかしそれは見方を替えれば、音楽という楽しみが、欧米から怒濤のごとく流れ込んだとはいえ、かくも皆が音楽を追い求めた、とは言えないだろうか・・・
 そういう時代がこの日本にあったということは事実なのだ。

 そんな高度成長ばく進中の日本が、世界に知られる平和産業の国としてリードした家電業界。その先頭をトリオ、山水、パイオニアが走っていた。
 メイド・イン・ジャパンの専門メーカー、トリオ、山水、パイオニア。
 1960年代、そのオーディオ機器、ステレオは世界が求めたのだった。

 続いて家庭電気機器メーカーのソニーやナショナル(現パナソニック)ほか日立東芝三菱などが売れるぞと作り始めたのはちょっと後のこと。

 わたしなどもステレオ手作り自作派だったひとりとして、トリオ、山水、パイオニアの製品はまぶしくも手の届かない存在だった。
 売っていない、買えないから、作る。それが自作派だったろうか。

 あれから40年、とはあるコント師のフレーズだが、この2012年4月に山水電気が倒産したという。
 わたしたちを憧れさせたオーディオ機器を機種名で憶えているほどの、あの専門メーカーが。

 トリオ、という名のメーカーも今ではない。
 ケンウッドと社名変更再出発後、さらにビクター社に合併し生き残っているとか。

 またパイオニアは、音響専門メーカー、とくに電気信号を音に換えるスピーカー技術を今も活かしていると聞く。

 いずれも、あの頃の輝く星のごとき隆盛にはいささか乏しい。これもまた世のならいだろうか。
 なにせAV機器業界は、あの後にAの聴くから、Vつまり見るテレビなど映像機器にその座をゆずったものの。
 昨年の地上デジタルによるハイヴィジョン映像とて、人々はさほど熱い目を向けるまでの関心をもってくれず。
 いまではAの下り坂を、Vもまた歩いているように見える。

 これらトリオ、山水、パイオニア各社の起源が、戦後発足だということは注目したい。混乱期日本に産声をあげたという。
 苦境にあるというソニーなどもそうした時期の起業であり世界が認める成功例だろう。
 栄枯盛衰とはいえ、人々の興味、関心は、起業家精神は、音にも映像にも向かず、この先どこへゆくのだろうか。とくに十代二十代の若い人たちは・・・ .





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