<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
エッセイ
2005年06月03日
「ああ無情/レ・ミゼラブル」
レ・ミゼラブル(ああ無情)は、ミュージカルになって再々演、ニホンでも公演中。
もう10年以上前になるのかロンドンで、またその後トウキョウでも観劇したのでした。
ロンドンで観たときの印象は客層がかなり上の世代が多く夫婦家族連れ。
コゼットがひとり悲しく歌い出すシーンなど、しくしくと聞こえるほど。
ニホンの誇る話芸落語で人情噺の親子や夫婦の情愛にほろりとする寄席の客席と、とても似ている雰囲気で、ニホンの歌舞伎やタカラズカの会場の様なあの感じはなかった気がします。
あの数年後。ロングラン特別コンサートと題した英国アルバートホールでの、世界中のジャン・バルジャンが一同に会した記念公演がありましたよね。
ニホンのバルジャンももちろん出演。私などは残念ながらヴィデオ鑑賞。
なかで悪役テナルディ夫妻役のご両人。憎々しさ名演技で、涙が出るほど嬉しいのはご当地も同じ思いらしく、大拍手ステージでした。
私はミュージカルとしてのレ・ミゼラブルの良さもいいが、もう少し文学的な「レ・ミゼラブル」に興味を感じているのです。
パン。食べるパン。
世界の食生活が和洋交錯してきているとはいえ、アジアの大陸のはずれの太平洋に浮かぶ離れ島。日本列島では朝昼晩の主役にはまだ成ったとはいえません。
ふっくらご飯が依然主役ではないでしょうか。
私などはパンといえば、柔いアンパンやクリームの菓子パンを想像してしまいます。
パンの本場ヨーロッパ、フランスのカリカリ焼きあがりのパンは、ほとんど味付け無し。あれをスープで食べるとなるほどイケますねぇ。
まあパンにせよご飯にせよ、今日常食となれば一般的市民に手の届かない値段ではありません。手にできないで飢え死にする話などはまず聞かない。
しかし百年ちょいとさかのぼれば、王侯貴族や地方の地主が小作人小市民を土地や年貢で牛耳って、搾り取ったあの時代は話がかなり違うようです。
なにせこのニホンなど農地解放となれば第二次世界大戦後、つまり(小作農地解放)農地改革が昭和27年2月29日(1952/2/29)というわけで、つい最近なのです。
そしてレ・ミゼのフランスでは、1700年代後半から一般市民大衆がいつも空腹で、心も荒(すさ)んでいた頃。
王侯貴族の政治へ疑問が沸いてきたんですよね。
それがフランス革命の火種となった。
そして「自由の女神」が掲げる旗に象徴される自由平等な社会へ波乱の道を進んだ。
そんな気運が盛り上がりはじめたころに。
貧しく乏しく細々と共に生きる姉親子の空腹を満たそうと、一握り一切れのパンを盗り数年の監獄に囚われた男がいた。
残し置いたその家族の安否に気持ちがあせり、脱走をくわだてる。だが失敗。
この時点でパン一握りの微罪が19年間もの苦役に加算されて長い投獄生活を送る。
獄中の心の苦しみから人世への憎しみを一層心に深く刻む男。
やがて19年を終えて仮出所の日を迎える。
さてどこへ向かおうか・・。
道行く貧しげ不愉快で不審な男の姿を、人々の視線が鋭く突き刺し、冷たく突き放す。
受け入れる者も宿も無い。
とある町のはずれに名ばかりの教会があった。
その主は慎み深い生き方の司教。
訪ねれば、暖かい心ずくしの一夜をだれ区別なく恵む。
さあ今夜はお客さまだ、と。
昨夜まで出会った人々と違って神の姿にも、男には見えた。
殺風景な教会は天国の様な別世界とも思えて、身も心も安まるのだった。
だがその司教の厚意を踏みつけて、男は浅ましくも司教の家宝である銀の食器を盗み、闇なかに去る。
夜が明けて間もなく。
不審男は捕らえられ、連れもどされて司教の前へ引き出される。だが司教は・・
「いやいや、盗人などとはとんでもない。この品はこの客人に差し上げたもの。遠慮深いわが友よ。こちらの装飾照明器具のロウソク立て、銀の燭台もお持ちなさいといったではありませんか。さあ」
世の中のすべてを恨み抜いて生きた19年の心の深い傷を、さらさらと洗い清める慈悲の深さと寛容さにあふれた言葉にただ感激。
感涙を落とす男は、深く魂を癒やした。
だが、連れてきた警官が去ったとき、司教はしっかりと言った。
あなたに差し上げたものは神が与えたものと思いなさい。
あなたの魂を私が買いました。
だからあなたは生まれ変わらなければなりません。
世に多いふわふわとして名ばかりの、きれい事の優しさではなく、強さから出た稟とした口調に目覚める男。
その時の温情を生涯の指標として、情け深い人助けや町おこし産業振興の名誉市長にまでなるこの盗人こそ、ジャン・バルジャンなのでありました。
・・・という世界の名作「ああ無情」。
いまやミュージカルになって世界を感動させ続けている「レ・ミゼラブル」の、大まかな前半であります。
ご存じ小説レ・ミゼラブル(ああ無情)「惨めなる人々」と訳すべきとか。
少年少女世界名作全集に無くてはならないこの一冊ですね。
私も子どもの時に読んだのでした。今でも、世界で読まれているの地位は変わないと聞きます。
作者はフランスの文豪で政治家、国宝の巨匠、ビクトル・ユーゴ。
主な登場人物は、人を嫉み、欺き。
たとえ家族でも決して愛せない男、居酒屋の主テナルディ。
金だけに忠実で、金の為なれば、人をも平然と殺る。
施しにも当然顔で、恥じるどころか、眉びる。
他人の幼子を昼夜こき使い、その子を助け出すバルジャンからは、たっぷりせしめ取る。
権威に忠実。法に忠実なジャベール警部。
悪はどこまで行ってもけっして善に帰ることは無い。
そう確信する情けにも涙にも、決して屈せず曲げずバルジャンを追いつめる。
が、ついにはバルジャンの真心に負けて、自分の罪を許せず自死を選ぶ。
それら人物に絡まる一輪の花、少女コゼット。
知らぬとはいえ、バルジャンが、ある誤りで死に追いやった女性の、その子コゼットを引き取り育て上げる。
人生の華の門出へ祝して見送れば、主人公のバルジャンの髪も白く老いて。
レ・ミゼラブルの本文も終焉を迎える。
実に、数千ページの超の大人の大作、終幕です。
貴族社会が、今まさに終末の苦しみである革命の混乱激しいパリが、若いふたりの門出を祝す。
そしてバルジャンの天国への門が開く。
市民の自由への解放、革命の声が聞こえようという背景に、貧しい庶民惨めなる人々皆に、文豪は何を語らせたかったのでしょう。
もちろん翻訳物でしたが大作読破しましたとも。
なんで読まずにおられましょう。
地球上、東西南北、世界中の子供らに生きる指標を与えつづけ、絵本になり映画になり芝居になり。
そしてそして今年もまた、日本でも歌うお芝居ミュージカルに生まれ変わって。
再演につぐ再演で甦れば、善男善女の新たな涙を搾るでありましょう。
このミュージカル、レ・ミゼラブル。
ほかミス・サイゴン、キャッツ、オペラ座の怪人とどのミュージカルもロンドンから生まれて世界各国に展開された。
どれもみなキャメロン・マッキントッシュというプロデューサーが成したものだという。
先に述べた10周年記念コンサートの各国のバルジャンの叫びは、私もヴィデオ観劇を繰り返しております。
そこで照れぎみのマキントッシュ氏がご挨拶をしておりました。
何はともあれ、素晴らしい原作を遺してくれた文豪ユーゴ先生に、乾杯!
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