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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ    2007年09月01日


   落語「厩(うまや)火事」


 独りのステージ(高座)は座布団一枚。
 その上にすわって、とぼけて。
 ときに真顔で、笑わせ。
 ときには、泣かせる。
 おしゃべりの妙技、話芸、落語。

 CGコンピュータグラフィックス全盛の映像時代にあって。
 超大型の精細スクリーンや、大音響サラウンドのエンターテメントをも凌ぐ説得力をもつ落語。
 なんと使う道具といえば、手ぬぐいと扇子。
 あとはわが身ひとつ。

 富む人、貧する人。
 地位の高い人、場末の凡夫。
 性別年齢を越えたすべてを演ずる。

 ・・という日本の芸能、落語は誰でも知っている。
 というのは昔の話。
 もはや落語を噺(はなし)と書くだけで、「なにそれ? わッかんナ〜ぃ」。

 そんなわけで、今や落語は特別な知識であり、教養として。
 日本文化の化石か、まぼろしの芸となりつつあるようです。
 長屋の花見、を知ってるなんてことになればいやはや……奇人変人なのでございますかな。

 さてこの落語。
 たとえば「夫婦」をキーワードにして検索すれば。

 佃祭り:
 佃島の祭りの夜に最終舟がひっくり返えった。
 それを聞いた若い女房が、出かけた夫も溺れて死んだと思う。
 佃島の祭り見物へ行って混み合う舟もろとも帰らぬ人となったと泣き崩れる。
 ああ無理にも止めればよかったと。
 それをなだめながらの長屋のオールスターが、さっそく葬式準備となる。
 ところが当の亭主は……ただいま。

 中村仲蔵:
 これは芝居(歌舞伎)噺だ。
 従来わき役が演ずるどうでもいい役をもらって、ふて腐れた役者がいた。
 その妻の賢い助言で役創りをし直して、見事に歌舞伎舞台の輝くシーン(見せ場)にしてしまった仲蔵。
 その苦労出世話。

 おすわどん:
 わたしがもしものときは、後妻などめとったりしないでね。
 もしもそんなことをしたら、必ず参りますからネ〜ぇ。
 と、約束の釘を刺して、息を引き取りった恋女房。
 数年後。まだ若い男はその約束をやぶって、若い後妻をめとった。
 と、このう〜ら〜み〜はらさで〜・・と、幽霊女房があらわれた……が。
 死にぎわに剃られていた髪が伸びず、まだ短くて恥かしい。愛しい夫にはとても見せられやしない、と悩む。

 などなど、きりが有りません。
 三千とも五千とも言われております落語、噺の数々。


 そんな中から「厩火事」(うまやかじ)です。
 主人公である女房。その名は、おさきさん。
 職業は、髪結い。現代のパーマネント屋さん。
 住んでいる長屋の、親も同然という大家さんに心配事をうちあけるシーンから幕が開く。

 俗に、髪結いの亭主、という。
 髪結いの腕をもつ女房の稼ぎあてにして職を持たず、遊びほうける男のことだ。
 おさきさんの亭主もまた飲む、打つ、買うという男の三大遊びの人。
 ぶらぶら遊んで過ごす毎日でも食って行ける身分の保証は、髪結う妻が遊びこの男を愛しているということ。
 そんな立場の男は、言わずと知れた若くてイイ男と相場がきまっている。

 夫にぞっこん惚れている年上の女房、髪結いの、おさきさん。
 それだけに、おさきさんの不安な事はといえば、自分に対する亭主の愛情の信頼度と、その深さ。
「あたしがさぁ、こうして働いてるうちはいいけどぉ。やがてお婆ちゃんになって、寝込んじまったらぁ。あの人は若い娘でも見つけて出て行っちゃうんじゃないかしらぁん」
 と、悩みは尽きず果てしない。

 そこで愛情テスト「厩火事」の計、なるものを大家さんに相談の末に教わった。

 大家さんの言うことにゃ。
 昔唐土(もろこし:中国)に、それはそれは偉い孔子さまという先生が居ったとか。
 弟子も多かったそうな。
 ある日、先生が旅に出た。

 その間に留守をあずかっていた弟子たちは、不注意にも火事を起してしまった。
 ほぼ全焼。
 馬小屋には、先生がとーっても可愛がっていた白馬がいた。
 その馬がこの火事で焼け死んだ。

 孔子が帰って来ると、弟子達は、先生済みません、申し訳ありませんと、平謝りした。

 すると当の先生孔子さまは、少しも騒がなかった。ばかものぉ! などとは叫ばなかった。
 ただ一言、「お前達に怪我は無かったか?」と申されたという。
 白い愛馬のことは一言も触れず気にかけなかったという。

 そのとき、弟子達は、ああ先生は私たちのことだけを心配なさった。何とご立派な方だろうと、その後もいっそう師を崇め、大いに尽くしたという。

 つまりは、人は大切にしている物を無くした時などに真心、本音が現れるものだ。
 だからお前も夫の本心を知りたければだな・・
 −−とかなんとか、大家さんが喩え話をしたのでありますな。

 おさきさんが若い夫の本心を知りたければ、何か大切にしている物を壊して困らせてみると良い、と諭された。
 その瞬間。もしも、おさきお前怪我をしなかったか、と安じたら愛情があるから大丈夫だ。
 ただし、物の方を心配したりしたらお終いだと思え。
 そのときはけして気を落とすな。そして別れなさい、と。

 なぁーに大丈夫と夫の愛情に自信がある、と思う反面。
 もしも、夫が自分を安じることがなかったら。
 と、不安を抱きつつ自宅に戻るおさきさん。

 家に戻れば、昼間のうちから酒肴の夫。
 まさに髪結いの亭主、の有り様。
 おさきさんはそんな夫に惚れた弱みに負けず勇気をふりしぼった。

 夫が買い集めては、日頃目を細め撫で回していた骨董の壺を持ち出した。
 いい気分で飲んでいる夫が、何をするんだと不審がるのを後目に、がしゃーん。
 取り落とした振りして、落として割った。

 ななな、なにしやがるんだ。……おめぇ、大丈夫か。おさき、怪我しなかったか。
 あぁ……。あんたやっぱりあたしが心配なんだねぇ〜。うれしぃ〜。

 おさきさんは夢中で夫に抱きついた。
 願った通りだったと、喜び満面。

 そりゃぁ心配さぁ。
 当たり前ぇよ。壺なんてもんはまた買えばいい。
 だがおめえに怪我でもされてみねぇな。このおれは明日から遊んで飯が食えねいじゃねぇか。
 えぇ……。なんてこと云うのさ。やだあ、もう。

 これが落語、厩火事。愛情テストです。

 目で見えず、推し測ることが難しいのが、人の心。
 なかでも愛情の度合いは難しい。

 それだけにまた人間関係を面白くしてくれる。
 2007年の今も、神は、未だ人の心を覗く術(すべ)を人間に与えてくれてはいません。
 これから先、未来に、人の心が読める時代が来るのでしょうか。
 その頃落語はどうなっているのだろうか。



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