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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ     2001/03/13


       兎(うさぎ)


 私のふるさとは、東北地方。
 その南に位置する寒村である。

 二月も後半になると日差しが少しずつ増してきて、厳しい冬の寒気がゆるむ。
 春の始まるその時期の風景は、寒さで家にこもりきっていた土地の者にはひときわ明るく映る。

 だが積もった残雪はまだ子どもの重さでは崩れたりしないほどに固まっていて、溶けて消えるにはまだ間があるのだった。
 その時期には、近所の子らとふっくらとした白い起伏がきらきら輝く朝から、そり滑りをしたものだ。

 手が凍える寒さも忘れて、外灯などのない山野の闇を遅くまでかけ回ったことが、五十路に入ったいまにしてなお、懐かしい。
 雪の夜などに、夢にも思い出すシーンがいっぱいある。

 道であれ、原っぱであれ。畑も土手も、裏山の道にも。
 雪積もる下り坂の勾配を誰かが見つけると、声かけあって小さな胸をわくわくどきどきさせて、そり滑りの遊び場所としてしまうのだった。

 そりは、数十センチの長さの木板を、「井」形に組み、中に子どもが坐れる様に板材を貼る。
 雪面に接する足の部分は、スキーの様に先を丸めて反らせた木材、または太い竹を割って節をなめらかに削いで作った竹スキーを留めると完成だ。
 それへ、冬の蜜柑箱や、りんごを詰めて運んだ木箱を載せて釘で留める。
 十歳前後の子どもなら二人は箱に乗ることができた。
 米の茎である稲、つまり藁(わら)で編んだ縄の紐をU字にして、両端をそりの前に結わえる。それは、そりを雪道を引いたり、滑るときの舵、手綱、つまりハンドルになるのだ。

 そりだけでなく、竹スキーを楽しむ子も多かった。
 形も長さもさまざまの竹スキーは両足に履いて滑る。

 こうした遊び道具は、どれも兄や父、祖父など、家族に作ってもらうものだ。
 おカネを出して店から買うのではない。
 第一、そりなどは売っていなかった。
 お皿の様なプラスチック製のカラフルなそりは、私の世代よりずーっと後に売り出されて使ったものだ。

 坂や土手の頂上から下に向けて、そりにまたがり地を足で一蹴りすると斜面を滑りだす。
 滑るにしたがって勢いがつい速度があがってくる。
 しゃーっと、雪の上面を擦る音をたてながら、加速して行く。
 北風がほほを撫でて過ぎる。

 学校から帰ってきた大きな子たちも加わる午後にもなれば、滑る仲間は更に増える。
 皆で何度もなんども滑る雪面は凍ってスケートリンクの様に固まる。
 夕方の冷気が吹けばなお氷面は固くなって、そりは飛ぶような速さがでる。
 それは怖いが、たまらない快感なのだ。

 行くぞー!
 滑りだす子が、坂のてっぺんで意気揚々と手を振り、一声叫ぶ。
 皆に気をつけて登ってこいという意味であり、またこのおれの見事な滑りっぷりを見ていろということでもある。
 見あげると、ざーっという音をひいて近づいて来る。
 坂を登る子たちの間をひょいひょいと滑り抜ける。
 その顔は満足そうに興奮していて紅い。
 皆がふり返りながら着地まで見送る。

 三歳四歳の、よちよち歩きの弟や妹を子守しながら遊ぶ子らも居た。
 そりの箱の中に布きれや古座布団を敷いて、少しでも温めたチビどもを乗せたままそりにまたがって滑っていた。
 ときに急勾配のでこぼこ雪面でジャンプする。
 左右に振れるカーブでは舵を誤り、そりごとひっくり返る。
 仲間はあっと驚く。
 動きを停めてその転がったそりを見入る。
 けれども所詮は雪の上だ。
 転んで投げ出された本人も、乗ったままのチビ弟妹も。紅いほっぺで這いだしては、むくっと起きあがる。
 遊び仲間は一瞬の緊張を、あっはっはっは、わっはっはと、解く。
 そしてまた滑りに興じるのだった。

 やがて夕闇のなかに、遊ぶ姿がひとり消え、ふたり去りして。
 呼びかけても応える者のない静寂に気付くとき。
 ひとり残ったことを知る。
 一日何度も滑ったコースなのだから、暗いなかでも滑られる。
 だがやはり賑わい囃したてる仲間の声がないというのは寂しいものだ。どんなに高速で滑り降りても張り合いがない。

 林の先に集落があり、クリスマスカードの絵柄のように家々の火明かりが、ぽつっと点いて見える。
 と、幼い体に寒い風が浸みて感じるのだった。
 そんなとき、すっかり忘れていた愛犬がくんくんと鼻を鳴らして寄って来る。
 なんとも愛おしいものだった。

 子どもが駆け回れる、空き地、という言葉は当時無かった。
 なにせ前述のように、周囲のほとんどは農閑期の田んぼさえもが空き地で遊び場だった。
 それらは今宅地や道路、バイパスや高速道路、インターチェンジ。新幹線の陸橋などに、代わってしまっているという。
 誰のためか分からない公共の施設や公園などが出来て、その地には従来無かった異国の樹木が綺麗に植えられている。芝生が敷かれ立入禁止の札がとり澄まして立っていたりする。
 山深かった土地は裂かれて削られて広がり、白っぽい角形の家屋がニュータウンという密集地を造っている。
 山腹に傾斜して並んでいた畑は、もう無い。
 縦横一直線の田んぼの間を流れる堀はコンクリート。
 猫柳も生えず釣り遊びを誘う風情は無い。

 学校の音楽教科で、ふるさと、の曲が消えたと聞いた。
 さもあろうと思う。
 捕らえようとして追う兎など居やしない。
 野も山も、川も、すべての子どもの遊び場は大人のあからさまな理論をもって消えた。
 野外の空気を吸って大声出して、からだをメいっぱい動かして仲間と遊び、ケンカもすれば怪我もする。
 それが健全に育っている証拠ではないと思い始めたのは、いつ頃だろうか。

 当時からみると、匂いもまた乏しくなった気がする。
 牛や馬の糞。犬猫の糞、いや人糞さえ匂ったことを憶えている。
 それも都会のなかで嗅いだ気がする。
 現代の、無臭無菌の有毒物で保つ清潔さからは想像もつかない。
 が、あれで汚いとか不潔だとか思うこともなかった。

 多くの動物が、身近に生きた共生の時代は、つい二、三十年前のことなのだ。
 数年前、ロンドン市内にある、広いケンジントン公園を歩いたとき、犬の糞が多いのに驚いた。
 散歩するときの犬用の小道なので、ひとの行く道は隣りのコースだと聞いた。
 あの市内を歩いていると犬連れが多い。
 わが国の様にビニール袋を持ち、道に落とした愛犬の糞を拾う様子も見つけなかった。
 当然、糞が路肩に、少ないとはいえ残っていたのを見た。
 翌朝、それを含めた道の汚れは、清掃車がかき集めて行くのを見たのだった。
 動物とひとの共生を、いまも容認している都会がそこに有る証しを認めたのが、とても嬉しかった。


 さてあの頃。
 正月のあと、三学期の授業に出てしまった小学の遊び仲間が帰る時間まで一人で遊んだ入学の前の年のこと。

 きゅっきゅっとゴム長の靴で雪を踏みならし山道を行く。
 と、濡れた地面に山に向かって点々と、小さな足跡を見つけた。
 当時、幼い私たちは誰に訊くまでもなく、それが犬でも猫でもなく兎のものであるとすぐに分かった。
 指先大の真ん丸い糞が数個こぼれていたのだ。

 野山の雪が解けて地肌が出てくると、育っている木が新芽を吹く。
 兎にはことのほか美味しいそれを探しに出歩いたらしい足跡を辿って登る。
 そうした峠から眼下を見ると、村落が広がって見える。
 見晴らしの良い春先の雪の原に、兎の足跡の発見という遊びに興じるだけの対象を見つけた、私。

 山や谷を縫う道など苦もなく走り回れる兎。
 それが食い物を探しに山からぴょんぴょん降りてきた。
 それはどんな様子で、子兎は何匹居るだろう。
 だが足跡や糞をたどって登るにつれて、残雪が消えて乾いた山肌では足跡が見えず、見失った。
 さぁて何かアイデアはないだろうか。

 野生の動物を鉄砲で撃ち穫るのが得意な遠縁の老人が居るのを思い出した。
 鉄砲撃ち、とひとが言うその家に駆けた。

 こんちわー。おれぇ兎捕まえてえんだけどなあ。どうすればいいんだあ。

  おう、本家の坊ず。なに、兎だと。おめえが、兎をなぁ。

 おじさんは軒下で、山から伐採した木々を薪に細く割る作業をしていた。
 振り上げていた手斧を置くと、割る前の丸太にどっこいと坐りなおした。
 無精に残ったひげの中で黄色い歯が笑う。
 しぼりの手ぬぐいの鉢巻きをほどいて顔を埋めて汗をぬぐう。
 真ん中が禿げたごま塩頭がこちらに見える。
 日焼けた額に横のしわを寄せて一息ついて話しだす。

  兎、ちゅうもンはな。
 また一呼吸置いて首筋を拭う。

  先ず針金が欲しいな。こういうふうにな、輪っかを作る。いいか、分かるか。

  針金で? 輪っかか。分かんねえよ。面倒だなあ。

  そりゃあおめえ。兎だって命は惜しいで。簡単には、捕まれねえよ。

 どっこいと立ち上がって藁屋根造りの母屋に入っていった。

  人の匂いも駄目だ。ンだから、あまり罠の周りにべたべたと足跡をつけるな。兎はけっして寄りつかねえ。それからな、もうひとつ肝心なことだが。

 家の中から声だけが聞こえる。

  ろうそくだ。いいかこの火で針金に黒い煤(すす)をつけるんだ。

 そう言いながら、針金と火のついた残りろうそくを、風で消えない様に手で覆いながら出てきた。

  なんで?

  罠だと兎に解らねえようによ。だっておめえ、針金のままだったら・・

  あっ、そうか。きんきら光って兎に針金だって分かっちまうからだ!

  そうだ! おめえ賢いな。

  うへへ。

 説明を続けながら、農作業の鍬や鎌を握り続けの節くれた寸胴の手指が、針金をひねって丸めてみせる。
 三十センチほどの輪の、端をねじり、もう一方を通した。
 ちょうど西部劇のカウボーイが使う投げ縄を小さくした様だ。

 次ぎにろうそくの炎の先から昇る黒い煙にかざす。と針金は黒く染まった。
 小さな顔は、ふんふんとうなずきながら、だんだん針金細工に近づいてゆく。
 やがておじさんの手の動きが停まる。

   ほれ、おめえの手をここに入れてみろや。

 差し出された黒い針金の輪に小さい手を恐るおそる入れる。
 そこでおじさんがきゅっと針金の片端を引く。
 輪が閉じて手首が絞められた。
 振りほどこうと振る。が手首は暴れるほど絞まる。
 兎の罠の理屈は単純だ。

  なあーんだ。これだけでいいのかぁ。

 小さい手首をひねって、黒いあとが付いて残ったのを眺めて強がりを言う。

  うふふ。まあこの先は自分でやって見ろや。問題はな。仕掛けだわい。

 細工した針金を手からほどいて私に渡しながら、にんまりする。
 腰を浮かして引きだした柄の長いキセルの先にタバコをねじ込んで、潰れたマッチ箱を取り出して擦る。
 しゅっと橙色の炎が楕円形に立つ。
 口を尖らせ、すぱすぱとさもうまそうに膨らます。
 白い煙が脂ぎった鼻の穴ふたつから吹きだす。

 その夜は兎の夢をみるほど思い続けて。
 明けて翌朝。
 さっそく昨日の兎の足跡の山道を仕掛け一式を抱えて駆け上がる。

 兎の通り道と思えるところを探して、父からも聞いた餌の置き方で黒い針金の輪を土手の草に隠すように仕掛ける。
 罠とは知らずに通る兎が、餌に食らいつく。針金の輪が首に絞まる。
 地に突き刺して、弓なりにしならせた細竹に針金の端を留めておく。
 首が絞まって暴れる力で、跳ねて戻る竹に首吊り状態になるのだ。
 翌日行ってみれば、掛かった兎の死体がぶら下がっているはずなのだ。

 とはいえそこは幼い子どものやることだ。
 兎が通るかどうかの場所も見定められやしない。
 細竹の弓なり状態もねらい通りに仕込む体力など無し。
 結果はといえば、二週間ほど毎日餌まで増やして待ったが、兎が通った様子はない。
 とても、簡単なものではなかった。

 気になって日に何度も出かけては、罠をいじるために人の足跡と匂いに気付いたらしく、迂回して餌だけをきれいに持ち去っていた。

  兎っておれよりも、賢いんだな。

 それでも、毎日まいにち兎の話ばかりする私に、父親が更に言ったものだ。

  あのな。簡単に掛かるぐらいの兎は病気持ちで、弱い。穫っても食えねんだ。

  ふーん。病気か。

  丈夫で元気な兎は頭も回るし、すばしこい。んで、なかなか捕れねえ。

  ならば、やっぱりおじさんの鉄砲にはかなわねえってことだ。

 あっさりと諦めて、走り出す。
 おじさんの家に行くと何とも立派な雄の雉(きじ)が、床の間の前に横たわっていた。
 全身が深い紫や黒緑の羽根で覆われ、鶏(にわとり)ほどの大きさだった。
 腹部に銃弾が撃ち込まれた痕があり、流れた血がどろりとしていた。
 首がこたりと垂れていて尾羽根はまっすぐに白く長い。

  これ、どうすンの。食うのかぁ?

  む。雉鍋だな。旨めえもんよ。からだは剥製にする。

  はくせいか。気持ち悪いなあ。

  そんなこたあねえ。床の間に置けば立派なものよ。ところで、おめえ兎はどうした。

  だーめ。

  そンりゃそうだろ。こんな子めらにいちいち捕まっていちゃ、兎だって命がなんぼ有っても足りっこねえ。へっへっへ。

  おじさんは、穫らねえの?

  穫ったとも。昔はな。

  今は?

  穫らねえ。

  何で?

  今の兎は、食えねえからな。

  この間芋煮会の鍋で食わせたじゃねえか。

  おう。あれか。あれは猟犬のタローがとっ捕まえたとびっきり元気なやつよ。おめえ、あれ旨めかったか?

  うん!

  最近はな。病気持ちが多くてなあ。役場や保健所から兎は食っちゃいけねえと言われているんだ。そう言いやあおめえら、どじょう穫りはどうだ?

  ああ、やったよ。恵比寿講のとき母ちゃんと田んぼの堀で、笊(ざる)に掬っていっぱい穫った。爺ちゃんが神棚に上げて拝んでた。

  む、そうか。しっぽが無えのや背なかが曲がったの、居ねガったか。

  背中!? 曲がってなかったよ。爺ちゃんは食っちゃいけねえって捨てたけど。

  兎もそれと同じよ。腹に出来物が出きて。気持ちが悪くて食えやしねぇ。

  できもの?

  ああ、そうだ。むかしはなぁ山に旨えのがいっぱい居たぁ。鳥も獣も居たもんよぉ。

  田ぼには、たにし。堀にはフナにどじょう。川にはナマズもうなぎも居たぁ。

 そこでまた長いキセルを腰から外して、ぷかりすぱすぱと目尻にしわを寄せて。けむそうに旨そうに白い煙を漂わせるのだった。

 その後、私が学校に入って後。
 山に自慢の鉄砲が鳴り響くことは無かった。
 卒業まえの冬の夜。
 藁葺きの家に鉄砲と白い猟犬と雉の剥製を残しておじさんは逝ってしまった。

 そして雪が多いという今年もいなかには、そり遊びをする子どもを見ることは無かったという。

 帰省しそびれて、ふと見上げたビルの谷間に粉吹雪が舞っている。
 があ、と一鳴きしたカラスが、羽根を拡げて高く飛び越えて行く。
 夕陽のガラス窓にその影が黒く映った。



          −−− 兎(うさぎ) おわり −−−






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