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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭     2008年 2月2日


   蕨野行(わらびのこう)


 先日BS2(NHK衛星)で邦画を観た。
「蕨野行」(わらびのこう)だ。

 原作は村田喜代子(芥川賞受賞者)の同名作品(1994年/平成6年文藝春秋社)だという。
 監督は恩地日出夫。
 主演は子ども番組、日本昔ばなしの語り手の、市原悦子。
 あの俳優が、まさになりふり構わずというほどに見事に演じている。

 日本映画批評家大賞、ほか賞を受けている作品である。
 ロケ地は山形県の朝日村とあった。
 四季の山野が深くスクリーンいっぱいに映える。
 
 人の老い、をテーマとした作品は世に多い。
 この作品もまた、その昔の山村の老人をあつかったものだ。

 といえば、フランスのカンヌ映画祭で賞を得た「楢山節考(ならやまぶしこう)」がある。
 似た内容であるこれも、姥捨て。
 あちらは家々の者が、それぞれに老人を山中においてくるかたちの姥捨てだった。
 この作品では、集団の姥捨てを行う。
 老人たちは自らの足で山に入る。

 村落の伝統として、代々伝えられた慣行に口外してはならぬというそれがある。
 60歳をむかえた老人男女を集団にして。
 ある春の日に、蕨野という山中に向かわせる。
 その日より老人たちは蕨野の山小屋で一夏の集団合宿生活をする。

 蕨(わらび)が豊富なそこでは、山菜を食料とする。
 だが畑作業などで食物栽培はゆるされず。
 徒歩で里まででて、食事をする。
 その道中を歩けぬ者は食えない。
 手助け介助は禁止なのだ。
 独力で自分を処せない者の、死の淘汰か。
 自力で食えないでは、永らえないという村のおきてか。
 それは貧しい村が、永年かかって考え出した存続の知恵ということだろう。

 山菜が萌える春もすぎて、岩清水に魚が棲む夏を生きぬくまでに。
 ひとり逝き、ふたり亡くして。
 生きのこった者が、埋葬する。

 そこは人生経験の多き老人たちなれば。
 かばい合い励まし合って、越せない話でもないのだ。
 しかしそれも秋の終わりまで。

 やがて雪深い小屋では・・・となるのだが。
 映画のストーリーを語り尽くすのはヤボてんのやること。まずはご覧あれ。


 むかし、姥捨てはわが国の山村離村においてけしてとくべつな話でなかった、ということに思い至る。
 さらには、現代の老いて自身まかなえぬ人や、動けぬ人はどうなっているだろうかと思いめぐらしてしまう。

 医学めざましい現代といえど、親を面倒みて看取り、見送ることは大変なことだ。
 介護の実際は、家族で看るも、入院も、けっして楽ではない。

 その状況にもよるだろうが、親子の気持ちがどうとかいうが、現場は大格闘の汗だく。
 互いに不眠で悩むこともが少なくない。
 私もその経験がないではない。

 専門の施設に託しても、冷暖房があろうと、食があたえられども。
 家族も縁者の日々おのれの生命を満たすに精一杯であれば、滅多に訪ね来る者もない。
 今ではどんな町村にもあるあの建物に、投棄する形の手段しか方法はない。

 姥捨てを扱う作品は、そういう現実を思いうかべさせないではいない。
 老い先のむなしいそうした実態を縁者に知人にすでに目にしている方もあろう。

 学生にボランティアの授業の可否も論じられては、浮いたり消えたりしているらしい。
 反対の意見には、自主的な意思をもってこそボランティアだという考えがあるらしい。
 けれど核家族あたりまえの今、青少年にその意思など湧くだろうか。判断材料もあるまい。
 昨今の不可解な犯罪を聞く度に、人間の生死の生の姿を知らしめることの重要さを思う。
 老人を看てやる、とか、他人への優しさを養う、などという前に。
 確実に訪れる己の終末として、人の老いの様子やその思いなどを知ることは大切だ。
 自分の未来を見聞きせていただくチャンスだろう。
 こうした学びの意味が何より重要だと考えたい。

 しょせんは数日のボランティアなど足手まどいでしかないのだ。
 生きる人間としての自分、時々刻々老いてゆく自分を知ることは、今日の明日の自分の生き方にどれだけ有意義か。
 それを教え説けない教師が人の道案内などできるだろうかと思う。



<<参考:映画 「蕨野行」>>


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