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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ   2009年07月02日



   あの時はまいったぁ



 もうすぐ夏休みという晴れた日の午後。
 小学校から帰って着替えて、釣りにでたことがあった。

 その日Tくんと夏休みにどんな遊びをしようかと語りあって校門までくる。と、開放感で空をあおいで、「これから池に行こか」と竿をもつように、手を前で握りかさねた。
 夏陽に目をほそくしたTくんのあたまで、学生帽が横をむいていた。

 いいねぇ。行こういこう。
 なにも夏休みまでまっていることはないとわたしも思った。

 Tくんはそのころ親友だったのだ。
 小刀で細枝をけずって木刀をつくったり、それでチャンバラごっこで斬ったきられたと野山をかけめぐったものだ。
 雨の日には、どちらかの家でメンコで床をたたいたりビー玉をぶつけあった。
 Tくんの家はわたしの家とちがって、田畑もあれば牛もいる農家だった。

 釣りとなれば行く池はきまっていた。
 Tくんの家の裏の、山かげの林にひっそりたたずむ50メートル四方ほどの灌漑用池だった。
 そこにはおもに小鮒がいた。

 けれど腕のよい中学生は鯉を釣りあげたといううわさがあった。
 30センチもあったと、見た友だちはいう。
 いまにも糸が切れそうだったのだと。

 そんなうわさが頭にあったから、池で釣り、というときの小さな目と目は、獲物は鯉だねと交わしていたのだった。

 釣り竿をかついで小バケツをさげたわたしが、Tくんの家へ寄る。
 Tくんはすでに牛小屋の裏のどぶを掘りかえして、空き缶にエサのシマミミズをつめていた。

 さぁ行こうと立ちあがると、ならんで山道へ向かう。
 そうして歩きながら、いつも遊んでいるのに話題は尽きなかった。

 Tくんの手に握られたバケツはいつも大きかった。
 釣りが上手なのもあって、そのバケツの底がみえないほど釣りあげることが多かったのだ。

 釣りの巧さは、場所選びと、ウキから針までの深さの設定。そしてエサ付けだったろうか。
 Tくんは理論的というわけではないが、どれもじつに手慣れていた。
 だからTくんはわたしの釣りの先生だった。

 この先生はまた、釣りのほかにもいろいろわたしに教えてくれた。

 Tくんは山道の途中で止まると、釣り道具を堀にかくしてひょいと土手にあがる。
 その先は畑だ。
 地に挿された竹棒が組まれて立って連なっていた。
 その棒を隠すほどの緑葉とつるがからまって伸びていて、その中にきゅうりが何本も青々と実りさがっていた。

 Tくんはその中の二本をひねりとると駆けもどってきた。
 一本をわたしに突きだす。

 受けとると、ちょっと反りかえった20センチほどの野菜は、表面にじゃがぼこの短いトゲがあった。

 Tくんはポケットから、まるめた新聞紙のかたまりを出す。
 拡げると塩がふたつまみほどあった。
 それをきゅうりの先につけると、かぶりついた。
 かりっと新鮮な音がする。

 Tくんの白い歯のあいだから、きゅうりがかみ砕かれて水分があふれた。
 見ているわたしは、ごくりとする。

 さぁ食え、とTくんが手にした新聞紙を目のまえにあげてくる。
 うん、とわたしも握ったきゅうりの先に塩の小粒をつける。
 そしておもいっきりかじった。
 美味かった。

 買い求めた八百屋のものとはちがう、取りたてだからだろう、こりこりっとしてまだ生きている身の締まりを感じた。
 食卓で口にする野菜とは異なる、炎天下の生の食べ方にオトコどうしの連帯意識が湧いてくるのだった。

 うまいだろう。
 ああ。うまい。

 Tくんは食べ終えたきゅうりの尻尾を放ると、新聞紙を丸めて捨てた。
 もちろんきゅうり畑はTくんの家のものではないのだ。

 いちごもあるんだぜ。
 食べたいだろうというふうにほほえむ。

 いいや、というような気持ちの湧く流れではない。
 いちごか。いいねぇ。
 よしっ決まった、といって立ちあがるTくん。
 無造作に日焼けた腕で口をぬぐい、半ズボンの土ほこりを手ではらう。

 土手を駆けおりるとまた竿とバケツをもって野道を先にゆく。
 次の獲物を定めている敏捷な獣の動きだった。

 しばらく行くと林の岸に農家が一軒あった。
 その家の前一面が畑だ。
 緑の地面のあいだには赤い実がちらばっていた。

 あれかい。
 しっ。見るな。このまま通りすぎるんだ。釣りにゆくんだからな。
 Tくんは自分に言い聞かせるように、顔をまっすぐ前に向けて歩いた。

 道が林に入るあたりで農家が見えなくなる。
 Tくんは釣りの持ち物を雑木のなかに隠す。
 そして、だれも居なかったぞ、とふり返る。
 留守だったのだろうか。
 それとも昼寝の時間だろうか。

 Tくんは地を這うようにして、今来た道をもどる。
 ふたつの腹這いの影が畑のはずれからいちご畑に入りこむ。

 そしていちごの苗の列のあいだで熟している赤い実もまだ色づかない実も、一握りむしり取る。
 それをふたつみつ口に押し込むと、のこりをポケットにねじ込む。
 苗からまたむしり取る。そしてポケットへ。

 わたしもそれを真似る。
 二人がおなじ動作をくり返すこと四回もあったろうか。

 こらぁー! そこのぉ野郎。いちごどろぼうぉ。

 見つかった。逃げろ。
 立ちあがると手にしたいちごの実を振り捨てて、逃げた。
 ただ突っ走って、逃げた。

 あのときほど走ったならどんな駆けっこも入賞できたのではないかと、今でも思う。

 叫んだ小父さんは棒きれを振りまわして追ってきた。
 麦わら帽子をかぶり、襟に手ぬぐいを巻いて、ゴム長をはいていたのを憶えている。

 逃走は、どこまで行ってもまるで終わりが来ないように感じた。
 それほど追ってきたのだった。

 先を走るTくんはどんどん離れてしまって姿がなかった。林に逃げ込んだのだろうか。
 わたしは目的の池をすぎて、山の峠を駆けのぼって。その先へくだった。

 ようやく追ってくる小父さんの声が聞こえなくなったので、ふり返って見たのだった。
 居ない。

 足をとめる。
 はぁはぁはぁ・・・と、のどがひりつき心臓はどっきどっきどっきと鳴っていた。
 もうどうにでもなれと草道に膝をついた。
 それでも耐えられず、野辺の草のうえに寝転がってしまった。

 仰向けば陽射しは依然強く。
 天空はどこまでも青くひろがっていた。
 むこうに灰色の雲がもくもくっと浮かんでいたろうか。

 しばらくすると、今置かれている自分が可笑しくなって、くっくっくっとが胸のあたりに湧いたものが噴きだした。
 その次ぎに、うっひゃひゃひゃと笑いがあふれた。

 それは翌日からのTくんと出会うたびの同士だけが交わせる笑いでもあった。
「やったなぁ」「まいったよなぁ」という言葉要らずのあいさつ代わりになったのだった。


 そんなことがとうの昔になったこの季節。
 今でもスーパーの食品棚で赤いいちごパックを見ると、あのくっくっくっという可笑しさがこぼれて、手でおさえたくなる。

  よくやるぜワルがきめ。

 ふふ。そういえば、Tくんは元気でいるだろうか。





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