<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
エッセイ 2006年01月30日
ショパンの夜想曲
人柄、あるいは性格といわれるものは、演技力があるとか芝居っ気でもないと、なかなか隠すことはできません。
欠点だと思う言葉や行動ほど現れてしまいます。
自分らしさというものは、隠そうにもかくせないものだということなのでしょう。
もちろんこうした思いの前に、それは隠すべきものなのかという考えもあるわけです。
本人は弱みや欠点として思い悩んでいても、他人からみればなかなかどうして味のある個性として映ることも多い。
いずれにせよ、人は皆大なり小なり癖というものがあって、それを隠そうと演じつつ生きているという意見もあります。
それはともかく。
言うも、やるも、その多くは個人その人の思考であり、らしい表出の結果であることは間違いない。
たとえばベートーヴェンの音楽には、ベートーヴェンの音楽らしい、あの真剣で力強い響きが聴き取れる曲が少なくない。
モーツァルトのものにも、らしい独特の明るさに軽妙さが宿る。ベートーヴェンにその点は少ない気がします。
つまるところ、その違いが両巨人の音楽に対する考え方であり価値観なのでしょう。
そしてそういう考え方に至るには、それを良しとする自身の性格もさることながら、生い立ちや家庭環境に大きく影響されている気がします。
影も光も本人に培われたものが投影された結果だということは充分想像できます。
人の意識というもは、何によって形成されるかということなのでしょうか。
いずれにせよその人らしさというものは、その人なればこそ生み出せる成果として現れる。
その成果、つまり作品に、その人物が映って見えるものの様な気がします。
現実的に見れば作品には、生い立ちのほかに、健康状態も影響するように思います。
健康状態とは、心と、身体の、健全さの程度でしょう。
それは必ずしも作品の善し悪しとして投影されるという意味ではない。
というのも、芸術には心と身体の「ゆがみ」や「ねじれ」の要素も、作品を個性的にしてくれる気がするからです。
ベートーヴェンが家庭や家族に恵まれず、引きこもり系の気むずかし屋。
モーツァルトは、ご存じファザーコンプレックスの様子。
さて、今回は「ピアノの詩人」としての、ショパンを聴く。
中学生なら、ショパン、リスト、シューマンを、ピアノの師と言うでしょうか。
1810年ポーランドに生まれたという。
シューマンも同じく1810年生まれ。
リストが1年後の生まれ。
パリ楽壇に登場するのは、リストが先輩。
性格の違う彼らは、パリで大いに交友親交を温めたという。
今回は数あるショパンのピアノ曲のなかから、夜想曲つまりノクターンを聴いた。
創る曲に人柄や思考が宿るというなら、聴く者にも好む曲を選び定める何らかの、独自の価値観というものがあるからではないだろうか。
私はショパンのノクターンが好きなのです。
モーツァルトのピアノ協奏曲。たとえば第23番の、2楽章目。あの控えめなピアノの響きに聴き惚れたわが感性は、このショパンの夜想曲集にこそ、そうしたものを存分に見いだし、聴き惚れたのでした。
このショパンのノクタンーンは、聴かせよう感動させようという強引さや威圧は一切感じない。
よろしかったらお聞きなさい、という控えめな姿勢を感じるのです。
人は、攻めくる者にはそれを撃破しようという闘志が湧くものだ。
挑戦的に攻め立てられると、勇気をもらう場合もあろうがたいがいは反発の姿勢になってしまうことが多い。
北風と太陽。イソップ寓話の中の北風ではないが、素直には受け入れがたい。
そういうものと異なりショパンのノクターンは、「光明」とでもいう様な音楽の存在を感じるのです。
光明というのは、信心深い方が口にする「神の御手」の様な、あるいは弥勒菩薩の静寂なたたずまいの様な、誘い込もうとか共感を求めようという存在でない。
そこに、向こうで、ただ鳴っている。
それは誘うわけでもないのだけれど、聴かないではいられないのでこちらから進み出てしまう。
そういう灯火のような感じがするのです。
そしてその明かりは信頼を寄せるに値するもの。
奇抜な激しさもなければ、不安定さも感じない。
理解せよ、受け入れろ、納得せよと力まない。
一日の役目を終えていま沈もうとする夕陽の様に。
あるいは一番星の様な輝かしくはない、儚く淡い存在にも思える。
そういうものへは、こちらから自然体で受け入れようと向かってしまう。
思うに、人が本心を明かすとか真実を語るときは、まぶしい金や物や地位名誉への欲得執着は薄れた、今まさに黄泉の国へ旅立つ刹那の、無私無欲の気持ちだと思う。
自我の一切を捨て去れるほどの悟りの境地においてこそ、心が洗われる思いにもなれる気がします。
しかし一般には、芸術家も人間であってみれば創作へは欲得も考え方もあって取り組むものなのでしょう。
そこに芸術の多様な花が咲くわけですから。
地位名誉の奪い合いもあれば、人気を懸けた演奏合戦もあったろうこと。
生身骨肉の愛憎も欲得も人間の喜怒哀楽すべてが芸術の源として持ちこまれ、描き表現されるもの。
人間のもつ煩悩こそが芸術のエネルギーであり題材だろうから。
芸術家は、地上世界の人の生き様から、自分的アンテナによってテーマを感受発掘しては、飲み下し、溺れ。
生まれて以来の唯一独自の世界である、自分的な価値観の洞窟で練り上げては作品として、再創世、表現するのではないかと思うわけです。
その結果、その人ならではの美意識、つまり芸術なるものが成立するのだろう、と。
でショパンを言えば、ノクターン。
ノクターンの曲たちには、ショパン的なものが宿るのか。
Yes 宿る!
まさにショパンそのものの香りだと私は思う。
こちらから求めて寄って聞き耳をそばたてたいほどの光明がそこにはある。
ショパンの曲を、光明、と言ったのは、攻めるでも退くでもなく、そこに揺らめくほどの光を、四方に放ちながらただ存在するから。
ノクターンを1番から幾つかを味わってみると、光明、とはショパン自身の人柄と言えるのではないかと思えてくるのです。
当時のピアノの曲。
リストを初めとするシューマン、そしてショパンの三者三様の曲が、生まれ出た頃はピアノという楽器が脚光を浴び始めた時期といわれます。
そして三者はともにピアノの名手。当時のパリで人気を分け合った。
それだけに名手ショパンに、ピアノのメーカー主がついていたとか。
要望に応えて著しい改良もあったことでしょう。
それだけに華々しい演奏ステージが繰り返され喝采を浴びて、超絶的テクニックの名手ビルトーゾとして、また多くの名手らが、三者の協奏曲を競ったことでしょう。
リストの曲などを聴くと、口笛とともに、カッコイ〜! と叫びたくなるほどの声援が会場を熱くしただろうと想像してしまいます。
さぞや高だかな鼻が、歓声の渦にいっそう突き出ていたのではなかろうか、と。
そういう時代のなかで、ショパンとその曲は、かなり控えめな気がするのです。
ショパンという人が、競い合うとか、華々しい人気などにどれほど興味をもっていたのやら、と思えてくるわけです。
そんな若きショパンが恋をしたという。
お相手はといえば、男装までして論壇に政治に関心を示す家庭家族のある作家だという。
社会的時代的慣習の違いもあろうから、現代のわれらの感覚で一概に論じられないが、ショパンはこの奔放な社交界の花である女性への愛を貫いた様だ。
ショパンはその人の子たちさえ愛し、信頼を得ていたという。
となれば、少なからず彼女とその家族の存在からも、多くの曲想が湧き出したことでしょう。
愛は受けるよりも、注ぎ与える側にこそ、その意義は大きいという。
ショパンの愛は、報いにこだわることがなかったらしい。
その姿勢こそは、彼の音楽そのもの。
だからこそ光明たる心の灯が、攻めて行ったりしない。
であればこそ、その愛の果てに、死のベッドを見舞いにも訪れぬ自由奔放な麗人を、微笑みをもって容認できたのでありましょう。
寛容のショパン、38年間の命だったという。
それにしても1800年代に入ってかくも、多くの名作曲家に名曲がなぜに集中しているのだろう。
当時パリにおいては、音楽家にとどまらず。画家や作家、思想家など後年に名と作品を遺した多くの先鋭たちが、日夜会しては語り合ったといわれるのです。
いま世界は、社会は、人々は、芸術とはと、カフェでサロンで口角泡を飛ばしていたことでしょう。
ショパンの親友には、「市民を率いる自由の女神」の画家、ドラクロアが居たことは有名です。ですからもちろん、ドラクロアはショパンを描いている。
ベートーヴェンは生き方にかかわるほど多感な頃に、世界人類の変革期であるフランス革命に出会った。
人間を、身分階層で区別する既成の社会が瓦解崩壊し始まった。
世界の変動期の震源地フランス、作曲家たちの目の前で、人間を高貴下賎と上下に分け隔てられていたことへの疑問と反発が。市民の変化を求める叫びがうねりとなった。
それら時代の熱気が芸才を大いに刺激したであろう。
芸術とはなんであろうか、芸術には何が必要かと、芸術は何が出来るか。
音楽もまた大いに鍛えられたことでしょう。
人間とはなんだろう。
芸術家の必須街道、人間内面にまで突き刺さる強烈なインスピレーション。
そういったものを感じ、大いに熱き芸才を沸きたてたのだろうことは想像にかたくない。
だからこそ、この時期に後世への大きな遺産となる素晴らしい芸術家と作品が集中して溢れたのだと思う。
文学も、美術も、そして音楽も。
時代のなかで芸術家は自分的世界を形成しては、独自の作品を生みだしていった。
星空にも似た幻想的な楽曲、その響きがたまらないショパンのピアノ曲。
ノクターンの心は……慈愛、だろうか。
|