・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
エッセイ 夢舟亭 2009年07月14日 セリーナ・ウェリアムズ イギリスはロンドンで、この2週間国際テニス大会が行われました。 通称、ウィンブルドン。 わたしはラケット握って二十ン年。 近所のコートや壁打ち続けて汗している。 ではあるけれどルールの理解は未だあやしい。 だのに観戦は楽しいのです。 年始めに、北半球は冬だが向こうは夏のオーストラリアから全豪オープン。 そして初夏には全仏、通称ローランギャロス。 二週間後にドーバー海峡の先の全英(ウィンブルドン)。 秋深くなって全米(USオープン)と。 それらテニスの世界大会を中継で見続けていたのだった。 数年前、不要出費制限令がわが家人から出されて、wowow契約解除した。 そのためNHKによるウィンブルドン大会の深夜中継のみとなったのでした。 ちょっと下世話な話になるけれど、このクラスのテニス国際試合となると、優勝賞金が日本円で一億円を超えるといわれます。 テニス観戦の面白さではやはりそうしたシングルス。 一対一の闘いをじっくり観戦するのがことのほか愉しい。 2万人もの観客スタンドから見つめるは一組のセンターコート。 そこで10代後半から20歳代の若者、ただ独りして。 1対1の大勝負を、長いときは3時間を超えて闘うのです。 テニスというと、一見易しい感じにも見えるスポーツだが。 じつはとてもとても瞬発力と持続力のための体力勝負。 速いサーブ(男子サービス)は200km/hrを超えて飛んでくる。 プロ野球の投球速度(150km)を思えばその速さが分かろう。 即判断からダッシュへ、間合いも無いすさまじさだ。叩き出されてから動いては遅い。 ボールは速く遅く高く低く自分のコートの奥に手前に、前後左右にと、打たれて追って。 相手以上の技をもって裏をかき、打ち負かさなければ勝てない。 それだけにテニスはメンタル(精神)の勝負といわれる。 駆け引きのなかでいかに冷静さを保ち、相手の心理状態を見抜き、ボールの動きからいち早く策略を読むか。それが勝敗を決める。 ミスのちょっとした心の揺れは動きに現れる。 敵に察知され、即、攻めてくることになる。 長丁場の孤独にポーカーフェースで耐えることが勝利への道。 そうした熱戦の大会ウィンブルドンが今年も行われ放映されました。 今年の優勝者、男子はフェデラー(スイス)。 なんとこれら大きな大会での優勝が15回。 この人もまた見事なほどに試合中はほとんど表情を変えないトップランキングの人だ。 対したロディック(アメリカ)との接戦名勝負は長丁場。 最後まで分からないできて。 ついにもぎ取った連続優勝世界第一位の栄冠はフェデラー。 しかしそれは過ぎてみればある程度は予測内だったかもしれない。 一方、女子は、何と、姉妹対決である。 世界に多いテニス選手のなかで、一家の姉妹が二人で世界大会に出て。 最後に、姉妹ともが勝ち残ったということ。 それもウィンブルドン決勝でこの姉妹ウィリアムズ(アメリカ)の二人の対戦は、2年連続。そして4度目なのだ。 昨年は姉ビーナスが勝った。今年は・・ 妹セリーナ。ウィンブルドンで3度目の優勝。 最強のこの二人、今となってはウィンブルドンの常連なのだ。 ウィリアムズ姉妹といえば、あれは99年だったろうか。 USオープンでのことが印象深い。 女子シングルスで勝ち抜いた決勝の二人はマルチナ・ヒンギス19歳とセリーナ・ウィリアムズ17歳の闘いでした。 ウェリアムス姉妹はアフリカ系アメリカ人。いわゆる黒肌の家族。 セリーナはその妹のほう。 あの時点では、まだ姉ビーナス・ウィリアムズの方が有名だった。 もともと姉の方が先にプロデビューして勝ち進み名をあげていたのだった。 その姉が前日の準決勝でヒンギスに対して負けていた。 足の不調も敗因ということだったが、思えば世界の女子ベスト4位にあり、大物であることにかわりなし。 「ウィリアムズ姉妹を下すには二人を負かさなければならない」と、ヒンギスに言わしめたほど手強い。 このときも姉妹で勝ち残っていたことになる。 いったいこの黒肌の家族とはどの様な家庭なのか。 誰しもそのことを思わずにはいられないわけです。 アメリカ貧民の一家族として都会に出てきたウィリアムズ家。 英才教育などとてもとてもの生活だったという。 だが父は学校教育だけはきっちりと受けさせておきたくて学業に専念させたらしい。 そんなだから二人のコーチはこの時点で父親だったという。 さてテニスの才能についてはまづ気強い姉からプロ世界へ。 勝ち気な娘ビーナスは期待に応えて一躍上位に躍り出た。 まもなく妹セリーナもプロへ。 しかし常に姉の影に隠れがちなのが物足りなかったという。 妹は上背も姉よりはない。いささか見劣りしないでもない。 そうしているなかの大会決勝において姉妹が対決することなどがあったという。 すると・・観客スタンドにプラカードがかかげられた。 「ウィリアムズ家のショウにようこそ!」 どん底を知っている気の好い父はなに臆することなく満面の笑みももって。 客席にこうしたことまでしてみせたという。 これは後まで語り伝えられるエピソードとなった。 そうして以後、何度かあった姉妹対決だが。 そうした時観客席スタンドに父の姿はないことが多くなった。 姉妹どちらへの応援も送れないからだ。 さて99年の地元アメリカにおいての大会USオープンだが。姉妹決勝戦か、と叫ばれた。 またも両親にプレゼントかとの噂がとんだ。 姉妹が順調に勝ち進んだからだ。 しかしそこには世界的天才、女王ヒンギス19歳が立ちはだかった。 そして先の姉が押し下されてしまった。 姉妹対決の夢は破れた。 となれば決勝は妹セリナが女王ヒンギスに挑むことになる。 今思うに、その時の多くが、姉ビーナスが敗退したほどなら、目立たぬ妹の初優勝など信じてはいなかったことでしょう。 それほどにヒンギスは女王然として負け知らずだったのでした。 しかし、勝った。 セリーナは勝利をつかみとってしまったのです。 過去数年の世界女子一位を維持した若き無敵のヒンギス(スイス)を下してしまった。 見せてくれましたセリーナ。 2万人にもなろうというセンターコートの観衆が総立ちで拍手なりやまず。 父母、姉、縁者の家族席ベンチは、黒肌の皆が飛び上がり沸きにわいたこの瞬間。 苦闘が終われば17歳の娘にもどるセリーナ。 父の躾の気丈夫さもゆるみ感涙と絶叫で両親に駆けて抱きつく。 この大会で歴代黒人優勝は・・たったの2人目だそうです。 昔からテニス、水泳、ゴルフなど「白人の旦那がたの遊び」だった。 有色系ゴルファーのチャンピオンといえばタイガー・ウッズでたった二人目。 では水をおなじくする水泳には、居るだろうか・・ さてこのとき、シナリオ無しのドラマは、終わったあとにも続きがあった。 試合後の記者会見の席に一本の電話が入ったという。 「セリーナおめでとう。きみは我が国の誇りだ!」 優勝杯をまぶしげに抱えるアフリカ系アメリカ人の若いお嬢さんと、家族をも称えた声。 それは・・・ときのアメリカ合衆国大統領。 クリントン氏直々の祝福の声だった。 関係者も粋なはからいをしてくれます。 何を見ていたとて歴史的感動の瞬間などには、一生のうち滅多に出会えるものではない。 また目の前にあっても気付かずに過ぎてしまうことも多いものです。 スポーツ競技は優れた技や作戦で勝を得るというだけに留まらずエピソードを生み残して、先に伝えることがときにある。 と、それはその種目の知識など無い人にまで、輝きあるシーンとともに希望を教えてくれるようなのです。 なにせ2009年の今年、ウェリアムズ姉妹の国では大統領までが有色系の人になった。 それを忘れるわけにはゆかないですね。 |
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